第38話


青森県八戸市


八戸駅のホームに降り立った菜々美は、深く息を吸い込んだ。冷涼な空気が肺を満たし、都会の喧騒とは異なる、どこか懐かしい匂いが鼻腔をくすぐる。


「八戸、やはり空気が違いますね」


隣に立つ高井まどかが、周囲を見渡しながら呟いた。


「そうね。東京とは違う、澄んだ空気でしょう?」


菜々美は微笑みながら答えた。故郷の空気は、彼女の心に安らぎを与えてくれる。


駅の改札を出ると、一人の女性が笑顔で手を振っていた。


「菜々美!よく帰ってきたわね!」


声をかけてきたのは、菜々美の母であり、アトリエシノハラの会長、篠原こずえだった。こずえは、若々しく、エネルギッシュな女性だ。その姿には、長年アトリエシノハラを率いてきた貫禄が漂っている。


「お母様!」


菜々美は駆け寄り、こずえと抱き合った。


「まどかさんも、遠いところをようこそ」


こずえは、高井まどかにも笑顔で挨拶をした。


「会長、お世話になります」


高井まどかは、丁寧に頭を下げた。


「さあ、車に乗りましょう。まずは腹ごしらえよ。八戸に来たなら、美味しい魚介を食べないとね」


こずえは、そう言うと、駐車場に停めてあった車へと案内した。


車に乗り込み、最初に訪れたのは、地元の漁港近くにある食堂だった。新鮮な魚介類を使った料理は、どれも絶品だった。菜々美は、久しぶりに故郷の味を堪能し、こずえと近況を報告し合った。


「菜々美が社長になるなんて、本当に嬉しいわ。八重も、きっと喜んでくれているでしょうね」


こずえは、目を細めて言った。


「おばあちゃんの教えを胸に、頑張るわ」


菜々美は、力強く頷いた。


昼食後、一行は、レンタカーに乗り換え、八重の眠る墓地へと向かった。墓地は、小高い丘の上にあり、八戸の街並みと太平洋を一望できる場所にあった。


墓石の前に立ち、菜々美は静かに手を合わせた。


「おばあちゃん、ただいま。アトリエシノハラの社長になったよ。おばあちゃんが教えてくれたことを忘れずに、精一杯頑張るからね」


菜々美は、心の中でそう語りかけた。


高井まどかとこずえも、菜々美に続いて、墓前で手を合わせた。墓石には、優しく微笑む八重の写真が飾られていた。


墓参りを終えた後、菜々美たちは、こずえの運転で、菜々美が幼い頃に住んでいた家へと向かった。家は、昔の面影を残しつつも、綺麗に手入れされていた。菜々美は、家の中を歩き回り、幼い頃の思い出に浸った。


「あの頃は、毎日おばあちゃんと遊んだわね。一緒に畑仕事したり、海に行ったり……」


菜々美は、懐かしそうに呟いた。


「八重は、本当に菜々美のことを可愛がっていたわ。いつも『菜々美は、きっと立派な女性になる』って言っていたのよ」


こずえは、優しい眼差しで菜々美を見つめた。


夜は、こずえの手料理を囲み、家族水入らずの時間を過ごした。昔話に花が咲き、笑い声が絶えなかった。


故郷での時間は、菜々美の心に活力を与え、明日からの仕事へのエネルギーを充電させてくれた。しかし、心の奥底には、高橋香織への復讐という、もう一つの目的が、静かに燃え続けていた。

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