第35話


 俺は息を吸い込むと、全身の重さを脚に預け、もう一度──前へと踏み込んだ。


 フォルティラスは苦しげに唸りながら、沈んだ腰を立て直そうとしていた。だが、その動きには明らかな鈍さがあった。俺の拳を受けた胴体の継ぎ目が、わずかに歪んでいる。重装甲に覆われたこの化け物にも、綻びが生まれていた。


「……よし、そこだ」


 呼吸を深く整え、地を蹴る。

 先手はこっちだ。回り込むように斜めから近づき、右拳を振りかぶる。


 狙いは、背面の接合部。

 さっき見つけた、唯一殻が薄い部分。


「──らぁっ!」


 拳が風を裂き、フォルティラスの腰に叩き込まれる。鈍い音が響き、破片が跳ねた。

 フォルティラスが体勢を崩す。


 間髪入れず左拳を突き上げる。砕けた甲殻の間を狙い、さらに一撃。


 ──効いてる。間違いなく。


 だが、その巨体はまだ死なない。

 フォルティラスが怒りに満ちた咆哮を上げ、足を振り上げる。地面を叩き潰すように踏み下ろされたそれを、俺は跳躍で回避し、背後へと滑り込む。


「まだまだ……!」


 追撃の拳を背に叩き込みながら、素早く距離を取り直す。油断すれば、返しの尻尾が飛んでくる。巨体に似合わぬ反応速度──それがこいつの怖いところだった。


 咄嗟に身を沈め、右へ転がる。その直後、振り下ろされた前脚が地面を砕く。

 巻き上がる土煙。その中から再び姿を現すフォルティラスは、まるで怒りを燃やす要塞だった。


 それでも、俺の中の熱は冷めねえ。


「そうこなくっちゃな……!」


 すぐさま接近。フォルティラスの正面に回り、真正面から拳を叩き込む。

 わざとだ。この正面装甲には通らない。けれど、奴の意識をそこに集中させれば──


 狙い通り、フォルティラスの頭部がこちらに向く。その隙を突いて、俺は回り込み、右脚を蹴って跳躍、背面へ。


 そして、拳を連打。

 継ぎ目に、脇腹に、腰に──全ての打撃を一点に集中させる。


 フォルティラスがたまらず、尻尾で薙ぎ払う。


 だが、それも読んでいた。


「──遅えよ!」


 尻尾が来る前に、俺はさらに跳躍して空中へ。落下しながら、甲殻の裂け目へと踵を落とす。


 ──ゴギン!


 鈍い音とともに、亀裂が広がる。

 とうとう、あの堅牢な防御に、はっきりと“破壊”の兆しが見えた。


「あと……少し!」


 手応えに確信を得た俺は、拳を構え直し、突進するフォルティラスと、真正面からぶつかり合う。


 拳と甲殻。火花のように散る衝撃の中で、俺の魂が叫んでいた。


 超えてみせる。お前という壁を。


 ──その時だった。


 突如として、俺の足元の地面が蠢いた。


「……っ!?」


 次の瞬間、ずぶ、と音を立てて、地面の割れ目から何かが飛び出した。


 ──ツタ。否、植物のような質感を持ちながらうねるそれは、まるで触手だった。


 それは俺ではなく、フォルティラスの脚に巻きつく。螺旋状に絡みつき、あの重装甲の亀裂に、無理やり侵入していく。


 何が起きているのかわからず身構えた俺の前で、フォルティラスが苦悶の声を上げた。


 ──ズブリ、ズブリ


 触手は、まるで鍵をこじ開けるように、フォルティラスの内部へと食い込んでいく。


 そして次の瞬間──


 “それ”が、姿を現した。


 地面の割れ目を押し広げ、這い出てきたのは、異形の存在。


 一見すると蹲った人型のようにも見えるそれは、四肢のあるはずの位置に無数のツタのような触手が伸びうねっている。

 頭部のように見える部位は左右非対称で、まるで溶けかけた蝋細工のようにぐにゃりと歪み、左右で異なる青い瞳をフォルティラスに向けていた。

 背中にはいくつもの肉塊が蠢き、青白く発光するそれが、脈動するようにドクン、ドクンと不規則に光を放つ。まるで、生きた内臓を剥き出しにして外に背負っているかのような──悪夢のような存在。


 そして、その全身を覆うのは星肌。確かに、奴の体表にもあの星色があった。


「……セリオン……なのか?」


 だが、見たことがねぇ。

 こいつは──これまでのどのセリオンとも違う。


 混乱している隙に、奴はフォルティラスの身体へ、さらなる触手を突き立てた。


 砕けた装甲の隙間に、それは潜り込み、内部から──破壊を始めた。


 フォルティラスが絶叫を上げる。

 巨体がのたうち、地を割り、空気を震わせた。


 だが──


 奴の動きは止まらない。


 ツタのような肢が、無数に、執拗に、あの巨体を締め上げる。

 肉と装甲がミシミシと音を立て、引き裂かれ──


 ──グチャリ。


 数瞬ののち、あの要塞のようなフォルティラスが、動かなくなった。


 全身が粟立った。


 ただのセリオンじゃねぇ。こいつは──


「異形種……」


 その名が、口を突いて零れた瞬間、異業種の眼が、俺を見た。

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