唯物論は私の幸せ

六角

唯物論

■注意■

唯物論に関する持論です。個人的な解釈もありますので、一般的な唯物論と異なるかもしれません。一意見と思って楽しんでいただけると幸いです。



 唯物論とは、簡単にいえば、この世の全ての本質は物質であるという考え方です。例えるなら、心とか、神とか、愛とかは全て幻想で、そう見えてるのは脳の仕組みの一部だという考え方です。

 

 一見すると、つまらない考え方のように見えるかもしれませんが、別に唯物論者だから、愛を信じないというわけではありません。事実として、愛なる行動を人間はしているわけですから。ただ、そこに科学的な仕組みがあると考えているだけです。今回はそのような考え方が幸せに繋がる!という事を解説したいと思います(大雑把に)。


 まず唯物論の個人的根拠を説明します。大昔、まだ地球に生命が居ない時がありますよね。そこにあるのはただの物質だけです。その物質たちから偶然生命が生まれました。従って、生命の本質は物質であるというわけです。もっと詳しく生命の定義は〜とか言いたいのは山々ですが、今回の話に重要でないのでこのくらいで終わります。


■余談■

物質に心が宿っているとする考えを持つなら、この根拠は無効になりますが、考えるのはやめておきます。


 本題に入りましょう。なぜ唯物論は幸せに繋がるのか。理由は一つです。世界は物質でできている。ならば、必ず何かの物理法則に従うはずです。それを神と呼んだり、運命と読んだりする人もいるでしょう。物理法則に従うのであれば、未来は既に決まっていると考えられますよね。例えるなら空中で手を離した物が必ず落下するように、あなたの未来は必ずなるべきしてなるわけです。これを宿命論という場合もあります。


 未来が決まっている。この考え方こそが幸せに繋がると私は信じています。


 極端な例を出しましょう。あなたは腹痛を経験したことありますか?その時の痛みって今のあなたに何か影響を与えていますか?ほとんどの人はケロッとしてますよね。すでに終わった痛みに関して何も思うことはありませんよね。それは今のあなたに関係がないからじゃないですか?


 何が言いたいかというと、未来も同じだということです。将来は誰にもわからない。そんな未来は不安で仕方がありませんよね。しかし、未来がすでに決まっているとするならば、怖がることはありません。なぜなら今には関係の無いことですから。未来はいずれ必ずきます。しかも既に決まっている。そんなことのために今のあなたが不幸になる必要はありませんよね。このマインドが幸せに繋がるのでは無いかと私は思います。


■余談■

この考え方は非常に宗教に似ています。というか同じだと思います。彼らは神を信じていて、私は物理現象を信じているだけに過ぎません。名前が違うだけです。


 以上で個人的な持論は終わりです。所々説明不足がありますが、あまり長いと読んでもらえない気がしたので、このくらいの長さにまとめてみました。

読んでくださり、ありがとうございました。


反論を含め、皆様の考え方を聞かせて頂けると嬉しいです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

唯物論は私の幸せ 六角 @Benz_mushi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ