9-2 二年生・十一月(2)
フルネスの屋上駐車場。朝烏麻路と愛沙先輩・健翔から本当のことを聞き終えた時、あたしはミステリー映画を観ているような気分になっていた。
「ぜんっぜん、わからなかった!」
同時に登場人物である過去のあたしのアホっぷりに呆れていた。そこまで察しが悪いと逆に面白いよ、あんた。それは朝烏麻路も戦々恐々とするわけだ。
「そうだったんだあ。なんにも知らないのに助けてくれてくれたんだね。本当にありがとう! これお礼、買ってきたの。アオちゃんに全部あげる」
愛沙先輩が、健翔の持っていたパンパンに膨らんだビニール袋をあたしに差し出す。中にはお菓子がびっちり詰まっていた。見るだけで元気が出る光景だ。
「すっご! こんなにいいんすか?」
「うん、いいよ。全部、健翔のおごりだから」
「マジか、サンキュー。まあ、バイト中ほとんどサボってるんだから、これくらいはね」
「サボってるわけじゃない」
女子三人に囲まれて居心地悪そうな健翔が言った。無愛想なヤツ。ラノベ主人公としての素質ゼロだ。
「なんか……いろいろと、ごめんなさい」
ガサガサと袋の中を漁るあたしに、朝烏麻路がしおらしく謝ってきた。
「いいっていいって、こんな面白いことに巻き込んでもらえてこっちが嬉しいくらい」
「そう言ってもらえるとありがたいけど……前から思ってたけど、すごいメンタルね」
「えー、この程度、普通だよ」
「普通の人は即断で警報器を鳴らさない……」
あれはあんたのためでしょうが、とツッコミかけて呑み込んだ。あぶね、これはいくらなんでも本音過ぎる。この会合は実質「愛沙先輩を囲む会」なんだから擬態しておかないと。
「それで……明日からどこで会おうね。いつものとこはもう、生徒会に占領されちゃったし」
愛沙先輩が困ったように健翔に目を向けた。健翔は視線を逸らす。
「もう学校に安全な居場所はありません。今みたいに外で会う時間を作るしかないです」
今日はあたしにお礼を告げるために急遽、健翔はバイトを欠勤し、愛沙先輩は午後の授業に参加する代わりに補習をサボったらしい。それでせっせとあたしに贈るお菓子を選んでいたのだと思うと、確かに庇護欲求みたいなものがむくむく湧いてくる。
「前それやって、全然時間合わなくて、二週間に一度しか会えなかったじゃん」
先輩が不貞腐れたように言うのに、健翔は断定的に答えた。
「仕方ないです。バレるよりはマシです」
「健翔はそれでいいの?」
「良くない、です。でも、仮にラルヴァに書かかれたら愛沙さんは学校に来なくなりますよね」
「……うん。でもわたしは──」
「え、なんで来なくなっちゃうんですか?」
なんか痴話喧嘩寸前みたいな雰囲気にあたしは口を挟む。愛沙先輩は口をむーっと尖らせた。
「ラルヴァ、大嫌いだから。書かれるとムカついて、落ち込んで、何もする気がなくなる」
先輩はクリオネみたいに不思議な雰囲気と柔らかいハートの持ち主だ。ラルヴァの無遠慮な感じはかなり苦手な部類なんだと思う。
「愛沙は一年生の時は普通に学校に通ってたの」
朝烏麻路が先輩の髪を撫でながら言った。
「でも、この人はどうしてか人を集めてしまうから……悪目立ちして、それを嫉妬した誰かにラルヴァに書かれるようになった。『今日は誰それと話してた』みたいなことを、細々と」
「見ないようにしてても『書かれてるよ』って誰かが伝えてきて……それで嫌になった」
あー、よくいる悪口伝言マンね。あの行動は、何を目的とした生態なのか未だに謎だ。
で、そのラルヴァ嫌悪黎明期と家庭事情の悪化期が重なった結果、愛沙先輩の調子が不安定になったのだろう。その結果生まれたのが、ふてぶてしさと繊細さを併せ持つ不思議な生命体、やる気絶無系補習ガール。
「やっと誰も愛沙を気にしなくなったのに、その安寧がまた破られてもいいの」と朝烏麻路。
「前回は家庭と病気を理由にできたけど、今の時期に失調したら留年です」と健翔。
「っていうかそんなんで受験は大丈夫なんすか、せんぱい」とあたし。
「うわあああああん、わかってるよおおおおおおお」
後輩三人がよってたかって現実を突きつけてくるので、愛沙先輩は頭を抱えてうずくまってしまった。
「でも、健翔に会いたいんだよ。じゃなきゃ、寂しくて、卒業する前に死んじゃうよ……」
その嘆きにあたしは反応した。なんて人たらしで、甘ったれで、魔性ムンムン、地雷臭百%な台詞──だけど、こんなあられもない欲望を世曜高生の口から聞いたのは、初めてだった。
人は言うかも知れない。あと三ヶ月くらいの話でしょ? 我慢しなよって。
でも、あたしはそうは思わない。愛沙先輩の高校時代はその三ヶ月で、もう終わっちゃうんだ。もう戻ってこないんだ。そういう時に、やりたいことをやれなかったら絶対に後悔する。それも、下らないラルヴァとかいうモノのせいで──。
「じゃあ、会いましょうよ。学校で」
あたしは言った。すかさず朝烏麻路が冷徹な視線をあたしに向ける。
「だから安全に会える場所がなくなったって話をしてたんでしょ」
「だから、それを何とかしようよって話」
「何とかって……まさか、毎日警報器を鳴らすわけにもいかないでしょ」
「ふたりが誰かに見つかりそうになるたびに? あー、いいね。せんぱいの卒業よりも先にあたしが退学になりそうだけど」
「あの、冗談だからね……」
朝烏麻路が引きつった顔で言う。あはは、とあたしは笑った。
「わかってるって。でも、発想はあってるんじゃん? 要するに毎日警報器みたいなイベントがあって生徒の耳目を集めることができればさ、ふたり会えるチャンスが広がる」
「そんなインパクトのある出来事を毎日起こせるわけない」
「うーん、必ずしもインパクトはいらない気がする。要するに、このふたりが付き合ってるっていうのと同じくらいのことがあれば、みんなそこに釘付けになるわけだから──あ」
それを閃いた時のあたしの脳みそは、多分、世曜高校に合格した時以上に冴えていたと思う。
「また別に、付き合ってる誰かがいればいいんじゃない?」
何の衒いもなく、何の下心もなく、単純にアイデアとしてそれを口にできたのは、本当に奇跡だった。あたしは名案を思いついた興奮に、がつがつと続けて言う。
「例えば、デコイのカップルが昼休み、中庭でデートしてたらみんな見に来るじゃん。そうやって人目をかき集めればさ、学校のどっかしらに手薄なスポットができる。そこで健翔とせんぱいは会えばいい。これ、どう?」
「デ、デコイのカップル? そんなの誰がやるの」
朝烏麻路が呆れたように言う。
「え、そりゃ例えば、ラルヴァに書かれても平気な──あたしとか」
と、何気なく提案した時、あたしの埋もれた記憶の中から朝烏麻路の声が蘇ってくる。
──私はラルヴァで何て言われようと気にしないのに。
あ、そうじゃん。あたしは、朝烏麻路を指さして言った。
「あんたって、ラルヴァに何書かれても気にしないっていってなかった?」
朝烏麻路は一瞬、あたしの指先へ寄り目になった後、くわっと目を見開いた。
「え……わ、私!」
その瞬間になってようやく、えらいことを言ってしまった、と耳の先まで熱くなった。
だって、あたしとあんたでカップルになろう、って提案したのと変わらないのだから。
でも、それはあたしの望むところだった。あたしは朝烏麻路が好き。ダミーでもフリでもモックでもニセでも良い。この人と付き合って、恋人みたいな真似ができるならなんだっていい!
このチャンスを逃したくない! あたしはセールスマンみたいにまくし立てた。
「そうだよ! これからせんぱいの卒業まで、最小限度の労力で最大の効果発揮するのは、それしかない! あたしたちこのふたりの秘密共有してるし、ラルヴァのことなんてものともしないし、人寄せパンダとして最強! 究極に最高に適任だよ!」
「で、でも、私たち女同士だし……」
朝烏麻路は震えながら言う。あんだけ愛沙先輩にゴン太矢印向けておいて、今更それ言うんかい。
「関係ないよ。あたしは大歓迎だし、つーか、人目集めるなら女の子同士の方が断然有利だって! ね、健翔!」
「おれに振るな」
健翔はものすごい目付きであたしを睨む。朝烏麻路と付き合えるかも知れないという興奮も相まって、あたしは面白くてキャッキャッてしちゃう。
「ね、健翔もそう言ってるし、愛沙先輩のためにはそれしかないよ! ねえ、朝烏麻路!」
あたしは最後の猛プッシュを仕掛ける。朝烏麻路は迷うように視線を落とし、それから愛沙先輩の方へ目を向ける。
「麻路ちゃん、お願い……」
先輩は縋るようにそう言った。その瞬間──朝烏麻路はものすごく悲しそうな顔を見せた。その気配に、あたしは「あ」と声に漏れてしまうほど、背筋に冷たいものを感じる。何か、朝烏麻路の、大切なものを奪ってしまったような気がして。
でも、ふ、と小さな息と共にあたしの方を向いた時、彼女の顔いつもの凜然とした表情が張り付いていた。
「……兎褄碧子」
「は、はいっ」
身構えるあたしに、朝烏麻路は真剣な面差しで訊いてくる。
「あなたはいいの。あたしとなんて……」
あたしはきっぱりと頷く。
「うん。あたし、青春したい、高校生らしいおもろくて素敵なことしたいって、ずーっと思ってたんだ。ラルヴァを気にしたエセ良い子ちゃんばっかの学校で、思い切り気兼ねなく青春やれるんだったら、フリだろうが女の子同士だろうがやらない理由はないよ。あたしはあたしのしたいことをやりたいようにやるだけ。だからさ、信じて」
あたしはあたしのスタンスをそのままぶつける。この台詞は朝烏麻路にどう聞こえるんだろうか。まさか、本当の気持ちまで届いてないよな……あたしは大見得切った余韻にドギマギしながら、返事を待つ。
朝烏麻路はあたしを容赦なくじっと見つめ、それからおずおずと言った。
「わかった。その……わ、私は、恋愛とか、よくわからないから……うまくいかないかも知れない。でも、頑張るから、その作戦で、いきましょう」
「や」
ったああああああああーーー!
と、歓びに絶叫しながらバンザイすることは、体面上、できなかったけど、それくらいの激情があたしの身体を駆け巡った。
「よく言った!」
代わりにあたしはそう言って朝烏麻路の手を取り、そして「ひあっ!」と飛び上がった。びっくりするくらい熱い手だった。
「うわ、手ぇ熱っ。チョコ持ったらすぐとけちゃうよ」
「ち、違う……いつもはこうじゃない……」
と、空いてる方の手で口元を押さえて顔を背ける朝烏麻路は、もう、ホントにめちゃくちゃ可愛く見えた。
「え、もしかして照れてる? あたしと付き合うことになったから?」
「うるさい、だから、よくわからないからって言ったでしょ……」
「えへへー、そうかそうか」
「何、ニヤニヤし出して……も、もし変なことしたら勉強教えてやらないから」
「え、勉強いらないなら、変なことしていいんだ!」
「何言ってるの、バカ」
なんて、気の置けないやり取りにあたしは法悦を感じていた。付き合うフリだからこそ、見世物になる恋だからこそ、遠慮なく朝烏麻路の懐に飛び込んでいける。
それでいいんだ。だって、朝烏麻路が好きなのは愛沙先輩なのだから。
あたしは偽物で十分だった。それだけでも死ねるくらいに幸せだった。
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