2-1 二年生・八月

 麻路のことを嫌というほど意識するようになったのは、付き合うことになる日から遡って四ヶ月前、あたしが誕生日を迎えて十七歳になったばかりの八月の日のことだった。

 あたしはいくつもの県境を越えたとこにあるパパ方のおじいちゃん家にいた。ガキんちょだった頃は、住宅しかない地元のつまらんベッドタウンよりもこの典型的なド田舎が大好きで、ドブ川を浚ってザリガニを捕まえてはハサミをもぎってコレクションしたり、姉の藍子あいこを田んぼに突き落として大喧嘩したり、おばあちゃんと畑でリアルモグラ叩きをしたりして、肌をこんがり真っ黒けっけにしたものだけど、今は青春ど真ん中の十七歳で温暖化の激しい昨今、過剰に燦々な太陽の下を走り回ろうだなんて気力は全く起こらず、おじさんたちが無言でテレビを眺め、おばさんたちが芸能人のゴシップを無限に喋っている居間から外れた縁側に寝そべり、学校の課題をこなすつまらない日々を過ごしていた。

 いいのか、こんなので、あたしの高校生活──。

 リリン……と鳴る風鈴の下、あたしは憂いていた。世曜高校ははちゃめちゃに高偏差値の進学校として有名だった。それなりに立地も良くて制服は可愛い、設備も充実していて進路の選択肢も豊か。入ることができれば素敵な学園生活が待っている──そんな青い春色満開な想像をしていたのに、蓋を開けてみれば、裏SNS的なラルヴァで悪目立ちしないようコソコソするような生活だった。

 正味のところ、あたしはラルヴァでなんと噂されようとほとんど気にしなかった。

 購買ダービーという催しはもともと「購買で大人気商品を買うと名前を晒される」という悪習があったところを、あたしが気にも留めずに一番乗りで買い占め続けていたら、そのうちにラルヴァで変な盛り上がりを見せて競技化したものだ。結果、生徒たちは気兼ねなく購買を使えるようになり、繁盛した購買部は夏休み中に改装を行って規模が大きくなるらしい。

 あたしは特に嬉しくもなかった。憤然だった。なんだよ、あんたら、ほんとは購買で買い物したかったんじゃん。それをたかが、匿名の誰かに名前を晒されるのが怖いってだけで、その欲求を引っ込めやがってよう。なんなんだ。

 この事象は購買だけのことじゃない。服装や容姿、成績や交友関係にも及び、例えば、誰かが大胆に髪をばっさりショートヘアにしようもんなら、ラルヴァは理由の詮索大会会場になる。何年何組の○○、何で今の時期に髪切ったの? 恋人と別れたのかな。いや、いなかった気がするけど。部活の大会があるからじゃ? あの子暑がりだからそれかも──なんて、心底どーーーーーーーでもいい議論が花開く。そして繊細な人だと、話題に上げられるだけでもショックを受けて学校を休んでしまうらしい。人のことは平気で喋るくせに、自分が俎上にあがるのは嫌だ。うーん、アホらしく見えるけど人間ってそういうものかも知れない。特にうちの学校にはそういうのがうじゃうじゃいる。

 ハッピーハイスクールライフを送りたかったあたしにとって、この環境は大問題だった。あたし自身がなんと噂されても構わなくても、他の人にとっては良くない。あたしと関わるとラルヴァに書き立てられると怖れて、誰もあたしと遊んでくれない。お喋りはしてくれるけど一線を引かれてる感じがある。そして、ラルヴァを通して、幽霊のようにあたしをじっと見つめている。

 あたしが不満なのは全部これだった。みんな、本当は思い思いの楽しい学校生活を送りたいと思っているはずなのに、その欲求を引っ込めて、我慢して、抑圧して、抜け駆けする誰かがいないかを監視し合っている。

 そんな我が学び舎があたしは心底嫌いだ。でも、何を憎めばいいんだろう。ラルヴァは束縛されたサイバー空間からの解放を目指して作られた場所だったはずで、立ち上げたOBやらOGやらを貶すのはお門違いな気がする。なら、締め付けの厳しい校則を恨めばいい? でも、勝手にラルヴァを盛り上げ、勝手に見られるのを怖れる文化を作ったのは生徒自身だから、先生たちは関係ない。そして、生徒は加害者であり被害者でもあるから滅ぼすわけにもいかず──なんてこった、あたしたちには倒すべき悪役がいない!

 そういうわけで結局、あたしもみんなと同じように、没個性的でつまらない学校生活を強いられているのだ。あーあ、こんなことなら、もっと身の丈にあった高校を選んでおくべきだった。はっきり言って、あたしは世曜高校の要求学力に全然見合ってない。中三の時、模試で超偶然にハイパー上振れを起こして偏差値八十オーバーとかいうバグったような結果を叩きだし、ゲラゲラ旗印のように掲げては、半ば冗談で世曜高校の特別推薦枠に応募したら選考を通ってしまい、面接試験も得意のハッタリで突破してしまったのが運のツキだった。

 でもさ、行けそうなら行きたいじゃん。手が届きそうなら、伸ばしちゃうじゃん。エリート高校っていうの、憧れじゃん……。

「んだーっ! わかんねー!」

 あたしは課題の詰まった激ムズ冊子を放り投げる。欲をかいた結果がこれだ。学校生活は大して盛り上がらず、勉強は難易度激高でほとんどついていけない。逃げるようにやってきた田舎はあっちーし、こっちはこっちでくだらねー噂話と無気力、親戚のガキんちょのわめき声、近くの竹藪からけたたましい蝉時雨でうっせーし、耐えて地元に戻れば成績不良を補うための補習三昧、嘆き桃の木山椒の木……。

 過剰なストレスにやられたあたしは、庭に裸足で仁王立ちして絶叫した。

「あああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」

 魂の叫びが遠くに見えるナントカ山にこだまする。「あ、碧子が狂ってる」と、これまた退屈そうな姉の藍子がぼそっと言うだけで、あたしの絶叫なんてガキんちょの頃から見慣れている親戚たちは無反応。悲しい。あたしは何にも変えられない。無力だ。こうやってあたしの青春は公園に展示されてる引退した機関車みたいに錆び付きながら終わっていくんだ。

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