第36話
異形種の双眸が、俺を見据えていた。その青白い瞳孔は左右で異なり、まるで別の生物がふたつそこに棲んでいるような、不気味な違和感を漂わせていた。
俺は反射的に構える。が、異形種はすぐには動かない。不規則に脈動する肉塊が、背中でドクン、ドクンと音を立てて膨らみ、収縮している。そこから滲み出す光は、セリオンが死ぬときに出す光と同じ、つまりステラエネルギーだ。
星肌を持ち、ステラエネルギーを内包しながらも、明らかに“異質”だ。感じるエネルギー量的にはⅤ級程なのに、存在感はフォルティラスと同等に感じる。
未知の存在と言った方が近いかもしれない。
「ナオくん!」
聞き慣れた声が、背後から響く。
振り返れば、木々の影からアイラが駆け寄ってきていた。土埃と闘いの匂いが混じる中、彼女の表情には明らかな動揺が浮かんでいる。
「大丈夫……!?」
「ああ。俺は大丈夫。だが……」
――その時、
異形種の体表から、ぬめった液体がじわりとあふれ出す。そのまま身体を粘液状に変化させるようにして、触手の中でもがくフォルティラスの身体を、少しずつ覆っていく。
分厚い甲殻が粘液に沈み込み、要塞のようだった巨体が、異形種の体内に溶かされていくように呑まれていった。音もなく、ゆっくりと。まるで底なしの沼に落ちていくかのように、フォルティラスの装甲が、脚が、尾が、消えていく。
それは、まるでフォルティラスを吸収しているかのようで――
「こいつ……もしかしてフォルティラスを喰ってんのか……!?」
まさに、それは食事だった。
粘液に包まれたフォルティラスは、胃液に溶かされるようにその形を崩していく。あの頑丈だった甲殻すら、粘液の中で溶かされていき、青白い光に変わっていく。
そして、その光すら、異形種に吸い込まれるようにして吞まれていった。
「な、に……これ……」
「セリオンがセリオンを喰う、そんな話聞いたことねえが……アイラは何か知ってるか?」
「ううん、私も知らない……こんなの初めて見た」
そうしている間に、フォルティラスがいた痕跡が全て消え去った。
あとに残るのは、異形の怪物だけ。
――ドクン
突如、異形種の背中に浮かぶ肉塊が、急激に脈動する。
ドクン……ドクン……ドクン!!
そのリズムが、まるで心臓の鼓動のように速く、強くなる。
「……ッ」
背後でアイラが小さく息を呑んだ。異形種の体内から、青白い光が漏れ始める。光は異形種の体内を走り、背中の肉塊を中心に異形種の全身を駆け巡る。
そして──
ドクン、と。
音が鳴った。振動が、足元の地面に伝わる。
「……ステラエネルギーが増えていく……!?」
アイラの声に、俺は目を凝らす。
アイラの言う通り、異形種から感じるエネルギー量が急激に増加していく。ついさっきまではⅤ級セリオンほどだったのに、それが今ではフォルティラスに匹敵するエネルギー量だ。それと同時に、異形種の本体——先ほど粘液のようにフォルティラスを呑み込んだ身体が、うめき声とともにうねり始めた。
粘液のようだった外皮が弾け、下から異様に発達した筋組織が浮かび上がる。それを包むようにして、鈍く光る装甲が、骨のように形成されていく。
背中の肉塊が膨れ上がり、次々と新たな触手を生み出す。それはまるで植物の根のように周囲に伸びていく。どんな草木よりも太く、しなやかで、獰猛だった。数十本に及ぶその触手は、まるで意思を持っているかのようにうねり、空気を裂いて踊り出す。
異形種の本体は──あっという間に、十メートルを超えていた。
その全容が現れたとき、思わず言葉を失った。まるで、植物と肉の融合体。無数のツタと脈動する内臓、歪んだ頭部、そして星肌に包まれた禍々しい外殻。
「まさか、進化したっていうの……!?」
アイラが震えた声を漏らす。俺も、呑まれそうになる焦りを押し殺しながら、拳を握り直した。
「……帰還しよ……! 試験は中止、今すぐ――」
「アイラ! どうやら、手遅れみたいだ……!」
異形種の瞳が、ゆっくりとこちらへと向く。まるで、新たな標的を選び直したかのように。青白く光る双眸に、確かな殺意を感じた。
異形種が完全に姿を変えたその瞬間、地響きが鳴る。
全身から滴るように粘液をまとわせたそれは、脈動を伴いながらゆっくりとこちらへ向き直る。無数に増えた触手が、地面を這い、風を裂き、獲物の気配を探るように空気を嗅いでいた。
「……逃がしてはくれなさそうだな」
じり、と一歩踏み出す。だが、敵もそれに反応するように触手を振り上げた。
「アイラ、俺の後ろにいろ。絶対に離れるんじゃねえぞ」
「……うん、わかった」
アイラの声に迷いはなかった。だが、瞳には緊張が走っている。
ふう……ここで俺がやられたら、確実にアイラもやられる。それは絶対に許されない。
敵の強さは未知数、でかくなる前でさえ、瀕死とは言えあの強靭なフォルティラスを一切の身動きもさせずに抑え込んだんだ。巨大化した今、どれほどの強さになっているかは想像もできない。
だが、そんなのは関係ねえ。
「ぶっ潰す……ッ!」
次の瞬間──空が裂けるような音とともに、十数本の触手が襲いかかる。
「くっ──!」
即座に跳躍、アイラに届かんとする触手を振り払うべく腕を振るった。拳で一撃、次いで跳ねるようにもう一撃。触手を弾き、時に回避しながら隙を探す。
「……チッ、硬ぇな……!」
だが、異形種の触手はただのツタではなくなっていた。フォルティラスの甲殻のように硬く、分厚い外皮に覆われていた。一撃で断ち切ることも、打ち砕くこともできない。
間を取る暇もなく、さらに数本の触手が地を裂いて迫ってくる。後退しながらも、触手の合間を縫うようにして攻撃を散らし、数本を地面に叩き伏せた。
拳を握りしめる。あの巨体、そして装甲。間違いなく、さっきまで闘っていたフォルティラスの力を継いでいる。
「ふざけんな……!」
怒りとともに踏み込む。次の瞬間、異形種の触手が一斉に躍動する。
十本、二十本ではない。森の木々をなぎ倒すほどの触手が、まるで一本の志で動く蛇のように、直臣の周囲を包囲していた。
「──ッ!」
一撃一撃が重い。触れた地面は抉れ、岩は粉砕される。拳で反撃し続けるが、ただの一発で崩せる硬度ではない。
「くそっ……本体に近づけねえ!」
完全に防戦一方だった。攻撃は届かず、動けばそこを狙われる。隙を見て前に出ようとしても、触手が壁のように道を塞ぐ。
「……まさか、捕食して強くなるとはな……!」
直臣の脳裏に、最悪の可能性が浮かんだ。こいつがさらに強いセリオンを喰らえば──どこまで進化するかわからない。
その時だった。
「ナオくん、後ろ──っ!!」
アイラの声に振り向く。
だがその一瞬が、致命的だった。
──ズルンッ!
ひと際巨大なツタが、俺とアイラの間の地面から飛び出してきた。その先端には、花の蕾のような塊がついている。
「アイラ、下がれ──っ!」
叫んだ瞬間、蕾がぱっくりと開いた。
──青黒い花弁が広がる中には、うねる雄しべのような触手と、ぬめるような粘液が広がっていた。青い触手が伸び、アイラの足元へ巻きつき、抵抗する間もなく彼女の身体が宙に引き上げられる。
「ナオく──!」
その叫びを最後に、アイラの身体は花の中へと呑み込まれていった。
「っ、あああああああああッ!!」
俺が駆け出すより早く、ツタは地面を裂いて潜っていく。花のような器が閉じられ、ぬるりと地中へと消えていった。
同時に、異形種の本体も地を割って沈んでいく。
「……てめぇ……ッ!!」
全身の血が、逆流する。何かが、はじけた。心臓が焼けつくように熱い。
ふざけんな……っ。
「アイラを返しやがれええええええッ!!」
怒声とともに、拳を振り下ろす。だが、その拳は届かない。
歯を食いしばる。視界が滲む。
「……落ち着け……っ!」
殴っても、叫んでも、アイラが戻ってくるわけじゃねえ。
今ここで焦って突っ込んで、俺が倒れたら終わりだ。アイラすら助けられず、意味なく終わってしまう。
だから今は、冷静になれ。
そう言い聞かせるように、俺は震える指先で通信端末を操作する。
「──セレン、聞こえるか」
端末のノイズが混じりながらも、数秒後に、彼女の声が返ってきた。
『ナオ? どうしたの?』
「……アイラが異形種に攫われた」
『っ……なんですって!?』
セレンの声が、一瞬にして硬くなる。
「今、あいつは地下に潜った。……多分、まだ間に合う。けど時間がねえ」
『待って、援軍を──!』
「それじゃ間に合わねえんだよ! このまま行く!」
焦りが声に滲む。
『……わかったわ、アタシもすぐに向かうから。……それまで、絶対に死なないでね、ナオ』
「……ああ。任せとけ」
通信を切る。
目の前には、異形種が消えていった巨大な穴が口を開けていた。
粘液に濡れた地面が、暗闇の奥へと続いている。空気は重く、地下からは異様な湿気と腐臭が立ち上っている。
だが、迷ってる時間はない。
あの下に、アイラがいる。
俺は、絶対に──あいつを助ける。
拳を握り直す。心の底から湧き上がる怒りを、覚悟へと変える。
そして俺は──躊躇なく、闇の底へと身を躍らせた。
光のない暗黒が広がり、次第に音も感覚も薄れていく。
でも、心は静かだった。目指すものは、ただ一つ。
──待ってろ、アイラ。絶対に取り戻す。
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