だいすきな先輩

風花ふみ

第1話

 「あなたは尊敬する人がいますか? 私はいます。それは部活の先輩です。」

 そんな作文を国語の宿題で書いてしまうくらい、私は先輩に憧れていた。


 中高一貫の女子校のため、学校しか知らない中学生の私たちに異性交流はなく――いや、ある人もいるが、それは恋愛に興味があってモテる女の子たちのみ――、私の周りは校内の好きな先輩の話で盛り上がっていた。

 私の好きな先輩は、私の所属するバレーボール部の部長だ。リーダーシップがあって、バレーが上手くて、美人でかっこよくて、試合で点が入ると無邪気に笑って喜ぶ様子が少年みたいにかわいくて、すれ違うとサラサラのショートヘアからシャンプーの匂いがする。後輩にも分け隔てなく気さくに話しかけてくれる、優しい先輩だ。


「先輩、好きです!」


 私はしょっちゅう先輩にそう伝えていた。もはや「おはようございます」「お疲れ様でした」といった挨拶と同じくらいの頻度になってきている。それでも先輩は優しいから「はーい、ありがと」と、いつも目をきゅっと細めた笑顔で返してくれる。


 しかし、ある日事件が起きた。先輩に彼氏ができたというのだ。

 先輩は大学受験に向けて塾に通っている。その塾で、他校の男子と付き合い始めたというのだ。私があまりに先輩のことを好きだと公言するものだから先輩の学年の人たちにも知られており、先輩の同級生の妹である友達が「彼氏できたらしいよ」と教えてくれた。それはバレンタインの直前だった。


 でも彼氏ができたとてめげる私ではない。私は先輩の彼氏になりたかったわけではないし、また彼氏がいるからといって先輩が先輩でなくなるわけではない。

 先輩は優しいから、チョコくらい受け取ってくれるはず。そう考えて私は予定通りバレンタインのチョコレートを作った。先輩の好きな、苦めのチョコだ。


 バレンタインの当日。部活がない曜日なので、お昼休みに私は先輩の教室に向かった。


「あー、宮内、さっき先生に呼ばれちゃったんだよねー。クラス委員の話があるって。渡しておこうか? あ、でも、自分で渡したいか」


 チョコを渡しに来たのだろうということを察し、知らない先輩がそう言ってくれた。


「ありがとうございます。大丈夫です、放課後に自分で渡します」


 放課後、今度は先輩の学年の下駄箱近くで待機することにした。ここにいれば、必ず通るからつかまえられるだろう。そう思ったのだが、


「宮内、そんなに急いでどうしたの?」


「おつかれー! ちょっと約束あってさ」


 急に聞き慣れた声が耳に入ったと思ったのも束の間、先輩は光の速さで靴を履き替え、私が声をかける間もなく、全速力で校門に向かってしまった。私も慌てて先輩の後を追う。


「せ、先輩、速い……! さすが……」


 こんなときですら尊敬の眼差しで先輩の後ろ姿を見つめてしまう。

 なんとか走って追いつこうとしていると、駅前で先輩が立ち止まり、誰かに手を振っているのが見えた。先輩より少し背が高い、高校生くらいの男の子だ。もしかして、あれが彼氏だろうか。


 なるほど、そうか。先輩も彼氏にチョコを渡すのだ。自分が渡すことしか考えておらず、完全にその発想が抜けていた。付き合いたてのカップルなのだから、当然といえば当然だろう。


 彼氏とわかれば、観察だ。先輩は一体どんな人が好きなのか。ちょっとストーカーみたいだけど、距離を保ったまま眺めることにした。

 黒髪で、学ランに隠されてはいるががっしりした体型のように見える。彼氏もスポーツマンなのだろうか。少し遠いが横顔を見た感じ、穏やかそうに見える。かっこいいけれども、決してチャラそうではなく、好青年という印象だ。

 さすが先輩、男の趣味もいい趣味をしている。

 

 声はよく聞こえないが、先輩が鞄からラッピングされた包みを取り出して彼氏に渡していた。彼氏はぱあっと明るい笑顔になり、何か先輩に聞いている。きっと、今開けていい? と聞いているのだろう。

 そして、先輩はうんと小さく頷く。包みを開けるとやはり中から出てきたのはチョコで、彼氏がそれを頬張って、おいしいと(おそらく)言うと、先輩は口をきゅっと結んで、照れ隠しのように目を背けて彼氏の腕を叩いた。


(えっ! 何あれ、かわいい!)


 胸がキュン、と疼いた。と同時に、ズキン、と何かが刺さるような感覚もあった。


 あれは先輩の手作りチョコだろうか? 多分そうだろう。私は先輩のチョコをもらえていない。あの人は、もらえている。その違いに胸が苦しくなった。

 あくまで私は「後輩の一人」に過ぎない。「特別」な存在になっているあの彼氏のことが、うらやましい。

 そしてああして、私の知らない表情をあの人には見せるのだと思うと、悲しく、悔しくなった。


 気付くと頬にはツー、と涙が流れている。


(あれ、思ったより私、先輩のこと好きなのかも……?)


 これは、失恋? と言うのだろうか。自分でも先輩への感情が恋愛なのか尊敬の延長なのかすらよくわかっていなかった。でも別に先輩と手を繋ぎたいとかキスしたいとか、そういう願望はない、と思う。

 そもそも人の感情など、言葉で区別できるものではないのかもしれない。多分私の中には、好きという気持ちも、尊敬の念も、嫉妬心も、独占欲も、存在する。小学生に毛が生えた程度の私には、そう整理するのが精一杯だった。


 先輩にあげるつもりだった手元の包みを見つめ、私は一気に袋を破いた。「先輩へ♡」と書いた手紙が道路にはらりと落ちていくのも気にせず、一口サイズのチョコを頬張る。


「にが。……しょっぱ」


 初めて作ったバレンタインチョコレートは、全然おいしくなかった。


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