第13話

 八王子の夜は、思ったよりも賑やかだった。

 街の中心部に向かうほど、廃墟のような建物は減り、ネオンの光が辺りを照らしている。道沿いには屋台が並び、食欲をそそる香ばしい匂いが漂っていた。


「……やっぱり、ちょっと様子がおかしかったわよね」


 俺の隣を歩くセレンが、ぼそりと呟く。


「アイラさんのことか?」

「ええ……」


 彼女の足取りは普段と変わらないが、どこか考え込むような表情をしている。


「俺が何かしちゃったかね……?」

「……わからない。でも、アイラがあんな顔するのは珍しいのよね」


 確かに、あの時のアイラさんの表情は、妙に硬かった。セレンが俺を庇うような言い方をした直後、何かに気づいたみたいな顔をして、どこか寂しそうに見えた。


 ……まぁ、今の俺が気にしたところでどうしようもない。


ぐぅうううう……


 そんなことを考えていると、腹の虫が大きな音を上げた。


「……ふふっ、そうね。まずはご飯にしましょ。いい店があるの、ついてきて」


 セレンが道を曲がり、俺もその後についていく。しばらく歩くと、喧騒から少し離れた裏路地にたどり着いた。昼間だったら気にせず歩ける道も、夜ともなれば怪しさが増す。


「……こんなとこに店あんのか?」


 思わず疑問を口にすると、セレンはクスッと笑った。


「大丈夫よ。いいから、ついてきなさい」


 彼女は迷うことなく路地を進み、薄暗い建物の前で立ち止まる。入口は重厚な木製の扉。看板もなく、一見するとただの廃屋に見えなくもない。


「ここ?」

「ええ、《黄昏》っていうバーよ。知る人ぞ知る隠れ家みたいな場所ね。かくいう私もアイラに教えてもらったの。客層は救星者がメインだから食事もしっかりしているわ」


 そう言って、セレンは扉を押し開ける。


 中に入ると、一気に雰囲気が変わった。

 照明は暗めで、壁際には年代物のウイスキーが並ぶ。カウンター席と数席のテーブルだけが配置され、静かにジャズが流れている。

 周りを見渡せば、ラフだけど品のある服装の救星者らしき人がちらほら。皆、落ち着いた雰囲気で酒と食事を楽しんでいる。


「……場違いじゃねぇか、俺」


 思わず呟く。

 こんな上品な空間に、俺みたいな荒っぽいガキがいるのは明らかに違和感があるだろう。


「ふふ、まあそうかもしれないわね。でも、そんなのすぐに慣れるわ」


 セレンが俺の腕を軽く叩きながら、カウンターへと歩いていく。

 俺もなんとなく緊張しながら、後を追った。


「いらっしゃいませ」


 カウンターの向こうで、静かに微笑む初老の男性がいた。綺麗に撫でつけられた銀髪、深みのある穏やかな眼差し。シンプルなバーテンダースタイルの制服が、彼の落ち着いた雰囲気をさらに引き立てている。


「こんばんは、マスター。今日は食事もお願いしたいんだけど、いいかしら?」

「かしこまりました。食事はお二人とも同じものでよろしいですか?」

「そうね、ナオは初めてだから、マスターのおすすめで」


 セレンが俺をちらりと見る。


「……量があれば嬉しいっす」


 俺が答えると、マスターは少しだけ微笑んだ。


「かしこまりました。では、すぐにお作りいたしますね」


 そう言って、マスターは奥の厨房へと姿を消した。俺はカウンターに腰を下ろすと、深く息を吐く。慣れない空間に、どうにもそわそわする。


「……こんなとこ、よく来んのか?」

「たまにね。落ち着くし、お酒も美味しいから」


 そう言いながら、セレンは戻ってきたマスターにカクテルを注文していた。やがて運ばれてきたのは、透き通る赤い液体のカクテル。グラスを軽く回しながら、一口飲む。

 その仕草が妙に色っぽくて、思わず見惚れちまう。


「なに? そんなに見て」

「……いや、なんか、絵になるなって思って」

「ふふっ、ありがと」


 俺がそう言うと、セレンはクスッと微笑んだ。



 ★  ★  ★



 待つこと数分。

 目の前に、湯気を立てる肉料理が運ばれてきた。


「これは……」


 白い皿のほとんどを占領する肉厚のステーキ、付け合わせの野菜も瑞々しくて美味そうだ。ご飯は皿に山盛りになっているが、ステーキのお供としては足りないくらいだった。


「どうぞ、ごゆっくりお召し上がりください」


 マスターが静かに言う。


「……うまそう……」


 俺は自然とナイフとフォークを握る。


「ふふっ、じゃあ食べましょうか。いただきます」

「……いただきます!」


 セレンが微笑みながら、グラスを傾ける。

 俺は一口、肉を切って口に運ぶ。


「……ッ!」


 噛んだ瞬間、肉の旨味が口の中に広がった。焼き加減は絶妙で柔らかいのにしっかりとした歯ごたえ、スパイスの香りが程よく効いていて、塩加減も絶妙だ。赤ワインとの相性も最高。


「……なんだこれ、うまっ……!」


 思わず声が漏れる。


「ふふっ。やっぱり、ナオは単純ね。さっきまで緊張してたくせに、今は食べることしか考えてないでしょ?」

「うるせぇ、うまいもんはうまいんだから仕方ねぇだろ」


 俺は気にせず、黙々と肉を切り、口に運ぶ。



 ★  ★  ★



 食事が終わるころには、酒もほどよく回っていた。


「ふぅ……うまかった……」

「よかったわ」


 セレンが微笑む。

 カクテルのグラスを揺らしながら、その瞳がほんのりと赤く染まっている。


 食事を終えれば、会計を済ませセレンと共に店を出る。バルザックのノヴァの換金を忘れていたから財布は寒くなったが、そんなのどうでもいいくらいにはいい店だった。


「また来たいな」


 俺は店の落ち着いた雰囲気を思い出しながら呟く。


「ふふ、気に入ったみたいね」

「そりゃな、飯もうまかったし、あのマスターもいい雰囲気だし」

「そうでしょ?ビーフシチューもおすすめよ。ほら、これ」

「おおッ! めっちゃ美味そうじゃん」


 そんな会話をしながら裏路地を歩く。夜風が心地よく、酔いが回った身体を冷やしてくれる。


「……ってそういや、泊まる場所を決めなきゃな」


 俺がそう言うと、セレンが自然な仕草で俺の腕を取る。二の腕を包み込む柔らかな感触。


「あら? 今日は勝負、しないの?」


 挑発するような目つきで俺を見るセレン。


「……おう」


 俺は自然と笑みをこぼし、二人で夜の街へと歩き出した。

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