ミヤビと逗子丸
「むぅはん!おっとはなねぬあんのうちはえてふだはいっ!」
「飲み込んでから話せ。行儀が悪い」
逗子丸が、焚き火を挟んで飯を頬張るミヤビに呆れ顔で言った。
雨は夕刻には止み、夜の帷の降りた野営地には湿気を帯びた風が吹いていた。
ここはハガネ対戦の参加者が野営する場所である。対戦場に隣接するこの場所には、幾つもの移動小屋が停められている。移動小屋とは、自走する住居兼ハガネの格納庫のことだ。いわゆるキャンピングカーである。ハガネ使いと調律師は、この移動小屋で各地を転戦しているのだ。
移動小屋の前には焚き火が焚かれ、野営地のあちこちで淡い光を放っていた。各々が夕食の時間らしく、酒を酌み交わす賑やかな声も聞こえてくる。ミヤビと逗子丸も夕食の最中だった。
(この細っそりとした身体の何処に、あれだけの飯が入っていくのだろう?)
逗子丸は空になった大鍋と、飯を喉に詰めて自分の胸を叩いているミヤビを交互に見ながら思った。
ミヤビは丈の短い着物に膝上の洋袴を纏い、金属製の手甲と脛当てを着けている。いわゆるハガネ使いの装束だ。その顔は彫りが深く美人で、均整が取れた女性らしい体型をしている。だが何といっても背が高い。座っていてもそれがわかるほどだ。
「ず、ズーさん!もっとハガネの感応値を上げてくださいっ!」
やっと飯を飲み込んだミヤビは、整った眉毛を釣り上げて叫んだ。
「十分上げているぞ。上手く合わせられないのはミヤビの方だろう?」
「そんな事ありません!」
ムキになって身を乗り出すミヤビに、逗子丸はやれやれといった身振りで答える。
「じゃあ何で意識を全部ハガネに委ねない?」
「だ、だってハガネに…緋燕に頼るみたいで…イヤなんです」
「またそれか…」
逗子丸はため息混じりに言った。
「ハガネは人の意識を直接感応させて動かす機械だ。頼るも何もない」
ミヤビは憤懣やる方ない目つきで、焚き火の向こうに座る逗子丸に叫んだ。
「イヤなものはイヤなんですっ!」
そうなのだ。このミヤビの相方の
逗子丸は小柄な若者で、きちんと結った髪に作務衣によく似た調律師の装束を纏っている。そして逗子丸は、その童顔に似合わない落ち着き払った声で言った。
「感応値を上げれば反応は良くなる。だがその分、敵の攻撃で受ける〈返し〉が増加して危険だ」
「〈返し〉なら大丈夫です!私は
そう言いながらミヤビは着物の袖を捲ると、その細っそりとした二の腕を露わにしてパチパチと叩いてみせた。
「ダメだ。お前が大丈夫でも緋燕が壊れる。緋燕は二つとない特別なハガネだ。部品も貴重なんだぞ」
ピシャリと答えた逗子丸に、ミヤビは苛立たしさでさらに柳眉を逆立てる。
(また…緋燕のことばっかりです…)
ミヤビには、逗子丸が感応値を上げないのは緋燕が壊れるのを恐れている様にしか見えないのだった。
(私は頑丈だから、全然心配していない?)
ミヤビの心にトゲトゲだらけの感情が湧き上がってきた。
「それに感応値をいくら上げても、使う人間がハガネに合わせなければ思い通りには動かせない。何度言わせるんだ?」
逗子丸は、まるで聞き分けのない子供に言い聞かせる様に言った。
ブチッ!
その瞬間、ミヤビの心で何かが千切れた。
「ズーさんのケチッ!バカ!頑固者!私より緋燕の方が大事なんでしょっ!」
「はぁ?」
「稽古してきますっ!」
ミヤビは立ち上がって捨て台詞を吐くと、移動小屋の裏手にズンズン歩いて消えていった。頭から煙が出そうなミヤビを見送りながら、逗子丸はため息をついた。
(やれやれ…
ミヤビは南州人である。その特徴として肌の色が少し濃く、とても背が高い。そして体力は桁外れである。普段は力を抑えているが、本気になれば大の男も叶わない。
(あの強い力を受け止めるハガネの調律を少しでも誤れば、その〈返し〉でミヤビを傷付けるか、最悪の場合は命を奪ってしまう…)
「相方を死なす様な調律を、俺は二度とやりたくない…」
静かに独りごちる逗子丸の目の前で、焚き火の炎が少し揺らいだ。
「なんだ?もう仲間割れか?」
座っている逗子丸に、どこかで聞き覚えのある男の声が降ってきた。さっきまでミヤビが座っていた場所に誰かが立っている。
「久しぶりだな!ハガネゴロシ!」
焚き火を挟んで立つニヤけた男が逗子丸を見下ろしている。それを見た逗子丸は驚いて呟いた。
「
ビュンッ!ビュンッ!
ミヤビの素早い動きから繰り出される旋棍が夜の闇を切り裂く。そこはミヤビの移動小屋が停めてある裏手の空き地だった。
「はっ!」
後ろで束ねた長い髪が、美しい弧を描いて美しく舞う。ミヤビは流れる様な高速回転で、目の前の大木に渾身の一撃を放った。
メキッ!
旋棍が大木の太い幹にめり込んだ。ミヤビは素早く旋棍を戻し残心の構えをとる。そして放った殺気を内に納め、ゆっくりと構えを解いた。
「ふうっ」
ミヤビは大きく息を吐いて呼吸を整える。この旋棍の稽古は、幼い頃からのミヤビの日課だ。技に集中する時、ミヤビの心は平らになるのだった。
群青の夜空から雨雲はすっかりなくなり、月が煌々と輝いている。その夜空をミヤビはゆっくりと見上げた。
「生身だと上手く動けるのに…」
ミヤビの旋棍は、身体能力に優る南州人だけに凄まじい破壊力だ。しかし、ハガネと感応する時は何か膜がかかった様で動きが一拍遅くなるのだ。
『ハガネで自由になれぬのは未熟の証拠…』
ミヤビの脳裏に父の声が蘇った。
(父上…)
ミヤビの稽古を見守る父の、あの戸惑う様な顔を思い出す。姫君という立場なのに、武術やハガネが好きだったミヤビは、男衆を打ち負かすことも多かった。しかし男性上位の南州では、ミヤビはその背の高さもあって忌避の目を向けられるのが常だった。
領主である父の心中は察しがついた。チクチクと刺さる周囲の視線も不愉快だった。だが、ミヤビは好きな事を止めるのは嫌だった。
突然、ミヤビは月に向かって右手の旋棍を突き上げて叫ぶ。
「父上が勝手に救った私の命!私はそれを、何の遠慮もなく好きな事だけに使います!だから黙ってそこから見ていて下さいっ!」
そう叫んで月を睨みつけていたミヤビは、急に脱力すると両手の旋棍をだらりと下げた。
(それよりも…)
「ズーさん、緋燕のことばっかりです…」
(初めて会った時も、私より緋燕ばっかり見ていました…)
逗子丸は、調律師の中でも筋金入りのハガネオタクである。ミヤビと組んだのも、高性能のハガネ・緋燕に一目惚れしたからだ。
(でも…)
ミヤビの心に、またトゲだらけの感情がむくむくと湧き上がってきた。
「緋燕・緋燕ってハガネオタクめぇっ!私がズーさんの相方なんですよっっ!」
ビヒュンッ!
騒つく心を切り裂く様に、ミヤビは大木に向かって旋棍を神速で繰り出した。
バキバキバキバキッ!
「あ」
凄まじい旋棍の一撃が大木の幹を切り裂き、大きな音を立てながら倒れていく。
(しまった!つい本気で…)
ミヤビは慌ててキョロキョロと周囲を伺う。だが、大方のハガネ使い達は酒を煽って酔っているらしく、今の音には無反応だ。ミヤビはホッと胸を撫で下ろす。
「ん?」
その時、男の声が聞こえてきた。
「ズーさん?」
だが、焚き火の方から聞こえてくる声は一人ではない。どうやら逗子丸が誰かと言い争っているらしい。
ミヤビは踵を返すと、焚き火の方へ足早に向かっていった。
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