本作品は、人に観られる事がモチーフだ。恐怖が次第に快感に変わり独占欲すら抱き始める。妄想が現実を汚染し始め主人公は狂い出す。
主人公は狂っている。しかし、それは現代ではありふれた事だとも思う。
被害妄想というのは、思っているよりも多くの人が抱いている物で、特に思春期にはパラノイアになってしまう事も多々あるらしい。
多々あるらしい、というのは『ヒトラーの脳との会話』に書かれていたから私がそう思っているだけで、『ヒトラーの脳との会話』の作者が《《信用できない作者》》なので、私もこの発言に信を置けない所がある。
観られる、というのは恐怖である。パラノイアのよくある症例には、人工衛星で監視されているというのがあるが、お前は範馬勇次郎か?とツッコミたくなることを真面目に信じていたりする。もっと共感しやすい例だと、教室のみんなが自分の悪口を言っている、等もパラノイアに含まれる。
観られるということは恐怖なのだが、同時に快感にもつながる。承認欲求とは現代のSNS社会では腐るほど目にする様に、人に観られるという事に現代人は溺れている。主人公と同じように人の視線に狂っているのだ。