葬送ることば

天川

母校にて

「────印象的だったかと言うと、別段そんなこともなく……まぁ、有り体に言って人の良さそうな、細身で長身のおじさん、と言った感じでしょうか。容姿の面でも……記憶にぱっと浮かぶのは、真っ白な頭髪と……同じくらい真っ白な鼻毛がフサフサしていたことくらいで……」


 その言葉で、会場が少し笑いに包まれる。

 

「……クラスの女の子たちは、それを影で噂してはクスクスと笑っていたものでしたが……。私自身は、そんな頭の悪い真似はするまいと、その輪に加わることはありませんでした。……当時から、結婚するならこんな連中とは違う、思慮深い優しい女性にしようと固く心に誓ったものです。そのお陰もあって今は、めでたく独り者なわけですが────」


 また会場がざわめきに包まれた。先程よりも笑いに嘲笑の色が含まれているのが分かる。


「────『みなさんが大人になるころには、自分せんせいではなく、になっていると思いますけれど、皆さんの立派になった姿を……そんな、おじいちゃんになった私に見せに来てくれることを、願っております』……そう言って、当時の戸崎とざき祥一しょういち教頭先生は、卒業生であるわたしたちに餞の言葉を下さいました。え~……本来、思い出に残る先生を挙げろと言われれば、恐らくほとんどの人が担任の先生の名を挙げると思いますけれど、どういう理由わけか今……私の心に残っているのは……その接点の乏しかったはずの、教頭先生なんですよね」


 先程までざわついていた聴衆が、俄に……静まったのを感じる。

 演壇に立つ世良せら まもるは、自分の言葉がようやく本来の力を発揮しだした手応えを感じ、そのまま演説を続けた。


「……この先生は私達の卒業と同じタイミングで、当校を離任なさることになったのですが、それに際して賜った言葉の中に、『行動に移せる人は強い人だ』というものがありました。その言葉の意味を、先生自身は……『いいこと、わるいこと、それ自体は大体の人が知っていることだ』と仰っておりました」


 演壇の世良は例にとって……タバコ吸うのは誰でも健康に悪いことだと分かりつつ吸っている、或いはやめられない。少なくとも、これは身体に良い物だと思って吸っている人はいないでしょう、と軽く注釈を挟んでもいた。


「しかし、それに従って実際に行動できる人というのは、実はそれほど多くないのかもしれない。良いことだと分かっていても、勇気が出ない。悪いことだと分かっていても、止められない。『……歳を取ると、残念ながら人は臆病にもなります。どうか皆さんは強い人間になって下さい』そう言って、行動に移すことの大切さを教えてくださいました────」


 その言葉に続けて世良は、小学生には少々むずかしい内容だったようにも思えるが、これから中学という新たな世界に踏み出す卒業生たちなら、この言葉の意味を履き違えずに受け取ってくれる……そう思ってのことだったであろうという旨を語った。


 ……世良は、この小学校の卒業生だった。

 彼の入学当時、全校生徒は一〇六名。それが、卒業時には七六名……。

 世良の学年は他の学年に比べると人数が多かったのだが、それでも入学時一九名、二年生の時に転入生があり二〇名に増えたが、六年生になる頃には徐々に減り一六名にまで落ち込んでいた。

 たった六年間で、ここまで子供の数は減った。そして、今も減り続けている。

 その影響を受けての閉校であることは否定のしようが無いことなのだが、一方で小学校が無くなるというのはその地域にとっての象徴、ひいては地域に生きる人々の日々の活力と燃焼力をも失うことにもほかならない。

 入学当時は生徒だけで行われていた運動会も、徐々に運動会のていを成さない程に人数が減っていき、世良の卒業後には運動会は地域の運動会として大人と合同で行われるようになった。その後は、入学生が一名だけの年もあり、学校始まって以来の複式学級も実施された。

 様々な面で形骸化が見え始め、今年……生徒数は全校でも一六名。

 もはや、地元住民の心情面だけで維持を続けるのは限界ということなのだろう。


「────本日、母校仙賀森せんがもり小学校は……惜しまれつつその歴史を閉じるわけですが、ここを巣立っていった多くの生徒が……今、この国を、社会を担う人材として役立っていることを思えば、その功績は決して小さくはなく……誇っていいものだと思います。数多ある小学校の中でもひときわ規模の小さかったこの仙賀森小学校ですが、その営みの変遷は日本社会の歴史そのものと言っても過言ではないほどのダイナミックな変化でもありました」


 言い終わるタイミングに合わせて、世良は演壇の上においてあった自作の簡単なカンペをちらりと確認した。

 そこには、『戸崎教頭先生の話』→『小学校の功績を褒める』→『歴史的な変化に絡めて触れる』→『石炭ストーブに』と書いてある。世良は昔からアドリブが利かない男であった。話を脱線する流れまで周到に計画しているので脱線ですら無いのかもしれないが、聞いている者からすればそう感じてもらえる内容でもあろう。



「……例えば、私の入学時の校舎はこれとは違う、木造とモルタルを組み合わせたような構造でして、板張りの長い廊下が特徴の旧い建物でした。大部分が平屋なんですが、六年生の教室と理科実験室のある部分だけが二階建てになっておりましてね……。私も六年生になったらあの二階の窓からの景色が見られると心躍らせていたのですが……。私が四年生の時に、その校舎が建て替えられることになりましてね、結局旧校舎では二階に上がることがないまま新しい校舎……今お話させていただいている、この校舎ですね────これに建て替えられたのです。その結果、新校舎では三年生以上は教室が全部二階にあって、全然有り難みがないんですよね────」


 そこで、また軽い笑いが会場から起こる。

 世良は、旧校舎での思い出を語り始めた。


「──旧い校舎の時には……もう、その当時でも珍しかったと思うんですが……冬に暖房で使用するストーブがだったんですよね、あの鋳物でできた────」


 すると、聴衆の中から、あぁ……とか、おぉ……、などと同意とも感嘆とも取れる呻きのような声が漏れ聞こえた。それに合わせて深く頷いている人も結構いるようだ。当時を知る者にとっては、やはり思い出深い事柄であったのだろう。


「掃除当番が、ブリキのバケツを持って校庭の隅にある石炭小屋まで行って、そのバケツいっぱいに石炭を詰めて持ってくるんです。……低学年の子だけだと、重くて持ってこられなくてね、必ず高学年の子と組ませて取りに行かせるんです。あ、当時は一年生から六年生までの縦割りの班がほとんどの活動の単位グループだったんです、掃除でも遠足でも。だから、六年生になれば自分も班長だと……その姿を思い描いて上級生を毎日見ていたんですよね……あぁすみません、話が脱線しちゃいましたけど。──で、またこのストーブが……火力はあるけれど、近くの席の子は熱い、遠い子は寒いで……なんせ教室自体の断熱性が無いものですから……熱い寒いで喧嘩になったりしてね────」


 その話を聞いて、また客席から笑いが上がっていた。客席の隣同士で、当時のことを囁き合って談笑する姿もちらほら見えていた。


「あぁ、そうそう。給食で出る牛乳……当時は瓶入りの牛乳だったんですけど────冬になるとそれが凍ってるんですよね────」


 それを聞いて、客席がどっと湧いた。


「給食時間に飲もうと思っても凍ってて飲めない……だから、その石炭ストーブの上にブリキのタライに水を張ったものを載せておいて、三時間目が終わった辺りで牛乳だけ先に教室に運んでくるんです。で、そのタライのお湯の中に瓶の牛乳を入れて温めて融かしておくんですよ……いやもう、今だと考えられないでしょうけど────」


 そんな愉快なエピソードの連続に、観客は大盛りあがりだった。


 しかし、大笑いする聴衆とそれを楽しそうに語る世良自身の表情とは裏腹に……彼の脳裏には別の事が浮かんでいた。


 当時、世良の担任だった女教師は、おそらく都市部から赴任してきた人間だったのであろう。田舎の風土を、人が温かく長閑のどかだ……と表では語っておきながら、実際には……授業中でも給食中でも「不便だ」「面倒だ」「時代遅れだ」などと散々な言い様であった。

 校舎が新しく建て変わってから、石炭ストーブなどというものは当然使われず近代的な集中暖房設備へと生まれ変わり、その女教師も溜飲を下げたようであったが……。田舎に生まれ、その風土に染まりきっていた世良は、便利さは享受しつつも──秋になれば学校総出で裏山に薪拾いに行き、冬は全員で雪かき、春になれば冬囲いを外したり……そういった課外活動が無くなってしまうことや、水道凍結を防ぐための上手な水抜きの仕方や石炭ストーブへの上手な着火の仕方など、自分の得意とする部分が活かせなくなる事が少しばかり寂しかったのも事実であった。

 一度、その事を担任に話したことがあったが、便利さに全振りした都会育ちの女教師には、そんな世良の姿は異教徒にすら見えたのだろう。酷く非難され、授業が始まっても折檻は続き「そんなに時代遅れが好きなら一人だけで石器時代ぐらしでもしていろ!」などと言われたことがあった。

 大人の論理で言えばそのとおりなのだろうが、何かを体感し学びとする、人間本来の学習とはそう云う部分にこそあったのではないかと思っていた世良には、やはり納得行かないことでもあった。あまつさえ、その女教師は世良の卒業した一、二年後にはあっさりと教師を辞めていたというのだから……あの女の考える教育とは一体何だったのだろうと、今でも思うくらいだったのだ。


「────新校舎になって校庭も広くなりましてね。ただ、工事が終わってすぐの頃は校庭に石が多く混じってるんですよ。それで、怪我をしないようにって……生徒全員で一列になって校庭の石拾いをするんです。すると、たまに真っ黒な石が混じってて……『あー、石炭だ!』なんて、笑ったりしたものです。新校舎になってからも、数年間は校庭から石炭が出てくることがあったんですよね……」


 笑い声に混じって、あー、あったあった、という誰かのつぶやきも聞こえていた。


「たしかに、時代遅れの旧い校舎、古い営みではあったと思いますけど、一方では……その時の経験が無かったら私は、石炭など一度も見ること無く一生を終えていたかもしれません。全ては、無駄ということはないんです。不便だから……時代遅れだから悪、ではないんですよね。そういった貴重な事を教わることができたのは幸運でありましたし……むしろ旧校舎時代の方が学びが多かったかもしれません……こういう事言うと、教育委員会に怒られるんですけどね」


 世良はそう言って、演説の中に控えめに当時の抗議を含ませておいた。


「……今の教職員の方からすれば信じられないでしょうけれど、うちの学校は特別教室にも全部、鍵なんか一箇所もかかってなかったんです。それで問題も起きませんでしたし、いたずらする子もいなかったんです。視察に来た他所の先生が驚いていたことがありましてね────」


 実際には、世良の卒業した数年後には施錠される事になったらしいが、どちらかと云うと問題があったからではなく時代の流れとともにコンプライアンスを気にするようになったということであろう。世良自身がその頃の子供だったら、鍵がかかっていたら余計に中に入りたくなったであろうな、と思ったものだった。


「何もかもが、他の学校とは違う……そんな我が母校、仙賀森小学校ではありましたが……今、その幕を閉じようとする段になって、もう少し……なにかしら……残す手立ては──いえ、恩返しはできなかったものかと、今になって後悔する気持ちも湧いたりします。時代の流れには、逆らえないものですから──それは、仕方がありません」


 演説も佳境に入り、その終わりを感じて少ししんみりする空気が会場にも伝わり始めていた。ハンカチを目に当てる者も数人だが、壇上の世良の視界に映っていた。


「次の時代に伝えられるものがあるならば、それは私達が伝えていかなければならないものだと思います。…………『行動に移せる人は強い人だ』……この言葉をくださった戸崎先生は、おそらくもう……ご存命ではないでしょう。もし、まだ生きていらっしゃるのなら……想像通りの立派な姿ではないかもしれませんが、全力で謝りに行く覚悟です。残したかった……、私を育ててくださったこの母校を守れず、申し訳ありませんでした……と。そして、先生と……学校のお陰で、僕たちは大きくなることができました、と」


 ……笑って演説を終えるつもりであったが、不覚にも世良は涙を流してしまっていた。謝るつもりなど毛頭無かった、そもそもこんな話をするつもりでもなかったのだ。壇上に小さく置かれたカンペにも、こんなネタは記されていない。だが……世良の言葉は止まらない。


 閉校記念式典で、当時の思い出を語ってくれ────。


 運営委員の同級生からそう依頼された時、世良はその話を断るつもりだった。

 厳密に言うと、自分は地元に残った人間ではない、むしろ一度は積極的にこの地を離れた側の人間でもある。そんな自分が、何を語れるだろうか、語る資格があるのだろうかと。

 だが、行動に移す機会は……もう今しかないとも思ったのだ。


「一人ひとりの力は小さくとも、その力が合わされば……そんな言葉を無邪気に信じていたあの頃の子供は、もういないかもしれません。しかし、生きていく世には善意という名の……想像という名の心が、同様に必要だということは皆学んだはずです。この記憶と教訓は、決して無駄にはいたしません。母校、仙賀森小学校────どうか……これからの私達……の前途を、見守っていて………くだ、さ……い……」


 世良は、壇上で……背中を震わせながら大きく頭を下げた。

 そして、涙に崩れたそれを顧みること無く、再び顔を上げ、


「──平成二年度、卒業生代表……世良 衛っ……」

 

 自身の名を、会場である体育館に響かせた。



 式典の終わり、最後の校歌が体育館のピアノによって演奏される。

 「〽──こころのふるさと 嗚呼、仙賀森────」




 明治34年創立、仙賀森小学校の歴史は、今日……幕を下ろした。

  

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葬送ることば 天川 @amakawa808

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