第37話
アトリエシノハラ 社長室
広々とした社長室。まだ新しい革の匂いが漂う椅子に、片岡菜々美は深々と腰掛けた。視線の先には、磨き上げられたデスクと、大きく広がる東京の景色。数年前までは想像もできなかった光景だ。
「社長、よろしいでしょうか?」
秘書の高井まどかが控えめに声をかける。
「ええ、どうぞ」
菜々美は短く答えた。表情は引き締まり、眼差しは強い意志を宿している。
「先ほど、新幹線のチケットとホテル、それからレンタカーの手配が完了いたしました。明日の朝、東京駅発の新幹線で青森へ向かいます」
「ありがとう、高井さん。助かるわ」
菜々美は軽く頷いた。社長就任が決まってから、やらなくてはならない事が2つある。一つは、青森に眠る祖母、八重のお墓参りだ。アトリエシノハラの創業者である八重は、菜々美にとって特別な存在だった。今の自分があるのは、八重の教えと愛情があったからこそ。必ず成功を報告し、感謝の思いを伝えたい。
そして、もう一つ。
菜々美の瞳に、一瞬、冷たい光が宿った。
「高橋香織……」
呟いた声は、低く、静かだった。
高橋香織。かつて菜々美が派遣社員として働いていた会社で、彼女を徹底的にいじめ抜いた女。些細なミスを大げさに騒ぎ立て、陰湿な嫌がらせを繰り返した。あの時の屈辱と怒りは、今も菜々美の胸に深く刻まれている。
「社長、何か?」
高井まどかは、菜々美の様子を心配そうに見つめた。
「いえ、何でもないわ。それより、青森へ向かう準備をお願い。それから、高橋香織……彼女の現在の状況を調べて頂戴」
菜々美は、わずかに口角を上げた。その笑みは、美しいが、どこか危険な香りがした。
新幹線の中
翌朝、菜々美と高井まどかは、東京駅にいた。改札を抜け、新幹線のホームへと向かう。早朝にも関わらず、駅は多くの人で賑わっていた。
「社長、お疲れではありませんか?何か必要なものはありますか?」
高井まどかは、常に菜々美の体調を気遣っている。
「大丈夫よ、高井さん。あなたは本当に優秀ね」
菜々美は微笑み、高井まどかの肩に軽く手を置いた。
新幹線に乗り込み、窓際の席に座る。車窓から移り変わる景色を眺めながら、菜々美は静かに瞑想した。
青森へのお墓参り。それは、過去との決別と、新たな決意表明の旅。
そして、高橋香織への仕返し。それは、長い間燻っていた炎を、再び燃え上がらせる儀式。
菜々美は、静かに目を閉じた。アトリエシノハラの社長として、彼女は、これからどんな道を歩むのだろうか。そして、高橋香織は、彼女の前にどんな形で現れるのだろうか。
列車の加速とともに、菜々美の心は、静かに、しかし確実に、高揚していった。
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