10-1 二年生・十二月

 普通の三年生なら、十二月の期末試験の段階で卒業が実質確定する。三学期は自由登校・自主学習期間になり、各々大学受験に挑んだり他の進路を確定させた後、形ばかりの実力テストを受け、三月に卒業式を迎える運びだ。

 一方で、特殊な事情を持つ愛沙先輩には特例が適用されており、一月いっぱいまで用意された特別補習に出席し、追試で合格点を取れば卒業単位を満たしたと見なされる。愛沙先輩の頭脳なら追試は楽勝で、後は出席できるかどうかにかかっている。で、先輩曰く「最低限の要素を回収してクリアする完璧なチャート」が組んであるので、あとは時間の問題……らしい。

 つまり、あたしたちの関係は十二月から翌一月にかけての二ヶ月間、登校日数的には三十日程度のものになる見込みだった。その間、昼休みを誰がどう見ても付き合ってる風に過ごして、生徒たちの耳目を集め、健翔と先輩の恋路を守る。

「段階が必要だと思う」

 作戦会議の時、朝烏麻路がそう言った。

「段階?」

「そう。二ヶ月の間、私たちは注目を集め続けないといけないけど、興味を持続させるには長い期間だと思う。付き合い始めが事件になっても、その後に変化や発展がないと飽きられる」

「なんかラブコメマンガの打ち合わせみたい。じゃあ、どうする?」

「最初は匂わせ期間から始めて、できる限りふたりで人目につくところで一緒に過ごしましょう。私たちの場合はそれだけで事件になる。そこから少しずつ、傍目から見てもわかりやすく関係を進展させていって、十分に耳目を集めたと判断したら付き合いを始める」

「あー、島津の釣り野伏せ的な感じね。そのタイミングはいつ?」

「ラルヴァの反応を見てあたしが判断する。だから、あなたは……具体的にどういう風に過ごすか考えて欲しい」

「オッケー。任せて」

 あたしはノリノリで言った。そんなもん、いくらでも考えられるわ。


 十二月は入ってすぐに五日間に渡る期末テストになる。午前中に終わって昼休みもないので、この期間はくすぐり的な感じで、あたしたちの関係性を出発させていくことにした。

 テスト終わり、あたしたちは落ち合うと、廊下の突き当たりにある談話スペース的なところへこれ見よがしに座って朝烏麻路とテストの見直しをする。これはフリではなく素だった。違和感ないところから始めた方が良いと思ったからそうしたけど、あたしは想像以上にコッテリと教え込まれて泣きそうになった。

 その様子は早くもラルヴァに報告された。火災報知器事件の時、あたしと朝烏麻路に言及する投稿はたった一件だったのに、今日は二件に増えた。脳死倍々ゲームならテスト終わりには三十件くらいになるのかな?

 夕方、帰宅したあたしはクリーニング屋に行った。テスト中だってのに、健翔はエプロン姿でキーボードを叩いてる。

「候補場所を複数、割り出した。昼食浮動層の分布はほぼランダムだが、一定の注目を稼げれば無人になる可能性の高いスポットがある」

「何を言ってるかわからねえ」

「朝烏なら通じる。伝達を頼む。ちなみに、兎褄たちが最もインプレッションを稼げるロケーションは、中庭ベンチCになる見込みだが……この季節は寒いか」

「大丈夫。あの人、体温超高いから」

 あたしが胸を張ると、健翔は何か言いたげにあたしの顔を見た。

「兎褄」

「なに?」

「本気か? おれたちのために……」

 なんだ、そんなこと。あたしは鼻で笑った。

「あんたたちのためじゃないよ。朝烏麻路のためだから」

「ああ、お前はそうか……でも、朝烏は一体何故、おれたちに協力する」

「わかってなかったんかい。まあ、あんたには一生わかんないかも」

 鈍い男に教えてやる義理はない。あたしはそう告げるとパパの服を担いでお店を出た。


 その日もあたしと朝烏麻路はテストの見直しをしている。自己採点の結果、なんと、英語Ⅱがギリギリ赤点を回避していた。すごい! はしゃいだあたしは思わずハイタッチした。朝烏麻路は満更でもないように、手を合わせてくれる。パチッと音が鳴った。

 まあ、そういう演出のために、教えてもらった英語のヤマを死に物狂いで一夜漬けしただけなんだけど、めちゃくちゃ頑張ったので普通に嬉しい。

「ひとつ聞いていい」

 そんな演目の終わった後、駐輪場に向かって歩いていく途中で朝烏麻路が言った。

「んー?」

「二学期始まって、ずっとあなたのことを見てたけど……一度だけ、こっちに向かって歩いてきた時があった。あれ、何だったの?」

「ああ、匂いを嗅ぎにいったの」

「匂い?」

「あたし、匂いの色が見えるから。あんたの匂いがわかれば、いつ見られてるかわかるなーって思ってさ」

「ホントに……?」

「まあ、別に信じなくてもいいけど」

 あたしはむっつりと返す。子供のころ、「嘘だ」「おかしなこと言ってる」とバカにされまくったので、正直、話すのはあんまり好きじゃなかった。

 ただ、朝烏麻路は興味深そうに眉を上げて、あたしを見た。

「匂いの色……ある感覚を別の感覚でも知覚するのを、共感覚っていうんだっけ」

「そうそう、よく知ってるな。あ、もしかして自分の匂いが何色か知りたい?」

「……うん、知りたい」

 あたしはちょっと拍子抜けする。体臭を見られてるみたいで嫌じゃないのかな。まあ、そんな素直に言われたら、あたしだって教えてあげるのにやぶさかじゃない。

「あんたは綺麗な銀色だった。魚のお腹みたいなのじゃなくて、ピッカピカな純銀の銀」

「銀……」

「ちなみに愛沙先輩ははしばみ色」

「榛なんてよく知ってる」

「ちっちゃい頃、色の標本見るの好きでさ。他の子より色が見える機会が多かったから」

「ふうん」

 朝烏麻路はマフラーを持ち上げて、顔を埋めた。何を思ってるんだろう。知りたい。けど、そこで駐輪場に着いてしまったので、あたしたちはバイバイをする。

 その日のラルヴァではあたしたちがハイタッチをして、駐輪場まで一緒に歩いている姿が報告されていた。あの朝烏が劣等生の兎褄と? どうしてなぜなに、どこからどこまで? そんな好奇心が集い始め、ちょっとずつ温度が上がってきた。まだまだこれからだ。


 テスト最終日、あたしたちはいつものようにテストの振り返りをした後、一緒に駅前の方に歩いて行った。徒歩二十分くらいで着くそこにはフルネスと別のショッピングセンターがあって、世曜高生は普通、こっちに来る。そこの四階に入っているゲームセンターにあたしたちは向かった。テスト終わり直後ということもあって、世曜高校の中でも活動的で、いかにもラルヴァに遠慮ない書き込みをしそうな生徒たちの姿がちらほら見える。

 あたしはゲームの音にも負けない、みんなに聞こえるような大声で叫んだ。

「ほら、朝烏麻路、一緒にプリ撮ろ! プリ!」

「う……わ、わかった」

 日常では到底考えられない要求でも、関係性アピールとなれば朝烏麻路は断れない。あたしは仏頂面の朝烏麻路を引きずって、プリクラの筐体に入っていく。

『なかよく、ピースピース♪』

 カシャッ! すげーニコニコでピースサインのあたしと、引きつった笑顔で風邪ひいたウサギみたいな手を出してる朝烏麻路。

『ニャンニャン♪ ネコちゃんだニャン♪』

 カシャッ! すげー笑顔で猫手ウィンクを決めるあたしと、嫌いなものを食べさせられた子供みたいな顔でべちょべちょなクリームパン状の手を掲げてる朝烏麻路。

『見て、打ち上げ花火! た~まや~♪』

 カシャッ! すげー笑顔で両手メガホンしてるあたしと、ニキビできちゃった……と嘆くみたいに頬に手を当てる朝烏麻路。

 最高、マジで夢みたい──あの朝烏麻路と、プリクラ撮ってるなんて!

 その後、右の機械に移り、撮れたやつにめちゃくちゃに書き込みをして、けらけら笑ったり、かわいーっと声を上げたりした。朝烏麻路は「目が大きい……」とずっと顔を背けていたけど、慣れないことでも有言実行頑張って、恥じらう姿は大変にグッドでボンでハオだった。

 それから、あたしたちはクレーンゲームでなけなしのお小遣いを散財したり、太鼓をボンボコ叩いたりしてゲーセンデートを見せつけた後、地下に降りてクレープを買い、ちっちゃなイートインスペースでパクついた。テスト後のクレープは変な脳内物質が出るくらいにおいしかった。そして、目の前にはクレープの皮をあむあむする朝烏麻路。ひええ……口ちっせ。ハムスターか何か? 可愛すぎるだろうが。

「これ、もう付き合ってるように見えちゃうかな」

 あまりにも充実しすぎてしまったので、あたしは恐ろしくなってきた。

「これくらい友達なら普通にやるでしょ」

 朝烏麻路は口元をナプキンでふきふき、冷静に言う。まあ、男女ならともかく、女同士ならそりゃそうか。そう考えると、明確な一線を越えてます、ってどうやったら周りの人にそれとなく伝わるんだろう。ちょっと難しい。

「やっぱ、見せつけるならチューくらいしないとダメなのかな」

 あたしは踏み込んで訊いてみる。朝烏麻路は静かにあたしを見つめると、食べかけクレープに目を落とす。

「……今後の状況によってはね」

 平坦な声音だったけど、穿って解釈すれば何かを諦めるような口ぶりだった。その反応に、そうだよね、と思ってしまう。この人は愛沙先輩が好きなんだ。「友達」よりもっと、特別な意味で。だから、キスをするなら先輩の方が良かったに決まってる。

 でも、その機会が来ることは多分ない。あたしはその隙につけ込んで、あたしのやりたいことをやりたいようにやってるだけ。それがあたしのスタイルだから。親切な顔してやってるけど、実際は最低な女なんだ……。

 でも、それで良い。あたしはクレープを口に詰め込んで、その罪悪感ごと噛み噛みして飲み干していく。食べ終わった後に残ったのは、目の前にいるこの人の気持ちをもっと知りたい、という欲求だった。巻き袋の空っぽを覗き込みながら、あたしは訊く。

「……オーストラリア行ってた間もずっと、せんぱいのこと考えてたの」

「何、いきなり」

「いや、あんた、せんぱいが付き合ってるのも、あっさり気づいちゃったくらいだから──せんぱいのこと、よっぽど好きなのかなって。昔から」

 愛沙先輩をどう思ってるか訊きたくて、でも直接的には訊けないと思ったら、なんだか支離滅裂な感じになってしまった。あたしは心臓を高鳴らせつつ、朝烏麻路の返事を待つ。

「……中学の時、新聞部にいたの。愛沙とふたりで」

 少しの沈黙の後、朝烏麻路はそう切り出した。

「ああ、前に聞いたやつ。っていうかふたりって廃部寸前じゃん」

「他は幽霊部員、新聞も出してないし風前の灯火。でも、そこが私と愛沙のたったひとつの居場所だった」

 ふたりは天才キャラで通ってて学校で浮いてたらしいから、避難所みたいなものだったんだろう。と、あたしはその話を聞いてはたと気がつく。

「え、その状態であんたがオーストラリア行ったら……ヤバくない?」

「……飛行機から飛び降りてでも、行きたくなかった気持ちがわかるでしょ」

 海外の学校は九月始まりとかだから、一年間行くと日本の春を跨ぐことになる。新聞部で唯一残された愛沙先輩が、その孤独を耐えられるか、居場所を守り切れるか、大分怪しい。

「だから、最短で日本に戻るために私は頑張った。そういう意味では愛沙のことをずっと考えてた……」

「それで戻ってきて新聞部はどうなってたの?」

「部員が八人になってた」

「は?」

 展開が飛躍しすぎて先輩が七人に分裂したのかと思った。朝烏麻路は声音を落として言う。

「私がいなくなって、幽霊部員が戻ったり、入部志望者が現われてきたの。愛沙はマイペースすぎて集団行動はできないけど、不思議と人が集まってくるタイプの人だった。あたしと愛沙は『ひとり』の性質が違ったの……性格が醜くて話しづらい邪魔者の私が消えたから、みんな敬遠してた愛沙へ積極的に絡むようになった。愛沙も満更じゃなさそうだった」

「そんな、たまたまあんたがいなかった時期ってだけだよ」

「どっちにしても、私は新しい新聞部に馴染めなくて辞めた。愛沙のために……私はひとりでいた方が良い、って気づいたから」

 酷い話だと思った。あたしは愛沙先輩に憤りを覚えた、けど……一年間っていうのはそれだけの期間だし、やっぱり、先輩の矢印はどこまでも朝烏麻路に向いてない。友達のひとりでしかない。それを理解しているからこそ、朝烏麻路は今でも、信じられないくらい都合のいい友達としてのポジションに甘んじてる。その心を必死で隠しながら。そんな人の性格が醜いわけがない。

「それでもまだ、せんぱいのことが好きなんだ。──『友達』を超えた気持ちで」

 あたしが踏み込んで言うと、彼女はぴた、と息を止め、それからふっと自嘲気味に笑った。

「……わかってしまうものなのね」

「まあね。あたしは……鼻が利くから」

 あたしの言葉に、朝烏麻路の身体から力の抜けていくのを感じる。そうして遙か遠くを見つめるような目付きで言った。

「……そう、あなたの言うとおり、私は愛沙のことを深く好き。その引力に逆らえず、もう、決して抜け出せないくらいに。だから、今も、ここにいる」

 小さな声音だったけど、強い告白だった。

「そっか。ありがと。教えてくれて」

 あたしはできるだけ短く言った。そうじゃないと泣いてしまいそうだった。

 あたしも、朝烏麻路のことを深く好きで、その引力に逆らえず、抜け出せないところにいる。ただ、その遙かな視線があたしに向くことはない。

 あたしたちの気持ちは一緒で、そして、全然違った。

 でも、この時のあたしはまだ希望を持っている。一月の終わりまでに、何か起こってくれるんじゃないかという浅はかな期待を無意識の裏側にしまいこんでいた。結局、そんな希望は打ち砕かれてしまうんだけど。

 その日は無事に、あたしたちのデートのことがラルヴァで言及されていた。細々としたものを含めると投稿数は二十個強くらい。もちろん、誰もあたしたちが付き合ってるなんて勘違いしてなかった。

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