第3話


 二人ともだいたい食べ終わったが、昼休みの時間はまだ残っている。早く職場に戻っても消灯されているから、昼寝する以外にやることがない。

 周りを見渡すと、空いた席を探すのが難しいほど、多くの人たちが食事をして楽しんでいる。ところどころ、死んだ魚の目をして一人でモソモソと食べている人がいるような気がするが、見なかったことにしよう。

 休み時間に消灯したり、離席するときにモニタの電源オフにしたりするのはエコのためである。我らが愛する地球のためなのである。……と、どこかの偉い人たちが言い出したことだけど、エコブームなんてとっくの昔に終わっている。

 エコ概念が登場したときはそれが付加価値だったのかもしれないが、ブームが過ぎ去り、既存価値になったのではなく不要価値になった。こう言うと一部の人たちが怒り出すが、国民を代表して断言しよう。エコになって嬉しいことなんて、ない。

 ストローを紙ストローに変えても、カップの蓋はプラスティック製だし、嫌がっていたのは日本人だけだと思っていたが、新しいアメリカ大統領がブチ切れていたので、国外でも不評だったらしい。

 お店でビニール袋が有料になったけど、どうせ買っても三円とか五円なので、結局買っている。どちらにせよ、自宅で出たゴミはビニール袋にいれて、ゴミ収集場にもっていく必要があるわけだから、何の意味もない。だからといって、ビニール袋を海に捨てるのは低俗な行為だとは思し、普通の人はそんなことしない。

 インバータエアコンが人気なのはエコだからではなく、静音だからだろうと思う。

 コンバータというのは交流から直流に変換することを意味する。その対語がインバータで直流から交流に変換するという意味である。インバータエアコンという名前で呼ばれるが、内部ではコンバータで交流から直流に変換したあと、インバータで直流から交流に変換している。これにより、交流の電圧や周波数を自由に変更することができる。

 一般家庭や企業に流れてくる電流は交流だが、直流ではないのは長距離を飛ばせるからだ。交流の周波数は東日本が五〇Hz、西日本が六〇Hzと分かれているのは、明治時代からの因習である。明治、大正、昭和、平成、令和と来て、いまだに周波数が統一できていないのが不思議だが、チャットGPTに聞いたら「私にはお答えしかねます」と言われた。なんでだ。

 モーターの回転数は周波数で決まる。モーターに付属する磁石のN極とS極のペアがいくつあるかを極数と呼ぶ。ペアが一つなら二極、二つなら四極で、二の倍数で増える。モーターの回転は、一つのN極から回ってS極を通過してN極に到達したら一回転とカウントする。二極の場合、一サイクルで一回転となる。二極なら一サイクルで一/二回転だ。

 交流の周波数というのは一秒間に何回、電気的なサイクルがあるかを意味する。五〇Hzなら一秒間に五〇回、六〇Hzなら六〇回となる。

 モーターの極数が二極で、周波数が六〇Hzである場合、モーターは一秒間に六〇回まわる。一分なら三六〇〇回転となる。五〇Hzの場合、一秒間に五〇回転、一分間で三〇〇〇回転となる。回転速度は一分あたりで表現するので、式で表すと次のようになる。

 

  回転速度[min⁻¹] = 120 × 周波数 / 極数

 

 インバータ方式では周波数を自由自在に変更できるので、モーターの回転をじわじわと変化させることができる。

 なんだかんだ言っても、技術で消費電力量を抑止するのは悪いことではないのだが、近年は電気代の値上がりがエグいので、エンジニアの努力が影に隠れているのが空虚感に苛まれる。コロナ禍は三年弱で終わったというのに、コロナ禍とほぼ同時期に始まった戦争をいまだに続けているのが悪い。

「ところで、糸原の上司だっけ……あの女性の人。呼び捨てはダメだって言っていたのはなんでなん」

 定食を食べ終わった野場は口元を隠しながら、マイ糸ようじでモゴモゴさせている。歯にモノが詰まっているとイライラしてしょうがないらしい。

「ああ、あれは最近始まった職場ルールだね。お互いをさん付けで呼ぼうというやつ」

 健吾は最後に残ったからあげをパクっと口の中に放り込む。気のせいか、日に日にからあげの大きさが小さくなっている。定食の値段は上がっていないのでステルス経費削減とでも呼ぼう。

「んー、確かに呼び捨てにされると不快感を示す人は増えてきたかなという印象はある。でも、いままで上司や先輩は年下に対して名指しする習慣があるわけだから、別に気にすることないんじゃないの」

「厳密にはいつからかは知らないけれど、七年前には小学校でさん付けルールが始まったところがあるのは知ってる。あだ名や呼び捨てはたぶんに侮辱的だから、いじめにつながる」

「なるほど。でも、男の子に対して、君付けするのはオッケーじゃなくない?」

「男性優位の時代の名残とは言われているね。それがホントかどうかはわからないけど、目上の人に対しては使えないから、どことなく見下されていると感じる人もいるのかもしれないね」

「それって、結局は受け手側がどう受け取るかの問題じゃないの。ハラスメントと同じで」

 野場は納得がいかない顔で視線を上に向けて、疑問を口にする。

「それも正論だけど、お互いにさん付けで呼び合えば、対等な立場感が出るんじゃないかな。知らんけど」

「ちなみに、Teamsでメンション飛ばすときもさん付けにするの」

「それはしない。テキストコミュニケーションは会話に擬態した、単なる情報交換でしかないし、文字に感情が乗らないからね。相手に対して敬意を払っているつもりでも、相手にとっては冷たく感じることが多々あるから」

 健吾はお茶を飲もうとしたら、湯呑みが空であることに気づく。もうすぐ春だというのに、外は肌寒い。ここの食堂はフロアが大きいこともあって、暖房があまり効いていない。

「ふむ……そうすると、さん付け文化で育った子どもが新社会人になった時、職場の先輩が名指しするのはまずいってことやね」

「最近は繊細な子が増えたから泣きながら、労基にパワハラだ!って駆け込まれるかもね」

「あながち現実にありそうで、怖いなー」

 会話が途切れ、沈黙の瞬間が発生する。

 健吾は「ちょっと飲み物いれてくる」と野場に断りをいれて、席を立った。

 

 食堂内を歩いていると、重たいお盆を持って空席をさがしている人がいて、ぶつかりそうになる。お互いに身体がぶつかると、お盆の上にある食事が汚らしい床にフリーフォールするので、大変危険だ。

 ときどき、まだ一口も食べていない食事を床にぶちまけている人を見かけることもあるが、無料で代わりのメニューを提供してくれる。床掃除も食事を作っているおばさまがやってくれる。サービス精神はすごいが、床に落とした当人が掃除するのが筋だと思う。

 が、たいていの人は自分が悪いとは考えていない。

 以前、友人らと大衆食堂で外食していたとき、うっかりスプーンを床に落とした。自分でスプーンを拾おうとしたところ、「そんなことは店員にやらせておけばいい!」と友人の一人に怒られた。何をそんなに怒るのか理由がわからなかったが、あえて聞かなかった。高級レストランでは客が拾わないことがマナーらしいのだが、大衆食堂でも適用しうるマナーなのかどうかは意見が分かれる。お客様は神様という意識が潜在していて、マナーを拡大解釈しているだけのような気もする。人それぞれ、なのではあろうが、なにかモヤッとした。

 野場が言っていたとおり、利用できるお茶ディスペンサーが一台しかなく、行列ができていた。もう一台には手書きで「故障中」と書かれた紙が貼られている。ボールペンで書いたと思われるのだが端正な文字なので、思わず凝視する。

 エンジニアという職種に就いてからはパソコンでしか文字を書かないので、手書きで字を書くというシチュエーションがほとんどない。お店のスタンプカードに名前を書く、会員証を作るために紙に連絡先を書く、ぐらいだろうか。他にあったか、ぱっと思い出せない。

 食堂で使う湯呑みは小型サイズなので、お茶もお水もたいした量が入らない。自分はどちらかというと、食べるときは水分もたくさん摂る。換言すると、水分がないと食が進まない。小さな湯呑みを見ていると、子供の頃の学校給食を思い出す。

 これもトラウマだ。

 あれは幼稚園……いや、小学校の時だったか。そのどちらもだったかもしれない。給食で出される飲み物が牛乳だけで、しかも牛乳の量が少ない。少なすぎる。

 幼稚園のときはビンの牛乳で、蓋が紙だった。蓋を開けるのに失敗すると、蓋が瓶の中に吸い込まれて、二度と取れなくなる。水で薄めたような牛乳の味に、紙の味が混ざって、変な味がさらに変になる。

 小学校では紙パックの牛乳に変わったが、容量の少ない給食の牛乳から容量の少ない給食の牛乳に変化しただけだ。

 現代ではビン牛乳はどこも製造していない。顧客視点でみると、なにより空き瓶は捨てるのが億劫である。空き缶とペットボトルを捨てる場所は割とどこにでもあるが、ビンがない。以前はビンの捨て場があったが、醤油のビンがゴミ箱の外に捨ててあったのを目撃したときは、さすがに爆笑した。

 先に、牛乳を飲み干してしまい、食べ物が残ると、飲み物なしで食べるのがしんどい。食べるスピードが遅くなり、昼休み時間までに完食できなかった。昼休み後は教室の掃除で、席を教室の後ろに移動させて床掃除を全員で行うが、給食を完食するまで席でずっと食べていた。先生からは「食べるのが遅い」、「ご飯は残すなんて罰当たり」と散々怒られた。嫌な思い出だが、当時は先生の言っていることは正論ではあるし、子どもからみれば「先生の言うことは絶対正しい」と思い込んでいる。

 それにしても、お茶を入れたいだけなのになかなか行列が進まないなと思って、行列の先頭をみるとディスペンサーのお茶が残り少なくなっているらしい。誰かが担当のおばさまを呼び行っているのが視界に入ったが、すぐに人の波に消えていった。

 右手に持った湯呑みを眺める。

 待っていても暇だから容量計算でもしてみよう。

 左手の人差し指と親指でお椀の端と端を掴んでみる。感覚だが八から九センチぐらいか。

 お椀の口の部分を向こう側に九〇度回転させて、底が手前にみえるようにする。人差し指と親指で高さを測ると、だいたい五から六センチといったところだろうか。

 湯呑みを半球と仮定してみる。

「半球の体積の公式って、なんだったっけ」

 健吾は独り言を呟く。前に並んでいる知らない人が一瞬こちらを振り向いた。変な人と思われたかもしれないが、そんなことは意識の奥に追いやり、思考を巡らす。

 人生においてもっとも記憶力が高かったのは一五か一六歳の頃だった。一〇代の頃はなぜあんなにも記憶することができたのか不思議だ。この年になって新しく公式を覚えろと言われても無理である。人間が頑張って覚えなくとも、AIに聞けば即答だから、人間の堕落は加速化する。

「そうだ、半球は球の半分。球の公式ならかろうじて覚えている。確か――」

 語呂合わせで「身の上にしん……」なんとかだった気がするが、その先が思い出せない。

 が、体積の単位は長さの三乗でm³やcm³のようになるから、半径の三乗になる。だから球

の体積の公式は次のようになるはずだ。


  4/3πr³

 

 「身」が3で、「し」が4の意味だったと思う。あとでAIに聞いてみよう。懇切丁寧に、しかも無料で教えてくれる。人類はもはや語呂合わせすらも覚えなくてもよくなったのだ。だんだん頭が悪くなっていくような気もしないでもないが、無駄な記憶をする時間が浮くので、その時間を別のことに割り当てることができるとも言える。人生は限られているのだ。

 半球の公式は1/2すればよいので、こうなる。

 

  2/3πr³

 

 暗算だから円周率は3にする。子どもの頃、円周率を何桁まで覚えられるかが流行ったこともあって、いまだに「3.14159265358979」までなら、そらで言える。ただ、これが人生において何かの役に立ったことはない。

 円周率を学ぶのは小学五年生からだが、「ゆとり世代からは学校で3.14ではなく3で教えている」はデマだ。文部科学省が小学校学習指導要領を一般公開しており、西暦一九八九年の時点で下記の文言がある。

 

 『円周率としては3.14を用いるが,目的に応じて3を用いて処理できるよう配慮する必要がある.』

 

 ここの「目的に応じて3を用いて」という表現が拡大解釈されて、世間の誤解を招いたのだが、ゆとり世代のゆとり教育とは何ら関係がない。

 だが、何かと就職で苦労した就職氷河期世代の人たちからみれば、自分たちよりもぬるい環境で育った人たちのことが心底許せないのだ。生まれる時代を間違えたことで、正社員になりたくてもなれず、食いつなぐために非正規の職を転々とし、己を超えることができなかった。

 長時間労働と強烈な叱責が、絶対的に違法性と判断されることはなく、常態化していたことも労働者の心身を蝕んだことも要因のひとつだろう。

 メンタルが強く、運を引き寄せた人だけが生き残れた時代だったと言われている。自分が経験したわけではないので、ピンと来ないのではあるが。

 この件について興味があったので、文部科学省のサイトで平成29・30・31年改訂学習指導要領にある小学校学習指導要領の算数編をみたところ、「円周率は3.14を用いるものとする」としか書かれていなかった。デマが広まったので、紛らわしい表現は削除されたのかもしれない。

 思考のベクトルが別の方向を向いてしまったので、思考を戻す。

 計算がしやすいように湯呑みの直径を八センチとみなすと、半径は四センチである。

 公式に当てはめると、

 

  2/3×3×4³


となる。

 最初の乗算は二分の三かける三だから、二となる。四掛ける四は一六で、さらに四を掛けると六四である。よって、二掛ける六四で128になる。

 単位はcm³で立法センチメートルだから、容量は128mlと導ける。

 容量としては、さすがに少なすぎる。それでもヤクルト1000が100mlで、Y1000が110mlであることからすれば、それよりも多いことになる。が、いまはヤクルトが飲みたいわけではなくて、お茶がたくさん飲みたい。

 湯呑みの形は半球というよりも円柱に近いので、実際には容量は200ml近くになるのではないかと思う。

 ――ここでようやく行列の先頭に来た。お昼休みは休み時間のはずなのに、なんだか疲れる。ご飯を食べること自体にも体力を使うので、年を取るほど食べられる量が減っていく。もう自分も年なのかもしれない。自分ではまだまだ若いほうだという自覚はあるのだが、エンジニアは気苦労が多いからから年齢の割には疲れてしまっているか、落ち着きがない人が多いように思う。

 

 同僚が待つ席へ戻る途中、食堂の喧騒にひときわ目立つ声が耳に入ってきた。

「だからぁ! 現金なんて持ってきているわけないだろ。令和の時代に現金持ち歩くバカがいるかよ!」

 三〇代いや四〇代くらいの男性が怒鳴っている。元々、アトピー皮膚炎で赤いのかどうかはわからないけれど、顔を真赤にしている。

 それに唾があちこちに飛んで、汚い。

 周りにいる人たちも野次馬のごとく見守っているが、ただ面白がって見ているだけで、何もしない。都会はドライな人が多いから、いちいち他人事に首を突っ込まない。安全地帯から俯瞰するだけだ。

 件の男性は首に赤いストラップを下げているので、正社員であることがわかる。

 正社員は社員証で支払いができて、後日給料から天引きされると聞いた。どうやら、読み取り機がうまく社員証を認識できなかったようだ。

 食事担当のおばさまがペコペコと頭を下げながら、「もう一度機械にタッチ願います」と言い、男性が社員証をかざすが、警告音が鳴り響いた。

「何度やってもダメ。どうすりゃいいんだよ!」

 ますます、男性はヒートアップしていく。

 端から見ているだけで、面白い。

 正社員であの年齢なら、年収は七〇〇か八〇〇万くらいはあるはずだが、メンタルに全然余裕がないのだなと思う。立場があって責任が重く、ストレスが半端ないかもしれない。お金では幸福を買うことはできないということを地で行っている感じがする。

 それにしても、つくづくキャッシュレス決済はシステム障害に弱い。

 少し前に、ETCで大規模なシステム障害が発生したときは、通常なら三〇分の道のりが三時間もかかったらしい。高速道路なのに高速ではないなんて、ギャグにしか思えないが、ドライバーに取っては笑い事ではない。

 普段、車に乗らない人にはピンと来ないが、トイレ休憩に困る。高速道路ではパーキングエリアやサービスエリアにしかトイレがない。つまり、高速道路で渋滞すると、詰む。

 男性だったら、道端で済ませばよいが、軽犯罪法違反で公然わいせつ罪に該当する可能性がある。よくおっさんが道端の草木や田んぼに向かって立ちションする姿をみかけるが、飼い犬のほうがまだ賢い。

 件のETC大規模障害に関しては、通行料金を後払いせよと言っていたそうだが、自己申告なので払うも払わないも個人の自由だと思う。お金を払わなくても、不正通行にならないと国土交通省が見解を出している。

 伝統的な日本のおもてなしとして、お客様にご迷惑をおかけしたのだからお金を取るなんてとんでもない、というのが国民感情であるのは間違いない。

 二〇〇七年に早朝に起きた首都圏の駅の改札機が起動しなかったシステム障害では、利用客を素通りさせている。当時、JRが改札機の製造会社に訴訟を起こしたのかどうか、チャットGPTに聞いてみたが、わからないと言われた。

 エンジニアやっていると他人事ではないので、安易に揶揄するのも躊躇う。

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