沈黙とおしくらまんじゅう
@topo9
1話
列はまだ長い。冬の快晴、強く凍てつく風の中、指はもうずっとかじかんでいる。
ホイッスルを体育教師が全力で吹いたように音を鳴らして突き抜ける風は、街路樹の1本1本をごうごう突き動かしていた。
「あー!寒い寒い寒い!」と友人。
「うー!寒いよー!」と私。
「早く!早く暖かくなればいいのに!」と友人。
「本当そう!本当そう!」と私。
なんでもない普通のやりとりの中、私は変に切ないことを考えている自分を自覚していた。
寒いは本心だし辛い。がこの今、暖かくなれ。とは思ってない。
友人と並ぶ長い行列の中、この寒さに実は助けられているような感じがしていたからである。
この切なさは私だけのものなのか。
トタンの屋根は今にもめくれそうに、ガタガタ音を立てている。
ガラスの窓はバリバリ鳴って、米の文字の養生テープはひどく頼りない。
「うー!寒っ!全然進まないじゃん!」
今度は私が先に言ってみる。先も後も別にないのだが。
「あー!寒い寒い寒い!」と友人。
会話には到底なってない。が、決して無視ではない。
寒さの中コミュニケーションに通常求められる基準が著しく下がり、互いに感情を吐露するだけで十分やりとりとして成立しているのである。
これが、過ごしやすい春ならどうだっただろう。
「うー!適温っ!」、「あー!適温適温適温!」なんてやりとり絶対にありえない。
もっと高度にキャッチボールを。会話を成立しなければならなかったはずである。
私は冬の力をかりて、沈黙を1つ回避できた成功に安心していた。
この胸の安心はなぜなのだろうか。べつに沈黙があってもいいのに。
ふと私は目の前、先に並んでいるグループに視線を上げた。
彼女たちはみんな黙って携帯を見ている。
さっきから会話など一切ないこのグループ、年齢もきっと同じくらいのはず。
彼女たちが一人一人何を考えているのか私は考えた。
きっと学校のこと、友人のこと、家族のこと、好きな人のことを考えているんだろう。
いや、何も考えて無いかもしれない。携帯を見て暇な時間を潰すただそんな時間かもしれない。
私は一人で始まったこの勝手な考察が一切無意味なことを知っている。何故なら正解を知れないから。「あのー突然すいません、、、今何を考えています? いや、ですから、今何を考えていますか? では右のあなたから。」こんなの変態だろ。
思考はほとんど無限。何を考えていても不思議じゃない。
それでも私は彼女たちが、私と同じことを考えているだろうとは到底思えなかった。
うーん。。この切なさは私だけのものなのか。そしていつから?
ビーーー!!
風がひときわ大きく吹く。前のグループが一斉にキャーと悲鳴を上げた。
その風は今しがた作った胸の安心を一瞬でえぐり取り、代わりに不安の塊が流れ込んできた。
不安の塊は実際、謎そのものだった。
あれ、これなんだろう。その塊は確実に自分の胸の中にある。塊の大きさはわかる気がする、がどんな形であるかはわからない。
地面に写る影から実物をはっきりと推察することができないように、私はその塊が何であるか正体を導くのはとても難しいような気がした。
私は「何これ!」と叫びそうになった。胸を占領する謎の塊にだれでもいいから明確な正解を与えてほしい。
うーん、とはいえ今日、なんか妙に脳内思考活発だなぁ。思弁的っていうの?いつからだっけ?他の人もしてる?
ハッ!
その時、私は沈黙を思い出した。
今の強い風の後、友人は何と叫んでた?私はそれを無視したのではないか?
そもそも叫んでたか?いやちょっと待て焦ってる割に頭はすっきりしている。よしパターン1、パターン2に分けよう。パターン1は叫んでた。パターン2は叫んでない。
私は沈黙への恐怖を一度棚にあげ、論理的に状況を解決するための思弁に脳のリソースを割り当てた。
私は思弁の入り口で、この論理性に出口がないということを直感していたが、恐怖への具体的な回避策として既に成り立ちつつあるこの徒労を止めることができなかった。
はい。パターン1。叫んでたとすると私も叫べばいい。がちょっと待て間にあうか、すでにあの風が吹いてから3秒は経ってる。このラグは問題ないのか。
「なんかあたしの絶叫からラグあったなぁ、合わせて叫んでない?なんか辛気臭いなぁ、、待ってる最中だって楽しく居たいよぉ。。私だけがんばってるみたいじゃん。」
いやだなぁぁこんなこと思ってたら。そんなこと思う子じゃないよ。なんで私こんなこと考えてるのかな。
はい。パターン2。叫んでないならどうする?これがなぁ。。今沈黙中ってことでしょ?いったん途切れたテンポを破るのはだれって議論が始まるのよこれ。
ちょっとまて、そんな考えることか?気を使わない友達のはずだよ?そもそもパターン1じゃない、パターン2じゃない、パターン3の可能性は?
パターン3。はい。私に何か普通に話しかけているパターン。全然ありうる。さっきの風を起点にしているけど、そもそもこの数秒間、私は思弁に脳を全部使っている時間があった。
その間に普通のキャッチボールを前提とした会話が始まっている可能性だってある。
「そういえばさぁ、学校のさぁ?あたしの担任がさぁ?」とか。「今何時?」とか。「今、ソーセージ。エヘヘ。」とか返せばよかった。絶対ウケてた。
ああいえばよかったとかこういえばよかったとか後になってから湧いてくるんだよなぁ、こういうキャラだっけ?
待て待て戻れ戻れ、これ詰んでるわだって、数秒間の記憶がないんだもん、次から気を付けます。
私は諦め、ぐるぐる目だけ動かし友人を伺った。
風が唸るのをやめ、スンとした静寂が満ちている。
街路樹もスン。トタンもスン。窓ガラスもスン。いきなり現れた沈黙にいち早く対処を終え、全ての責任を私に押し付けている。
「え?」私は思わず声を出した。責任の大きさにたじろいだのではない。
友人は私の顔を凝視していた。
「ごめん、なんか言ってた?」私は一段と早く鼓動を打ち始めた心臓に抗って、自然にふるまった。
友人はやはり何か私に尋ねていたのだ。私が無視した。
だが今、これは沈黙の時間ではない。私がボールを取り損なったのは事実だろう。その非は認めよう。だが私はそれを取りに行った。こんなこと人間なら誰でも何度でもあるやりとりのはず。
むしろ私は、人間間に共通して存在している会話のプロトコルに沿った、自然な反応をできたとさえ思い始めた。
それは急なことであった。
「子供はかぜのこよ。 おしくらまんじゅうしなさい。」
「子供はかぜのこ! おしくらまんじゅうせな!」
列の脇から、見知らぬ老夫婦が私たちに叫んでいた。
私は老夫婦に視線を奪われ、あっどうもと会釈した。成長するに合わせ必ず体得するスキル。これもプロトコルと言って良いかも知れない。変な状況ではとにかく場を流す。
風がまた思い出したかのように騒ぎ初める。
私は、会釈のついでに老夫婦を観察した。
いきなり現れておしくらまんじゅうしろなんて、不気味な老夫婦だが、その身なりはむしろ洗練されていた。
婦人は黒を基調としたロングコート、首元にはスカーフを軽く巻いていて、風になびくたびに、ちらりと暗い赤色の裏地が見えた。
私はそれを貴重なシルクとか、詳しくはないけどきっとうちの家には無いような高価な物なんだろうと決めつけた。
紳士はダブルのコートを羽織っている。
この強風の中ボタンは留めていないが、ポケットに手を入れて、むしろ風を飼いこなしているように振舞っていた。
どちらも髪を染めることなく、白髪を誇るかのように整えている。
おしゃれなご夫婦だなぁ。いや、それはそれとして意味不明。おしくらまんじゅうはしません。
老夫婦が去り、何あれ怖、と友人に言うまでがワンセット。会話のネタが一つできるわけだ。
そう考えると、面白いもの偶然拾った気分。棚からぼたもち。沈黙は当分回避できそうと思われた。
別にそんなこと気にしなくていいんだけどさ。
「磯眼科医!」
え?眼科医?磯眼科?知らないけど。
変なおじいちゃんって、たまに遭遇するんだよなぁ。
「急ぎなさい!」
急ぐ?何を?ああ急がんかいね。急ぐ?何を?
私はひきつった顔で、たまらず友人を見た。
友人は毅然と私の顔を凝視していた。老夫婦も私を凝視していた。
私は老夫婦に感じる不気味を、友人含めたこの空間全てに感じてしまった。
え?なんで?私?私の番?おかしくない?誰でもいいはずなのに?
「え?いや、えーっと。。」私は老夫婦をみてたじろいだ。
強風の中、一切揺れずビルのように直立し私を見つめる老夫婦が素直に怖かった。
「おしくらまんじゅうってどうやるんですか?」急に友人が口を開いた。
少し安堵したがすぐに疑問が浮かんできた。なぜそんなことを聞く。
「おしくらまんじゅうも知らんのか。まったく!最近の若者はこれじゃ!」
「あなたたちは便利な物を持ってるんじゃ? すぐに聞かないで自分で調べなさいな。」
一体何なんだこの人たちは、あきれて口がぽかりと開いてしまう。何とかしなければ。
「あ、あの、すみません、おしく、、、」私は彼らを制止しようとした。
「そうでした。ええと。。。Wikipediaを読み上げます。ルール おしくらまんじゅうを楽しむためには4人以上の参加者を必要とする。」と友人。
え?いや、おかしいおかしい。
「2、3人では動きの幅が狭く、押し合っても体を温める効果が薄いためである。 なるほど。」と友人。
なんだそれ、そもそもおしくらまんじゅうごときにルールなどあってたまるか。
単に輪になって、もみあいへしあいするだけだろ。
「参加者はお互いに背を向けて円陣を組み、両側に立つ参加者の腕に自分の腕を絡める。」と友人。
絡めるんだ、そうなんだ知らなかった。でもやらないよね?だって列に並んでいる途中だもん。
それにやる年齢じゃないでしょ。
「スタートの合図で「おしくらまんじゅう、押されて泣くな」と歌いながら、勢いをつけて自分の体(主に背中や尻)を円陣の中心に向けて押し込んだり、外側へ向けて引っ張ったりする。」と友人。
なんなんだよこの説明口調は。Wikipediaって誰でも書けるやつ?暇な人もいるもんだな。スタートの合図って。。そんな大げさな物じゃないでしょ。
「や、やらないよね、もうわかったよ。」と私。
「この動きによって体が温まる。参加者それぞれが不規則な動きをするために思いがけない方向に引っ張られたりするのもおしくらまんじゅうの楽しさのひとつである。 なるほど。以上です。」と友人
なるほどじゃないし。そんな説明いるもんじゃないし。やらないし。
「ですが、このルールでは4人以上必要な様子です。私たちでは無理です。」と友人。
いやそんなことじゃなくてね。そもそもやらないっていうことをね。気づいてよ。
「そうねぇ、となると、、前のグループに声をかけなさいな」と婦人。
「すいません。いまお店の行列に並んでいる途中なんです。おしくらまんじゅうはできません。」と私。
流石に気味が悪すぎる。前のグループも巻き込んでやれなんて、どれだけおしくらまんじゅうに執着があるのか。ここはきっぱり断って迷惑だとを伝える必要があると私は考えた。
おしくらまんじゅうを、全く他人の子どもに強制する謎の老夫婦。怖すぎる。
「どうして?なぜあなたが決めるの?前のグループにも聞かないで。できない理由を教えて頂戴。」と夫人。
「えぇとですから、、今、私たちはお店の行列に並んでいる途中でして、おしくらまんじゅうはできないんです。」
「それは聞いたわ。私が聞いた質問を覚えているかしら?」と夫人。
「理由はですね、列に並んでいて、、」
「ごめんなさいね。答えになってないわ。私は私が聞いた質問を覚えているかしら?と聞いたのよ。はいか、いいえで答えるものでは?」
「全く近頃のガキは!ろくに会話もできんのか!」と紳士。
このキチ〇イ。直立不動、一切動かず私たちを見つめる二人に対し、私はどこへも行けずに対峙するしかなかった。
列は一向に進まない。行列は店の前から角を曲がって続いており、ここからでは店の状況を確認できない。
いつになったら進むのか、進んだら、この夫婦はついてくるだろうか、標的を変えるだろうか。
私はこの夫婦が日がな、若者を相手取り暇な時間を消費しているのだろうと考えた。
理不尽な思いつきを若者に強制させて悦に浸れるんだ。老人は良いよ。あったまおかしい振りすれば全部すんじゃうんだから。私たちはその標的としてたまたま偶然選ばれちゃったんだ。
というかキチ〇イなんて。。いつ覚えた私。だめだめ。あれ、この思弁的キャラって私のキャラ?いつからだっけ?
「。。ねぇ、どうする??お店の人呼んでこようか。」私は友人に耳打ちした。
私の胸の謎の塊は、いつの間にか消え、代わりに今は老夫婦に対する恐怖心、不快感で満ちていた。
大きさも、形も、手に取るようにわかる。不気味な存在に植え付けられた、得体の知れない不吉な塊。早くなんとか取り除かなければ。
友人の返答を待っている最中、既に私は列から外れる準備を始めていた。
「なんで?ご婦人の質問に答えれば良いよ」友人は全く予想してないことを言う。
私は友人に怒った。
「あのさ、さっきから、どういうつもり?ねぇ怖くないの?」と私。
友人は私の目をまっすぐ見ていた。
私も友人の目をまっすぐ見ていた。それは今日初めてのことだったかもしれない。
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