第32話

「はい、じゃあナオ、今日は一日オフ。しっかり英気を養って、明日の試験に備えること」

「昨日も一日オフみたいなもんだったけどな」

「昨日は身体動かしてたから別よ。ほら、早く行きましょ」


 身体動かしてたって、ずっとベッドの上だったじゃねえか……まあ、言わねえけど。けど、腕を引くセレンの楽しげな表情に、俺は何も言えなくなって、ただ苦笑しながらその背中についていく。


 試験前日。俺たちは八王子の繁華街に来ていた。とはいえ、ここは救星者の街。街並みは綺麗に整備されてるけど、いわゆるデートスポットとは程遠い。おしゃれなブティックや雑貨屋なんてほとんどなく、並んでいるのは武器屋、防具屋、装備品の専門店ばかりだ。


 けれど、それでもセレンの顔にはずっと笑みが浮かんでいた。救星者としての日常に溶け込んだこの街が、彼女にとっては居場所なんだと、そう思わせるほどに。


「ねえ、あれ見て。新しいセリオン対応型の戦闘スーツだって。試着もできるみたいよ?」


 通りに面した店先で足を止め、セレンが指差す。マネキンに着せられたスーツは、確かに軽そうではあるが……。


「戦闘スーツなんて窮屈なだけじゃねえか」

「あら、そうでもないわよ? 薄くて軽いし、それにセリオンの攻撃にも耐えれるしね。まあ、身体の線がくっきり出るから今のところ女性人気は低いけど」

「……ほう、それを聞いたら男としては気になるな。セレン、試着してみないか?」

「ナオ、あんたね……アタシはステラビリティで十分よ」


 あきれながらも口角が上がっているセレンの横顔を見て、なんだかんだで楽しんでるのが伝わってきた。

 その後もいくつかの店を回った。ノヴァを使った装飾品を見たり、訓練用木刀を振ってみたり。  セレンは一つ一つにしっかり興味を示していて、案外こういう時間を大切にしてるのがわかる。


「ナオ、これどう思う?」

「あー、いいんじゃないか?」

「……ちょっと、ちゃんと聞いてる?」


 ジト目で俺を睨んでくるその姿が、なんとも言えず可愛くて、俺は肩をすくめた。


「でも、セレンってこういうの見るの好きだったんだな。なんか、意外だったわ」

「そう? 意外でもなんでもないわよ。強くなるためには、ちゃんといい装備を知っておくべきでしょ?」

「……確かにな。ま、いろいろと教えてくれよ」

「ふふっ、任せといて」


 その笑顔が、やけに眩しく感じた。

 いくつもの店を覗いて、そろそろ歩き疲れてきた頃。


「ねぇナオ、そろそろカフェでひと休みしない?」

「賛成。ちょうど喉が渇いてたとこだ」


 そう言いながら通りを歩いていた時、少し先の店先に立っている女性の姿が目に入った。白のブラウスにロングスカート。手にはいくつかの買い物袋。 黒髪がさらりと風になびく姿は、周囲の喧騒と不思議なほど調和していた。


「あれ? アイラじゃない」

「私服姿のアイラさんって初めて見たな」


その声に彼女もこちらに気づいたのか、振り返る。その表情は一瞬だけ驚きを浮かべたものの、すぐにおだやかな笑みに変わった。


「セレンに羽瀬くん、ふたりとも奇遇だね。……もしかして、デート中?」

「試験前の気分転換って感じっすね。アイラさんは買い物?」

「うん、薬品とかちょっとした装備の補充。それにしても、ふたりが一緒に歩いてると、やっぱり絵になるね」


 さらっと言われたその言葉に、ちょっとだけ気まずく感じる。あのバーでの話を聞いたせいか、この流れはなかなか答えづらい。

 どう返そうか迷ってると、アイラさんが口を開いた。


「……ねぇ、せっかくだし三人でお茶しない? ちょうど休憩しようと思ってたところなんだ」

「いいわね。アタシたちもちょうど休もうとしてたところだったし」


 セレンがすぐに乗ってきたので、俺も自然に頷く。


「俺としても、アイラさんと一緒なら嬉しいっすね」

「ナオ……?」


 隣からじとっと刺さる視線。アイラさんは、そんな空気も楽しそうに受け流す。


「ふふ、じゃあ決まり。近くにね、私のお気に入りのカフェがあるの。案内するね」


 そう言って、軽やかに歩き出すアイラさんの後ろ姿を追って、俺たちも静かに歩を進めた。そうして三人で向かったのは、路地裏の奥にある小さなカフェだった。木目調のインテリアに、天井にはアンティークな照明。ゆったりと流れるクラシックが、喧騒から切り離されたような空間を作っていた。


 窓際の席に座り、それぞれドリンクを頼んでしばし談笑が続く。


「ふたりって、いつも一緒にいるの?」

「ま、そうっすね。セレンの部屋に住んでるし」

「えっ、そうだったの? セレンが? あのセレンが……?」

「……何よ」


 アイラさんは肩をすくめて微笑む。


「ううん、ただ……羽瀬くんのこと、ほんとに大事にしてるんだなって思って。……最近、私のこと全然構ってくれないしね」


アイラさんが少し寂しげに、でも冗談めかして言葉を紡ぐ。


「それは……まあ、確かに。ごめんね」

「ふふ、謝ることじゃないよ。でも、なんていうか……ちょっとだけ羨ましいなって」

「アイラさんなら、俺、いくらでも話しに行きますよ」

「ふふっ、じゃあ期待しちゃおうかな。あ、でも、そんなこと言うとセレンが嫉妬しちゃうよ?」

「……別に。嫉妬はしないわよ」

「ふふっ、セレンのそういうとこ、ほんと好き」

「……そういうとこってなによ。もう、やめてよね」


 セレンが口を尖らせ、それを見たアイラさんが楽しげに笑う。


「……っていうか、アンタたち、やっぱり何かあったわよね……?」

「えー? 何もないよ? ねえ、羽瀬くん?」

「そこで俺に振らないでくださいよ」

「……怪しいわね」


 そんな会話を交わしていたところで、注文したコーヒーが運ばれてくる。

 カップを手に取ったアイラさんが、ふと真剣な表情を浮かべた。


「そういえば……昨日、旧東京世田谷地区で異形種が確認されたって。聞いた?」


 空気が少し、引き締まった。


「……府中の奥ってことっすか?」

「うん。これまでのセリオンは多少なりとも既存の生物に似ているところがあったけど、今回見つかった異形種も、やっぱり異様な姿だったって」

「また厄介なのが増えたってわけね」

「明日の試験に影響とかあるんすか?」

「今のところ予定通り実施予定ね。でも、油断はしないで。何が起こるか分からないそれが星侵領域だから」


 言葉の重さが、空気に染み込んでいく。だが、セレンがふっと笑って紅茶を啜った。


「……ま、ナオなら大丈夫よ」

「セレン……?」

「たとえ、イレギュラーが起こったとしても、なんとかしてくれるとアタシは信じてるわ。だからこそ、大事な親友も任せられるわけだし」

「……まあな。でか、どっちかっていうと俺が心配してんのはセレンの方なんだけど。明日、異形種の調査任務だろ?」

「ふふ、それこそ心配しなくても平気よ。アタシを誰だと思っているの?」


それを聞いたアイラさんが、目を細めて笑う。

それから、時間はゆっくりと過ぎ、やがてアイラさんが席を立った。


「じゃあ、私そろそろ帰るね。明日はふたりとも、頑張って」

「ええ、この馬鹿の面倒はお願いするわ」

「おい……アイラさんも気をつけてくださいね」

「ありがとう。じゃあ、羽瀬くんはまた明日ね」


 手を振って店を出ていく彼女の背中を見送りながら、俺はセレンを見る。


「……じゃ、俺たちもそろそろ帰るか?」

「そうね。明日は早いし、今日は早めに寝ましょ」


 帰り道、ふたり並んで歩きながらも、セレンは少しだけ黙ったままだった。けれどその横顔は、別に不機嫌でも怒ってるでもなくて——何かを、考えてる顔だった。



 夜。風呂を済ませて、ベッドに並んで横になる。


 今日もセレンは当然のように俺の腕を枕にして、すっぽりと収まっていた。 髪からは湯上がりの匂いがふんわりと香ってきて、ぴったりと寄り添う体温が、やけに心地いい。

 ……それでも。


「さて、アイラと何があったか聞かせてもらうわよ」


 セレンの声が、静かな部屋の中に落ちた。


「絶対に何かあったのは分かってるんだから。アイラとは十年以上の付き合いなんだし。あんな雰囲気、誤魔化せるわけないでしょ?」

「いや、別に何かあったってわけじゃ……」


 もごもごと返すと、セレンは俺の胸元を指でつつきながら言葉を続けた。


「ほんとに?」

「ああ」

「そっか……ま、でも……仮にアイラが本気なら、別にアタシはアイラも一緒でもいいんだけどね」

「えっ、マジで?」

「そこ、調子に乗らないの」


 ぴしっと一言で釘を刺される。


「……でも、それは、本当にアイラが本気でナオと一緒にいたいって思った場合だけだから。……どこの誰とも分からない馬の骨にアイラを預けるより、アンタの方がずっとマシだし」


 セレンの声は、とても穏やかなものだった。


「それに、そうすれば——アタシも、ずっとアイラと一緒にいられるし」

「セレン……」


 まさか、そう来るとは思ってなかった。


「ま、いろいろ言ったけど、全てはナオがどう決めるかだから。アンタがアイラに惚れてるのは知ってるし……その上でアンタが、アタシより——」

「おっと、それ以上は言わせねえよ」


 言葉を遮るように、俺はセレンの身体をぐっと引き寄せて、しっかりと腕の中に抱き込んだ。


「俺がセレンを手放すわけないだろ? もしそうなったら、そん時は両手で二人とも抱きしめて離さねえから」


 そう言うと、セレンは俺の胸の中でふっと笑った。


「ふふっ……そっか」


 くすぐったそうに、でもどこか安心したように目を細める。俺の肩に頬を押し当てて、甘えるようにすり寄ってきた。


 しばらく、静かな時間が流れる。


 互いの呼吸と、心音だけが重なり合うような夜。その中で、ぽつりとセレンが呟いた。


「明日は……アイラのこと、守ってあげてね」

「ああ。心配すんなって」

「そうね。アンタが好きな相手を傷つけさせるはずないもんね」

「まあな。だから、セレンも気をつけろよ? 何かあっても、俺はすぐに駆けつけられるわけじゃねえんだから」

「あら、一応これでもナオよりランクは上なのよ? 大丈夫、自分の身体くらい守れるわ」

「……それでも心配だって話だよ。愛してる女が傷つく姿なんか、見たくねえしな」


 その一言で、セレンが一瞬だけ黙った。

 そして、ゆっくりと顔を上げて、俺を見つめる。


「……もう一回、言って?」

「あん? 何をだよ」

「愛してる、って」

「ああ? そんなの、毎晩何回だって言ってるだろ」

「いいから、今ここで、言って?」

「……ったく、しょーがねえな……」


 ちょっと照れくささを噛み殺しながら、そっと額を寄せた。


「愛してるよ、セレン」

「……ふふ、アタシもよ。ナオ、愛してる」


 唇が触れ合う。いつも以上に甘く感じる口づけ。部屋の空気も甘く淫靡なものへと変わっていく。


「……あの、セレンさん? 今晩は大人しくするんじゃなかったか?」

「……一回くらいなら大丈夫よ。ほら、溜め込んでたら、明日アイラを襲っちゃうかもしれないし?」

「んなことするわけ、っておい、脱がすんじゃねえ」


 わちゃわちゃと騒ぎながら、でもどこか安堵した空気に包まれて。

 ひと汗かいた後、セレンは静かに横たわり、俺の胸に寄り添いながらゆっくりと目を閉じる。


「……おやすみ、ナオ」


 その小さな呟きを聞きながら、俺もそっと目を閉じた。


 ──嵐のような明日を、まだ知らずに。

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