第42話
高橋香織が深々と頭を下げ、ぎこちない笑顔を浮かべた。
「初めまして、高橋香織と申します。本日は、面接の機会をいただき、誠にありがとうございます」
菜々美は、目の前の光景に、言いようのない苛立ちを覚えていた。数年前、彼女は同じように頭を下げ、必死に仕事を求めていた。あの時の自分を、高橋香織は一体どんな目で見ていたのだろうか。
高橋香織は、さらに続けた。
「これは、ほんの気持ちばかりですが……お土産にどうぞ」
そう言って、高橋香織は、丁寧に包装された箱を差し出した。箱には、高級ブランドのロゴが印字されていた。
「イタリア製カシミヤのマフラーです。肌触りがとても良いので、ぜひお使いください」
高橋香織は、必死に笑顔を作っていた。
菜々美は、無言だった。差し出された箱を、一瞥だにしなかった。
高橋香織の笑顔が、引きつった。
「……あの、迷惑でしたでしょうか?」
高橋香織は、不安そうに尋ねた。
菜々美は、ゆっくりと顔を上げ、冷たい視線で高橋香織を見つめた。
「高橋さん、あなたは、私に何を期待しているのですか?」
菜々美の言葉は、氷のように冷たかった。
高橋香織は、言葉を失った。菜々美の視線に射抜かれ、まるで、罪を暴かれたかのような気分になった。
「……私はただ、ご挨拶をしたかっただけです。それに、少しでも、好印象を与えたくて……」
高橋香織は、弁解するように言った。
「好印象?高橋さんは、私に好印象を与えることで、何を手に入れたいのですか?このアトリエシノハラでの、仕事ですか?それとも、それ以上の何かですか?」
菜々美は、さらに問い詰めた。
高橋香織は、冷や汗を流しながら、首を横に振った。
高橋香織は、菜々美の反応を訝しみながらも、そっとマフラーを机に置いた。
次の瞬間、菜々美は、まるで獲物を狙う猛獣のように素早く、マフラーを掴み上げ、ゴミ箱へ叩きつけた。
「え!?」
……そんな、まさか。
「本当に?高橋さんは、自分の才能と経験だけで、この会社に貢献できると、本気で思っているのですか?過去の栄光に縋るのではなく、今の自分自身を、見つめ直したことがありますか?」
菜々美の言葉は、高橋香織の心を、容赦なく抉り出した。
高橋香織は、言葉を失い、俯いた。彼女は、自分が、どれほど惨めな状態にあるのかを、改めて思い知らされた。
「……申し訳ありません。余計なことをしてしまいました」
高橋香織は、小さく呟いた。
菜々美は、何も言わずに、高橋香織を見つめていた。彼女の目には、憐みや同情の色は、一切なかった。
高橋香織は、ゆっくりと立ち上がり、深々と頭を下げた。
高橋香織の顔から、血の気が引いた。秘書の高井まどかも、まさかの展開に言葉を失い、金縛りにあったように固まっている。
菜々美は、氷点下の視線を高橋香織に突き刺し、鬼の形相で怒鳴りつけた。
「初めまして?(笑)笑わせるわね!わたしに、よりにもよって、こんな安っぽいブランドのマフラー?バカにしてるの?!!」
香織は、菜々美のあまりの剣幕に、完全に打ちのめされていた。
「以前、私の大切な祖母のお守りを、ゴミ箱に捨てたこと…覚えてる?」
菜々美の言葉は、過去の罪を暴き出す刃のようだった。
高橋香織は、理解が追いつかず、ただただ立ち尽くしていた。
菜々美は、高橋香織を見据え、「高橋さんはお帰りよ!」と言い放ち、高井まどかに「高井さん、ご案内して」と促した。
高橋香織が数歩進んだところで、ふと立ち止まり、振り返った。そして、いたずらっぽい笑顔を浮かべた。
「……高橋さん、もし、よかったら、うちで働いてみない?」
高橋香織は、驚きのあまり、言葉を失った。まさか、菜々美から、そんな言葉が飛び出すとは思ってもみなかった。
「……え?あのアトリエシノハラで、ですか?」
高橋香織は、信じられないといった様子で尋ねた。
菜々美は、頷いた。
「ええ、そうよ。過去のことは水に流して、一からやり直してみませんか?もちろん、簡単な仕事から始めてもらうことになると思うけど……」
菜々美は、肩をすくめて笑った。
菜々美はゴミ箱から拾ったマフラーを自分のクビに巻いた、ね?どう?似合うかしら?(笑)
微笑む菜々美
「……でも、なぜ?私を、信用できるんですか?」
高橋香織は、戸惑いを隠せない様子で尋ねた。
菜々美は、ニヤリと笑った。
「信用?そんなもの、最初から期待してないわよ。ただ、あなたに、もう一度チャンスを与えてみたいだけ。それに、わたしは社長だから(笑)少しくらい、わがままを言ってもいいでしょ?」
菜々美の言葉に、高橋香織は、思わず笑みをこぼした。
「……ありがとうございます。ぜひ、働かせてください」
高橋香織は、心からの感謝の気持ちを込めて答えた。
菜々美は、高橋香織の肩を抱き寄せ、明るく言った。
「いいわ!飲みにいこ!これから!」
しばらくして、菜々美の携帯電話が鳴り響いた。
「……もしもし?」
菜々美は、電話に出た。
「社長、何をしてらっしゃるんですか!一体、どこにいるんですか!」
電話の向こうから、秘書の高井まどかの、けたたましい怒鳴り声が聞こえてきた。
高橋香織は、あまりの剣幕に、思わず身を縮こまらせた。
菜々美は、携帯電話を耳から少し離し、呆れたように言った。
「うるさいわね!今、ちょっと大事な話をしてるの!」
そう言うと、菜々美は、通話をプチッと切った。
高橋香織は、菜々美の行動に、目を丸くした。
「……大丈夫なんですか?」
高橋香織は、心配そうに尋ねた。
菜々美は、ケラケラと笑った。
「大丈夫よ!今日はめでたいから(笑)ちょっとくらい、サボってもバレないわよ。さあ、行くわよ!」
菜々美は、高橋香織の手を引き、タクシー乗り場へと向かった。
高橋香織は、事態が飲み込めないまま、菜々美に連れられて、夜の街へと消えていった。
タクシーの中で、高橋香織は、菜々美に尋ねた。
「……あの、社長。本当に、私を雇ってくれるんですか?過去のことも、全部知っているのに……」
菜々美は、高橋香織の目を見つめ、真剣な表情で言った。
「高橋さん、私は、あなたの過去を、決して忘れません。でも、それは、あなたを責めるためではありません。あなたには、過去の過ちを乗り越え、新しい自分になるチャンスがある。そう信じているから、私は、あなたを雇うんです」
菜々美の言葉に、高橋香織は、胸が熱くなった。
「……ありがとうございます。私は、必ず、あなたの期待に応えます」
高橋香織は、力強く答えた。
その夜、菜々美と高橋香織は、夜通し飲み明かした。過去のわだかまりを全て打ち明け、笑い、泣き、語り合った。
二人の間には、不思議な友情が芽生えていた。かつての敵同士が、今や、互いを支え合う、大切な仲間になろうとしていた。
高橋香織の人生は、再び、輝きを取り戻そうとしていた。
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