4-2 二年生・九月
比良宮健翔とあたしは一応、同じ中学の出で、当時は世曜高校へ共に進むよしみで下の名前で呼ぶくらいには絡んだりしたけど、そんなに波長が合わなかったので、今ではクラスが同じというだけのヤツでしかない。ただ、接点はあった。
パソコンいじりとマンガを描くのが趣味という健翔は、ラルヴァの産みの親を輩出したとかいうハッカー集団、情報メディア部に所属しつつ、ガジェット購入費を稼ぐためとかでバイトをしている。その勤め先のクリーニング屋が、まさかのあたしの住んでいるマンションの目と鼻の先にあるのだ。
バスを降りると、あたしは真っ直ぐその店舗に向かった。健翔はカウンターの向こうで思いっきり椅子に腰掛け、レジ台に私物のMacBookを載っけてカチャカチャと何事かやっている。お客の来ない退屈な時間帯はこうして「おれ、電算仕事してるんです」感を醸して、やりたい放題していた。実質的にはサボりだ。だからあたしが自動ドアをくぐった時、健翔は雹が降りだした時の家猫みたいにビクっと顔を上げた。
「……いらっしゃいませ?」
「うす。あ、お客じゃないから良いよ、なんか、そのままで」
「へえ。じゃあ」
そうする、と言わんばかりに、健翔は再び画面へ目を落とす。カチャカチャカチャ……そのままで、って言われてホントにできるのはすごいな。なんか疑問を持ってくれ。
「えーっと、今日来たのは健翔に訊きたいことがあってなんだけど」
「とは?」
とは? ってなんだよ。健翔はこういう風に会話の最短距離を進みがちで、冗長気味なあたしと相性がよくない。まあ、そんなのこれまでの付き合いから知れていたことなので、お望みながら単刀直入にやってやらあ、とあたしは訊ねる。
「朝烏麻路って知ってる?」
ぴたり、と健翔の手が止まったのをあたしは見逃さなかった。けれども流石の世曜高生、指が迷っただけ、というような態度で動揺を隠蔽すると、タイピングを再開しつつ答える。
「隣のクラスの、だっけ。人類最強の」
「人類最強?」
「空手と弓道、肉弾戦も遠距離もできるから」
あはは、とあたしは笑った。
「そんな風に呼ばれてんの? あんたの彼女」
エンターキーを押そうとした健翔の人差し指がつーっと滑って、レジに衝突した。ガキン、とお金の音が鳴る。健翔は「いて!」と声を上げると、あたしを見た。
「何をどう類推したらそうなる。おれと朝烏なんて対極の人種なのに」
「違うの?」
「超弩級のフェイクだ。どこで聞いた? ラルヴァでも観測されてない」
否定されたけどまだわからない。健翔はラルヴァをチェックしてるみたいだし、恋人疑惑を持たれたらこの程度の否定はするだろう。そこで、あたしは自分の目ん玉を指さして言った。
「あたしが見た。あんたたちの一緒にいるところ」
そうして、あたしはあの日行ったお祭りのやってた神社の名前を口にしてやる。
これが効果てきめんで、健翔の表情が一気に強ばった。やっぱり、世曜高生の目を避けるように、わざわざ遠方のお祭りまで足を運んだらしい。そう思うと、あたしがあの場所にいたことが酷い運命の悪戯に思えて気の毒になってくる。
「……それで?」
健翔は短く言った。強がってる。あたしはひらひらひら、と手を振ってみせた。
「いや、だから確認にきたの。正直、健翔と朝烏麻路が一緒にいたところをちゃんと見てたわけじゃないから」
そう。あたしは健翔のことはばっちり認識できたけど、彼女の方まではしっかりと見られなかった。ラルヴァに投稿するか? いいや、しないね、みたいな脳内茶番で忙しかったし、結局投稿しなかったことからも、正直あの時点ではふたりの恋路に強い興味がなかった。
そんなあたしの無関心をぶち壊しにしたのが朝烏麻路本人だったわけだけど、よくよく思い出してみると、おかしいところがある。
健翔の彼女は遠目からわかるほどに浴衣をばっちり可憐に着飾り、誰がどう見ても夏祭りがっつりエンジョイデートコーデだった。でも、後にあたしを急襲してきた朝烏麻路には、そこまで色気を感じなかった。今でも目を閉じればあの、首を絞められた光景が思い浮かぶけど、やっぱり殺意しかない。というか、ちゃんと着付けた浴衣で、割と離れた場所にいたあたしにあんな短時間で接近するなんてありえないし、そもそもやっぱりデートしながらあんだけの人混みの中にいるあたしを見つけるなんて、もうそれは前世で悲劇的な別れをした、厚い主従関係で結ばれたふたりじゃないとできない芸当だ。
「……確かめてどうする」
健翔は棘のある声で訊いてくる。
「いや、知りたいだけでどうもしないよ。だって、あたし別にラルヴァに興味ないもん」
「嘘だ。兎褄は購買ダービーを楽しんでた」
あれで楽しんでるように見えんのかい。あたしは呆れる。
「楽しんでたのは外野でしょ? あたしは欲しいものを取られる前に買いたくて走ってただけ。全然興味ないからこそ、お馬さんやってたんだよ。第一さ、健翔をダシにリアクション乞食したいなら、もうとっくにあることないこと書き込んでお祭り起こしてるから」
「……確かに。でも、理由として不十分だ」
健翔はあくまで慎重に言うので、あたしは焦れったくなってきた。
知りたい理由なんて、決まり切ってる。そんなの朝烏麻路の──。
あれ?
朝倉麻路、と言いかけた喉の形のまま、あたしは凍り付く。
あたし……朝倉麻路のことをもっと知りたいから、って言おうとした。
そして、その気持ちの裏には、朝倉麻路が健翔と付き合ってなかったらいいな、という卑しい感情があることにも気づいてしまった。
そして、そのもっと奥に潜んでいる感情にも──。
どっと顔が熱くなった。あんまりにも劇的な変化だったのか、健翔も驚いた顔をしている。
「ど、どうした……」
「……ど、どうしよう」
「どうしようって……何が」
「あたし、朝倉麻路のこと好きかも……」
「……は?」
あたしは、あの日に押さえつけられた首元を両手で触れる。
自分でもわかるくらい熱く、脈を打っていた。
「あのお祭りの日さ、健翔たちのこと観察してたら、朝倉麻路に見つかって首絞められて脅されたんだよね。絶対に言いふらすなって。ずっとお前を見ているからなって……」
「そんなことが……」
「それで夏休み明けたらさ、ずっと、本当にずっと、あたしのことを監視してくるようになったの。文武両道才色兼備人類最強の朝烏麻路にだよ。そんなの、もう……嬉しいじゃん」
「……ん?」
「あんな高嶺の花子さんが常に、殺しそうな目付きであたしだけ見てるなんて、気持ちよすぎるじゃん! 快感すぎるじゃん。そんなの……好きになっちゃうじゃん……」
「おれは何を聞かされてる?」
「ああん? なんだ? 清らかな乙女の悩みだろうがよ!」
「性癖では」
「よしんばそうであっても両立するだろ!」
あたしは自分が何を言ってるのかわからなくなってきた。「よしんば」なんて、初めて口にしたわ。どこで聞いたんだろう。まあ、後で意味を調べるとして、使い方はあってるはず。
いずれにしたって、あたしが朝烏麻路という女に惹かれているのは本当だった。あいつからは敵意しか向けられたことないんだけど、なんていうか、こんな木っ端みたいなヤツにも気をかけてくれている、という快楽があるし、何より綺麗な匂いがしたし好きな色だった。しっかり芯の通った人じゃなきゃ、あんな匂いはまとえないと思う。だから、あの敵意にもちゃんとした理由があるんじゃないかと思えてしまう。知りたいと思ってしまう。
──なるほど、そういうことね。あたしはようやく自分の気持ちに整理をつけられた。ふうう、と息を吐いて気持ちを落ち着けると、改めて健翔に言う。
「まあ、そういうことだから、朝烏麻路に彼氏がいるかどうかは気になっちゃうの」
「……兎褄はあの祭りの日に見たことを広める気はないんだな」
「うん。んなことしたらあたし、朝烏麻路に殺されちゃうし、そもそも健翔が誰と付き合ってようがお幸せに、以外何の感情もない」
その辺は我ながらドライなところで、ぶっちゃけ健翔のことはどうでもよかった。
あたしの返答に健翔は心底複雑そうな表情を見せ、それから「じゃあ、信じて言うけど」と切り出した。
「あの日、おれは朝烏がいたことを知らず、兎褄の存在も口封じのやり取りも知らされていない。以上だ」
あたしの心臓が跳ねた。えーっと、デート相手がその場にいたことを知らないなんて、天地がひっくり返ってもあり得ないからつまり──朝烏麻路は本当に健翔の彼女じゃないんだ。
よかったー! あたしはゲスいのを承知で心の中で叫ぶ。
「よかったー!」
あ、声にも出ちゃった。健翔は大層微妙そうな顔をする。ごめん。
ま、これで気持ちがすっきりするぞ、と思いきや、当然のように別の疑問がところてん式に押し出されてやってくる。
「じゃあ、何で朝烏麻路はあんたたちを庇うような真似してるわけ?」
健翔と朝烏麻路は特段、大した絡みはなさそうだった。たまたま居合わせるわけもない。理由がなければ狂気の沙汰だと思う。
「……さあ。本人に当たるしかない」
健翔はむっつりと言った。なんか知ってそうだな、と直感したけど、これ以上踏み込むのは難しそうだった。
「わかった。教えてくれてありがと」
「ん」
あたしのお礼に健翔は短く答えると、視線をパソコンの画面に戻した。そして会話の終わったゲームのNPCみたいに、カチャカチャカチャ……と無表情にキーボードを打ち始める。何をやってるのか知らないけど、切り替えの速いヤツだ。もうちょっと余韻があってよくない? こんな得体の知れない男と付き合う女は、一体何を考えてるんだろうか。それを庇護する朝烏麻路も──。
あたしは何か釈然としない気持ちで店を出た。
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