10-2 二年生・十二月

 テストが終わり、テスト返却のための一週間が始まった。

 その最初の昼休み、あたしと朝烏麻路は中庭ベンチCに落ち合う。お互いお昼は食べ終わった後で、テストの結果を相談する、みたいな建付にした。

「……ドラえもんってこういう気分なのね」

 あたしの答案を見て、朝烏麻路はしみじみと呟いた。「のび太よりはマシだろ!」とあたしは怒る。ゼロ点コレクターのあいつと違って、点は取れてるわ。

 そうしてひとしきりテスト談話が終わった後、昼休みの終わりまでのんびり話をする。

「せんぱいたち、いい感じにやれてるかな」

 あたしはスマホでラルヴァの様子を見ながら言った。テスト期間中に逢い引きに最適な場所を弾き出したふたりは、まさに今、そこで過ごしているはずだった。ラルヴァにはあたしたちに関心が順調に集まっていて、先輩に関しても健翔に関しても投稿はない。

「まだ空気が整ってないから、会える時間は正味五分とかだと思うけど……一年近く、忍びで会い続けてたから、大丈夫」

「確かに。健翔のデータ力を信じるか」

 それからあたしたちは日に日に少しずつ、昼休みで過ごす期間を増やした。ホッカイロをやり取りしたり、本を貸してもらったり、手相を見せっこしたり、気持ち座る距離を詰めていったり──少しずつ、仲良くなっていくふたりを演出していく。

「そろそろ燃料投下しましょう」

「オッケー」

 首尾良く地固めを進めていく中、あたしは朝烏麻路の指示を受けてラルヴァに投稿する。

 ──兎褄と朝烏ってもしかして付き合ってるの?

 この安易な憶測に大論争が起こった。んなわけねーだろ百合厨がと弁舌荒くする人もいれば、そうだったらいいなと鼻息荒くする人もいる。朝烏様があんな安い女と付き合うはずがないとハンカチをギリギリする人もいれば、マジかよ失望したと独りよがりな落胆を見せる人もいた。まあ、全体で見ると、「そんなわけないだろ」派が多い。さすが世曜高生、現実主義だ。

「すっごい効果抜群」

 あたしはくすくす笑いながらその様子を見ていた。演じられた偽りの関係性の裏では、本当のカップルが仲睦まじく過ごしてるっていうのに、おかしくてしょうがない。

「……ねえ」

 あたしの持ったスマホを覗き込みながら朝烏麻路が口を開く。いい顔が急に近くにあって、あたしはドキっとした。

「わ、な、何?」

「こんな意見がバラバラじゃダメ。全然、コンセンサスが取れてない。ここは『あのふたり付き合いそう』って万人が認めて一体感を持ってくれないと、最後まで持たない」

「いや、こういうのはこういうもんでしょ……」

 さすが朝烏麻路、相変わらずの徹底志向だ。全員にそうと思わせないと納得がいかないらしい。そこまでせんでも……と思うけど、それだけ愛沙先輩のことが心配だし、守りたいんだ。

「ねえ、あたし、何でもする。何か、あたしたちの絆を目に見える形にできない?」

 朝烏麻路は真剣だった。あたしは考える。

「……わかりやすいのは、アクセサリーとかネイルの交換だと思うけど」

「それだと小さすぎる。遠くからでも一目でわかるようにしたい」

「じゃあ……」

 すん、とあたしは鼻から息を吸う。朝烏麻路を囲んで、ほわりと浮かぶ銀色の香り。

 あたしはこの色が好きだ。派手で、綺麗で、朝烏麻路によく似合っている。

「あたしの見てる色に染まってよ」

 そう言って、あたしは彼女の綺麗な黒髪の束に触れた。絹のようにさらさらと掌を転がっていく。これが銀色だったら──あたしは何度、その姿を妄想しただろう。だから、見たい。

「……わかった」

 察した朝烏麻路は深くうなずいた。それから手を伸ばし、「代わりに」と鎖骨のあたりに落ちた、あたしのやんわり茶色に染めた髪の穂先を取って、言う。

「私の色をあなたに預ける」

「……うん」

 あんまりにも鼓動が早く拍つので、あたしはそれしか言えなかった。朝烏麻路が素敵すぎて、格好良すぎて、死ぬかと思った。

 こんなこと、マジの恋人同士だってやるかわからないのに──本当にいいの?


 次の休日、あたしと朝烏麻路は藍子の先輩がやっている美容院を一緒に訪れて、一緒に髪を染めた。あたしは朝烏麻路の黒色。朝烏麻路は鮮やかな銀色に。

「ん……どう?」

 彼女の仕上がりを見た時、あたしは天にも昇る気分だった。

 いやいやいや、何この子、天使? え、ちょま、ほんとに、マジでかわいい、え、どうしよう、ほんと、すごいいい、マジでめちゃくちゃいい、似合ってる、ほんとにかわいい、あああああ、ほおあーっ! あたしの言語は崩壊した。

「い、いいね。超似合ってる」

 結局、あたしはしどろもどろでそう言った。くそう、あたしの甲斐性無し。

「そう、良かった。あなたは……なんか変な感じね」

 一方、朝烏麻路はクールにあたしの髪色を確かめた。ムッとあたしは頬を膨らませる。

「どうせ清楚色は似合わないですよ」

「そ、そんなことない。あたしの色を預けた感があって、良い」

「え? そう? えへへ……」

 こいつーーーーー、一気に彼女感出しやがって。照れちゃうぞコラ。

 美容院までは藍子が車で送迎してくれた。車の中に戻ってきた銀髪染めたてホヤホヤ朝烏麻路に、藍子は甲高い悲鳴を上げた。

「うわ、すっご、めっちゃ似合ってる! 来週のプリキュアに出てきそう!」

 そうであろう、完璧であろう。鼻が高くて高くてピノキオみたいになったあたしを、藍子は運転席から見返してくる。

「あんたは中学の時みたいに芋っぽいけど」

「うっせー! 藍子だって量産型陰キャだったくせに」

「んー、侮辱罪。判決、あそこの精米所に置き去りの刑」

「精米機と生米の自販機しかない! せめてオリジン弁当にしろ」

「弁当て。あ、お腹空いたならどっか寄ってく?」

「あ、サイゼサイゼ!」

「高校生安上がりで助かるわ。あ、朝烏ちゃんの分も出すから遠慮しないでね」

「あ、ありがとうございます……」

 ゆらり、と銀色になった頭を下げる。よそいき朝烏麻路という概念はあたしの心臓に深刻に刺さった。なんか、あまりに良すぎてその後のご飯の記憶がほとんどない。もう何もかもを夢中で貪っていたらしい。


 その日の晩、あたしたちはビデオ通話で作戦会議をした。画面に映る銀髪の朝烏麻路を見てると、脳が匂いも通じているのだと錯覚してドキドキしてくる。改めて、すごいことをやっちゃったんだな、って実感した。

 で、今日の会議最大のポイントは、どうやってあのお堅い進学校で銀髪を通すかになると思っていたら、朝烏麻路はとっくに手を打っていた。

「あたしの家系には実は北欧系の血が混じってる。それがあたし自身のアイデンティティに繋がってるって理由で、髪色の許可申請を出しておいた」

「そんな裏技っていうか荒技があんだ……」

「まあ、一ヶ月程度のものだから。その間、誤魔化せれば良い」

 その一言であたしは改めてはっとする。そっか。これって時限付きの関係なんだ。といっても、夏休みも始まる前は無限に続くと感じるように、その時のあたしには一ヶ月と少しという感覚をうまく掴めなかった。

 漠然と大事にしようと思えば思うほど、時間は早く過ぎていく。あっという間に夜も更け、話すべきことも尽きたので、通話をお開きにする流れになった。

「……今日、あたしたちのお世話をしてくれたのってお姉さん、でいいの」

 朝烏麻路がふと、そんなことを訊いてきたので、あたしはうなずく。

「ああ、藍子のこと? そうだよ」

「その……改めて、お礼を伝えておいて」

「ああ、いいっていいって。普段、休日はバイクで遠出か家でゴロゴロ、むしろ、今日みたいに頼み事した方が暇が潰れるって喜ぶんだから」

「仲が良いのね」

「まあ、今はね。前は仲悪くて地獄だったよ。あんたはひとりっ子だっけ? クリスマスのプレゼント独り占めできたでしょ。うちは姉妹でひとつで、何頼むか喧嘩しまくってたよ」

「……私の家は、サンタが来たことなかった」

「え……そうなの?」

 あたしは予想外の言葉に驚いた。そんな家があるなんて想像もしてなかった。

「そもそも家族のイベント自体なかった。父は南半球にいるし、母も仕事でほとんど家にいない。私はずっとひとりで、それが当たり前だと思ってた」

「ひとりが当たり前だなんて……」

 ひっそりとした自分の家の様子を思い浮かべるだけでも、あたしは寂しくてたまらなくなる。それが子供の頃だったら──心細さの余り、グレてたかも知れない。

「母もそれを気にしてたのか、私が何か欲しいって言えばいつでも買ってくれた。『ひとりでいれてえらいね』って……そう、だから、あたしはひとりを我慢するのが平気だった。ひとりでいるのは偉いことだから」

 ──愛沙のために……私はひとりでいた方が良い、って気づいたから。

 そうやって、前に朝烏麻路が言っていたのを思い出す。ひとりでいることが偉い。ひとりがいることが正しい──そんな思いで生きてきた中学生の彼女は、どんな思いで新聞部を、先輩のもとを離れたんだろう。同じ高校に入った今は、どんな思いで先輩のことを見ているんだろう。胸がぐっと苦しくなってきた。

「そ、そうだったんだ。ごめん、あたし、無神経に……」

「あ……違うの、私こそ……こういうところなの。会話が下手で、なんとなくでいいのに、バカ正直に全部話すから気まずくなって……」

 確かに、朝烏麻路は場に合わせるとか、建前を使い分けるとかいう姿の想像がつかない。女社会でそれは致命的だ。逆に愛沙先輩はそういうのが大得意だから、そのデコとボコが異常な精度で噛み合ったのかも知れない。

「ぜ、全然だよ! あたしも建前とか苦手だからさ、むしろ正直に話してくれて嬉しいし、ありがとうだよ。信頼してくれてるんだなって思う」

「……本当に?」

 画面の向こうの朝烏麻路の顔が、じっとあたしを見つめる。

「うん。っていうか、あんたのこともっと聞きたい。さっきしれっと北欧の血が混じってるって言ってたけど、それ何? お父さん方の?」

「……四代くらい上ったところに、ちょびっと横文字の名前がある、って聞いたことがある」

「遙か昔だし聞いた話かいっ。ほとんど他人と変わらないじゃん。じゃあ、お父さんも実質普通の日本人かあ。会ったりしてるの?」

「全然。オンラインでメッセージ交わすくらい。あっちは来日しないくせに、私にはいつでもオーストラリアに来いってしつこくて……国は嫌いじゃないけど、あの態度が嫌で」

「あはは、きっと慣れてる土地で娘にドヤ顔したいんだよ。父親ってそういう生物だから」

「だとしたら、うざい……」

 嫌悪感たっぷりの朝烏麻路の表情にあたしはちょっとホッとする。両親とちゃんと交流があるということは、完璧にひとりぼっちってわけじゃない。

「そういうのはあんたから言わないとだめだよ。私に会いに日本来てーっ! ってさ」

「……言うわけないでしょ。あんな親に」

 うん、それでこそ、朝烏麻路。ツン台詞と銀髪との相性も抜群だった。


 次の登校日の朝、あたしがバスを降りると、ちょうど自転車に乗った朝烏麻路がバス停の前で停まった。

「おはよう」「あ、おはよっ!」

 あくまで偶然という体を装って合流、そのまま一緒に学校まで向かう。テストも終わって、あとは消化試合的な授業日を残すばかりとなった不抜けた校内に、並んで登校したあたしたちの姿は鮮烈に映る。煌びやかな銀髪と、あたしの黒髪。みんな見るからに苦労して見て見ぬ振りをしてるけど、その心はあたしたちに釘付けのはずだった。

 そして、昼休み。あたしは朝烏麻路の銀髪を、家から持ってきたネイビーのリボンでくくってハーフツインテールにする。ここは、あたしだけが堂々と触れることのできる領域なんだぞ、とアピールするために。

「ねえ……あざとすぎない?」

「バッッッッッッチリ似合ってる!」

 恥ずかしそうにテールの穂先を触る彼女に、あたしは大興奮で太鼓判を押す。

 もう、こんなの誰がどう見ても特別な関係だった。朝烏麻路の希望通りに、ラルヴァの見解もどうしようもないくらいに一致していく。

 あれはできてる。

 終業式を迎えた時点で、あたしたちが明らかに特異な地点に向かっていることを認めない生徒はいなくなっていた。

 そして、ついにその時が来る。


「私たち、もう、付き合うべきだと思う」

 そう言われて、あたしは隣にいる女を見た。

「いいよ」

 あたしは高鳴る心臓の音を隠しながら、平然と返してやった。

「よろしく、麻路」

「うん、よろしく……碧子」

 麻路はあたしの名前を呼んだ。

 その名前の通り、あたしは自分が碧く香ったような気がした。

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