愚行証明
ささやか
炙りサーモンが好きだった
「父の仇をとりたいのです」
夜半に訪れたアルマンコブハサミムシは開口一番に言った。
玄関口に立つアルマンコブハサミムシは小学生くらいの大きさで、まだ成体になっていないようだった。かなり若いのかもしれない。
どうすればいいのかわからず、かと言ってこのまま玄関口でコミュニケーションを継続するのも何やら不適当に思われ、俺はやむなくアルマンコブハサミムシをリビングに通した。
アルマンコブハサミムシは玄関口では後脚で立っていたが、後脚の靴を脱ぐと前脚と中脚も使い、六本脚で移動し大きなハサミのついた尾肢をふりふり俺の後をついてくる。
「そっち方が楽なんですか」
「ええ速いですし。でも手が汚れちゃうので外ではできないです」
「なるほど」
どうでもいいことを尋ねてしまったのは、やはり多少なりとも動揺があったからだろう。動揺のまま麦茶を用意し、リビングの椅子にちょこんと座ったアルマンコブハサミムシに差し出す。アルマンコブハサミムシはお辞儀をしてから麦茶をくぴりと飲んだ。
そうして滔々と仇討ちの動機を語りはじめる。アルマンコブハサミムシの父親はハサミのてかり具合が気にくわないと因縁をつけられ、頭部を潰されて殺されたという。人間以外の知的生物への理解が進んでいない時勢であったことを鑑みてもそれはあまりに理不尽で、復讐を決意するのも共感できるところであった。
「それで最近ようやく父の仇が静岡県の松崎町にいるという情報をつかみまして」
「静岡の松崎町」
全く知らない。
「それで車出して松崎町まで連れてってもらえませんか」
「いやいやいやどうして俺が」
「昼間から公園でぼんやり缶ビール飲んでる姿が目についたんです」
「目についちゃったかー」
目についたなら仕方ない。
「運転免許持ってますか?」
「持ってるねえ」
「ひまですか」
「ひまだねえ」
「私を松崎町に連れていってくれませんか」
「車がない」
「レンタカー代、出します」
「なるほど」
こうして翌朝、俺はアルマンコブハサミムシを松崎町まで連れて行くことになった。思えばドライブするのもずいぶんと久しぶりだ。ぐんぐんと目的地まで進んでいける感覚が心地よい。金がないから絶対買えないが車を運転することは好きだった。歩いてはいけない遥か遠くの土地まで自分で行くことができる。静岡の松崎町なんて全く知らなかったがそれでも車があれば行けるのだ。
レンタカーを借りるまでに、松崎町について何か知ってるかと旅行好きの兄にメッセージを送ってみたが何も知らず、『静岡なら茶あしばいて寿司でも食ってきたら。それか伊豆とか行けば』と返答された。確かにそのとおりだ。あとで相談してみよう。ついでにどっかで兄にお土産でも買ってやろう。静岡っぽいキーホルダーとかでいいだろう。
助手席に座れないアルマンコブハサミムシは出発してから後部座席でずっとじっとしてた。ミラーで様子を確認すると、どことなく緊張しているように見えた。
「なあ、復讐なんて意味がないとか虚しいだけとかよく言われるだろ」
「言われますね」
先ほどまで彫像のようだったアルマンコブハサミムシは生命を取り戻し頭部を縦に振った。
「それでも復讐しようと思ったのはなんでなん?」
「それは」
アルマンコブハサミムシは己の考えをまとめるかのようにしばし黙った。
「それはきっと復讐するほどの価値が父にあったと証明したいからです。相手を罰したいとか滅茶苦茶にしてやりたいとかそういう気持ちがないとは言いませんが、やっぱりそれですね」
「なるほど」
俺はアルマンコブハサミムシの情動に素直に感心した。
「お父さんが好きだったんだな」
「そうですね。よく公園に連れていってくれてブランコに乗ったりしました」
「ブランコ乗れんの?」
「それが乗れないんですよ」
アルマンコブハサミムシはむくりと頭部をもたげ、朗らかに笑い声をあげた。
「いえ、当時は今より小さかったからなんとかブランコの座板に乗れたは乗れたんですけど、こいだ途端にバランス崩れて落ちちゃうんですね。私は悔しくて何度もブランコにまた乗ろうとして、その度に父がおろおろしながら支えてくれて。ああ、うん。でも幸せだったなあ」
笑い声に含まれた幸福は確かに過去形になってしまっていて、その喪失感はアルマンコブハサミムシのみならず俺の胸にも初夏にあるまじき寒々とした風が去来させた。
「山田さんのご家族はお元気ですか」
「元気だよ。さっきクソ兄貴に松崎町のおすすめ訊いたけど役に立たんかったわ。適当に寿司でも食って茶あしばいてこいって言われたわ」
「お寿司かあ、いいですね」
「復讐祝いにちょうどいいんじゃないか」
「復讐祝いってあるんですか」
「知らない。でも何事も成功したら祝えばいいんじゃないか。人生ってそんなもんだろ」
「確かにそうですね、そうしましょう」
アルマンコブハサミムシの声が未来に向かってはずむ。俺も寿司を食べるのが楽しみになってきた。
お昼休憩をはさみながら運転し、四時間ほどで松崎町に到着した。そこからはアルマンコブハサミムシの指示に従って町中を走る。父親の仇である長村なる男は働かずにパチンコ屋で賭博にふけっているということだった。
「パチンコやったことありますか?」
「あるよ。割と楽しい。運が良かったという一事をもって己が全肯定される感覚は病みつきだね」
「そんなことばっかりやってたらダメになりません?」
「なるよ」
駐車場の空き具合からするとパチンコ屋はまあまあ繁盛しているようだった。もらった写真を片手に店内に長村がいるか確認すると、確かに長村はここにいた。貧乏ゆすりをしながらしかめっ面でパチンコ台をにらみつけている。
レンタカーに戻り長村がいたことを告げると、アルマンコブハサミムシは後は自分だけでやりたいと言った。俺はその意思を尊重した。
それから長村は意外と早くパチンコ屋から出てきた。カップ酒を飲みながら大股で歩いている。眉間にしわが寄ったままだ。きっとボロ負けしたのだろう。
「いってきます」
アルマンコブハサミムシはレンタカーから降車し、長村のもとに向かう。俺は運転席からその勇姿を見送った。その黒い体表に初夏の陽光が反射し、その動きにあわせて光がゆらめく。晴れているなと思った。眩しすぎるくらいだ。
アルマンコブハサミムシは奇声をあげ、小汚いワゴンに乗りこもうとする長村に襲いかかった。その鋭いハサミが長村を捉えるはずだった。しかし長村はその中年太りした体躯からは予想だにできない俊敏な動きで必死の一撃を回避した。
「なんだてめえ! 酒がこばれただろがくらあ!」
長村は突然の暴力にもどうやらを見せず、持っていたカップ酒をアルマンコブハサミムシの頭部に叩きつけた。
ひるんだアルマンコブハサミムシをよそに長村は素早くワゴンに乗りこんで、ワゴンを急発進させた。その進行方向にはアルマンコブハサミムシが。加速した鋼鉄の塊はいとも容易く一つの生命を跳ね飛ばした。ワゴンはそのまま走り去っていくかと思われたが、念のためにと言わんばかりに引き返して倒れたアルマンコブハサミムシを轢過し、今度こそ去っていた。
レンタカーから降りてアルマンコブハサミムシに近づく。無惨に潰れた体躯が僅かに痙攣している。まだ死んでいないとしても助からないことは明白であった。そもそも助力をするべきではなかったのか、あるいは最後まで合力すべきだったのか、にわかには判断がつかなかった。
これからに迷っていると運命を指定するかのように電話が鳴る。母からだった。あのいつまでも生きてそうな兄が先ほどスベスベマンジュウガニに殺されたのだと涙声で告知される。
詳細を聞き終え、電話を切った。
俺は動かなくなったアルマンコブハサミムシを直視してからレンタカーに乗る。
愚行証明 ささやか @sasayaka
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