アナちゃんと春のババちゃん。あと、ゴミ。

影津

アナちゃんと春のババちゃん。あと、ゴミ。

 さくらちゃんは、息を切らせて山道を歩いていた。夕日を背負い、足場の悪い山道の土を懸命に足で崩しながら。目には涙が浮かんでいる。犬のミミちゃんがいなくなった。裏山で拾ったら、お母さんがうちでは飼えないから、捨てて来なさいと言い、それを聞いたミミちゃんは、山へ逃げ帰った。さくらちゃんの家から裏山までは、大人の足で十分ほどのところにある。途中、車が一台通れるぐらいの砂利道が続くが、十分もすれば獣道に変わってしまう。そもそも砂利道は療養所へ物資を運ぶために整備されたもので、今はその療養所は廃屋となっている。山に登るのはおばあちゃんぐらいだろう。


 陽が落ちてもミミちゃんは見つからない。雨が降ってきた。さくらちゃんは雨宿りをするために、スギの大木が並ぶ山林を進む。


 雷が鳴って、怖くなった。木から離れよう。雷は木に落ちたあと、近くに立っている人にも飛んでくるとおばあちゃんから聞いたのを思い出した。


 開けた場所がある。巨木がまるで、そこを避けているかのような巨大な円形の広場だ。眺めていると、シカが円形の場所を避けるようにして走り去って行く。さくらちゃんは大阪で初めてシカを見た驚きで震えた。シカが通った場所に近づくと、その開けた場所に大きな穴があると分かった。雨が激しい。ほかに雨宿りできそうな場所がないのでそこに入る。


「ミミちゃん、犬飼ったら駄目なおうちでごめんね。ミミちゃんどこ? ミミちゃんのおうちはこの山なの?」


 穴は奥まで広がっていた。一本道だが奥は驚くほど広く深い。怖くなって、さくらちゃんは引き返した。ところが、出口がなくなっていた。


 闇が広がる。右も左も分からない。お腹がすいた。おばあちゃんからもらったガムを噛む。さくらちゃんは泣いた。泣いて泣いて、時間の感覚がなくなり――朝が来た。


     ※※※


 堀山ほりやま真下ましたはいつも苛ついていた。トラックの荷台からアナログテレビ、ラジカセ、パソコン、扇風機、テーブルなど家庭の粗大ごみと、企業から引き取ったビニールハウスの屋根の廃材や、金属片、木片などを順番に降ろす。


「何が、お前の家の裏って、山なんだろう? だ。猫撫で声を出せば俺を懐柔できると思ってやがる!」


 実際、堀山は上司の言いなりだった。堀山の職場は廃品回収業、産業廃棄物のリサイクル業を営んでいる。上司の命令は遠回しに、コスト削減のため、お前の家の裏山にゴミを捨てて来いよということだった。


 何故そんな汚れ仕事をしなければならないのか。自問自答をしても答えは出ない。思えば、大阪市でサラリーマンを五十五歳でクビになったのがはじまりだ。人生は悪化の一途を辿っている。妻に逃げられ、ゴミ収集業に転職し、奈良県に飛ばされた。奈良県は田舎過ぎて嫌だと訴えたらまたクビになり、結局大阪府箕面みのお市の廃品回収業者として勤めることになった。


「クソ、重すぎる」


 できるだけ、大物から片づける必要があった。朝の三時半とはいえ、この山には山菜採りをするババアや、ジョギングをするババアが出る。今時のババアはスマホを巧みに操り通報する。早く片づける必要がある。


「あんな穴があるのがいけねぇんだ」


 ――そう、あんな穴があるから。スッキリしちまう。


 山林の開けた場所に来る。


 大きな穴が口を開けている。形は楕円形で、横に長い。縦に五メートル、横に十メートルほどの大穴だ。


 引っ越し用背負いベルトで運べるだけ運んで来た。三往復ぐらい必要だろう。


 廃棄物を穴に放り込んでいく。穴の底の方で悲鳴が聞こえた。一瞬、何かの間違いだろうと思って背筋に悪寒が走ったが、深さは十メートル以上あり、真っ暗で何も見えない。


「気のせいだ。こんな大穴にわざわざ入る馬鹿がどこにいる。ユーチューバーでもあるめぇし」


 耳の奥に未だ残る残響を不快に感じながら、尿意を催した堀山は穴に向かって放尿した。


     ※※※


 田畑たばたレオは焦っていた。


 昨日の朝、他県の猟師を猟銃で撃ってしまった。狩猟免許を取得してまだ一年しか経っていないのに、猟銃は没収されるだろう。それだけではない――。


「逮捕は嫌だ。そうだ、配信。『オレ様の狩猟ちゃんねる』の編集がまだだ。って、そんな場合じゃない! どこに隠れればいいんだ」


 田畑は山を降りて箕面市内の家に戻ったのだが、すでに家の周囲には警察がいた。同僚の妻が帰って来ないことを不審に思って届け出たのだろう。


「クソ、今夜も野宿かよ!」


 田畑は三十歳。就職活動が上手く行かず、サラリーマンは無理と諦めユーチューバーを目指した。最初は軌道に乗らなかったので、ストレスで食に走り太った。痩せるため、太らない肉を食べたいと思っていた矢先にレストランで出会ったのが、ジビエ料理だった。中でもシカ肉は脂身が少なく、ダイエットにも最適だ。シカ肉好きが高じて猟師になろうと決意した。ついでに、これまで中身がろくになかったユーチューブ配信を狩猟ちゃんねるとして運営することにした。すると、チャンネル登録者数が増えたのだ。


「あいつが、でしゃばるから!」


 同じ狩猟系ユーチューバーが他県からやってきてコラボしようと言い出したのが悪い。元々人づき合いが苦手な田畑は、二度三度とそのユーチューバーと会う度に確執を深めてしまった。そして昨日、ついに、イラっときて撃った。登録者数が自分は二万人なのに、そいつは二十万人で嫉妬もした。


「そもそも俺より人気なクセに、俺の視聴者まで横取りしようとするから」


 お互いにウィンウィンとなるはずだったのに、どうしてこうなった。


 田畑は急いで山を越えようと思った。猟師になって良かったことのいくつかにダイエットの成功と、足腰が鍛えられたことがある。裏山は標高千メートルなので初心者向けの山だが、一般人なら片道三時間、往復で六時間はかかるだろう。田畑はこれを片道一時間半、往復三時間でこなす。


 ――警察が山狩りを行う可能性があるかもしれない。早く、もっと早く山を越えなければっ――なんだあれ? 見たことがない大穴がある。


 この裏山は週に三回は往復する。この山のすべてを知り尽くしていると思っていた。


 動物が掘った大きさではない。天然の洞窟と言えばいいのだろうか。地面は石灰岩ではないから、鍾乳洞が広がるなんてこともないだろう。地下に空洞ができて陥没するシンクホールの類か。


 近づくと、シカの足跡があった。穴を避けるように走った痕だ。シカが嫌がるものでもあるのだろうか。


 穴の入口はなだらかな坂になっている。底は見えないが足元から立ち上る糞尿の臭いに獣を感じた。ほかの猟師がこの穴に捕れ過ぎてしまったシカの死骸を不法投棄している可能性がある。


 田畑はヘッドライトを点け、銃の代わりに自撮り棒を構える。


「新しいビジョンが見えたぞ。不法投棄通報ちゃんねるを作れば、儲かるんじゃね?」


     ※※※


 富菜とみなかずこは、ワラビを採っていた。日の出の朝六時。ワラビのいいところは裏山の低いところでも採れるところだ。七十歳になると、山の中腹まで行くのが限界だ。それでも、休みごとに毎年泊まりに来る孫のために、ワラビを採りたい。小学校の春休みは二週間後だ。


「早く、陽大ひなたに会いたいねぇ」


 陽大のためにワラビパスタや、ワラビナムルや、ワラビのかき揚げやワラビどんぶりやワラビの炊き込みご飯を作ってやりたい。陽大はいつもババちゃんの作る料理は美味しいと喜んでくれる。


 山林を抜けるとワラビが群生する開けた場所に出るはずだった。ワラビがない! 大穴が空いている。


「な、なんでないの? 上の方まで登らなあかんやん」


 腰が痛くなってきた。


 穴の淵に椅子のような丸いでっぱりがある。


「座ったろ」


 そのまま後ろにひっくり返った。真っ暗な穴に落ちた。鳥肌が立つ。


 ――これが、陽大が遊園地のジェットコースターにはGがかかるねんと教えてくれたGなんかなぁ。


     ※※※


 十握とつか久美子くみこ。七十一歳。ご近所で親友のかずちゃんより一歳年上だ。あだなはとつちゃん。主人公みたいな顔してジョギングしているおばあちゃんボディービルダーだ。かずちゃんが山菜取りを趣味にしているのなら、とつちゃんはかずちゃんを驚かせるのが趣味だ。


 かずちゃんがいつもの場所におらんかった。代わりに大穴が空いていた。


「まさか落ちたんけ?」


 ワンと声が聞こえて振り返る。耳の大きい野良犬が震えてこちらを見ていた。


「ああ、あんたか。娘が追い出した野良は。かわいそうにな。孫のさくらが泣くわけや。後で連れて帰ったるさかい、そこで待っとき」


 穴の奥が暗くてよく見えないので、小型の懐中電灯で照らした。スマホで「中に誰かが落ちたかもしれない」と通報もしておく。「中にあなたは入らないで」と言われたが、無視した。


 ――ボディービルダー舐めんといて。


     ※※※


 かずこは臭くて目が覚めた。


「べたべたするやん」


 まっすぐに落ちたと思ったがエプロンの前や背中、膝と靴にも濡れた土がついている。顔をこすると手にも泥がついたので、顔は真っ黒になっているかもしれない。


 暗くて何も見えない。怪我はしていないが、臭くて吐きそうだ。かんたんスマホの画面の灯りで辺りを照らす。


 ビニールの上に腰かけていた。ビニールハウスがクッションとなったようだ。その下にテレビやラジオなどがある。落ちる場所が悪かったら怪我をしていたかもしれない。


「ウチ、やっぱり穴に落ちたんかなぁ」


 見上げても光はない。そんなに深いのだろうか。腰かける前に穴の深さを石でも落として測っておけばよかった。


 スマホは圏外だ。山頂ならともかく、麓で圏外などあり得なかった。


 慎重にテレビやラジオの上から降りる。ぐりこっと何かを踏んづけた。表面が柔らかくて中が固いもの。小さいが人間の手だった。


「ひいいいいいい!」


 女の子の遺体だ。無残に押しつぶされて、小さな手と頭だけがひょっこり覗いている。目は閉じていたが、口には乾いた血の痕がある。驚き過ぎて、危なく入れ歯が抜けるところだった。


「ウチがやってもうたんか?」


 女の子の上に座っていた申し訳なさで、目頭が熱くなると同時に廃棄物の山に呆れた。誰かの悪意の上に積み上がっているとしか思えなかった。


「なんでこんなとこにおったんや。かわいそうに。ん? このピンクのワンピースどこかで見たことあるで。まさか、とつちゃんとこの、さくらちゃんか? えらいこっちゃ!」


 女の子を引き抜くことはかずこの力では不可能だった。今にも、家電製品や粗大ごみが崩れそうだ。


「あああ、とつちゃんが見たら悲しむやろなぁ」


 かずこがおいおい泣いてもさくらちゃんは生き返らなかった。そのとき、くらっときた。ショックのあまり脳卒中になったのかと思った。ストレスは間接的に脳卒中の原因になる。


 違う。地震だった。かずこは不法投棄された廃棄物の山から離れた。逃げようとしたら躓いて転んだ。穴はなだらかなカーブになっていて、ウォータースライダーのようにかずこは座ったまま滑った。


 さらに臭い部屋に着いた。とても広く歩いてみると五十メートルほどある。天井も高く、穴というよりは洞窟のような感じだ。だが、洞窟らしくないのが、岩肌があまりごつごつしていないことだ。足元には細かい突起があって太い毛の絨毯の上を歩いているような感触なのだ。心なしか、壁がオレンジの赤みを帯びているように見える。


 ぶへっ。


 壁が屁をこいた。臭い。かずこは鼻を曲げる。


 洞窟の壁に誰かが寄りかかって倒れていた。


 その若いお兄ちゃんにかずこは見覚えがあった。去年からこの裏山に猟をしに来るようになった、ユーチューバーだ。自分の腕が悪くて獲物が捕れないのに、面白いネタが欲しいから山菜採りに同行させろと上から目線で言ってきたレオ君だ。ツレの猟犬は耳が大きく、名前はヒデゾウで、飼い主の方が犬っぽい名前だったから憶えている。ヒデゾウに噛まれて裏山に逃げられたと愚痴っていた気がする。


 レオ君の右半身が壁に吸い込まれるようにして溶けていた。顔はただれて、見開かれた目の白目部分が壁と癒着してしまっている。癒着した際に逃れようともがいたのか、壁にはちぎれた唇が二つ、たらこの形でくっついている。


 腕は壁に入り込み、肘から出血している。胴も防寒着ごと壁にくっついている。まるでゴキブリ駆除の粘着剤に捕まっているかのようだ。


 左手に自撮り棒を握っており、死の間際まで配信用の動画を撮影していたようだ。見上げた根性だ。そのスマホは電池切れだった。ほかに何か使えそうなものは、額に装着しているヘッドライトだろう。


「ごめんねレオ君。借りてくわな」


 レオ君の背中には猟銃がある。狩猟免許は持っていないが、撃ち方ならレオ君のユーチューブで観た。というか、見ろって命令されて嫌嫌見た。


「レオ君がここにおるってことは、シカかイノシシでも出るんやろか、この穴」


 また地震が起きた。地面が波打っている。


「縦揺れや! こりゃ震度五ぐらいあるで!」


 ぐっと、壁が狭まった気がした。とても立っていられず、かずこは次の部屋に転がって行った。


 転んで滑っても、銃は離さなかった。後ろから悲鳴が聞こえた。揺れが収まって振り返ると、後光の差しているマッチョババアが滑ってきていた。


「とつちゃん! なんでここに!」


 かずこはすぐには立てなかった。余震が来るかもしれなかった。


 とつちゃんは機敏に立ち上がると、後ろポケットに差していた懐中電灯を構えて中腰で走ってきた。天井が崩壊しないか気にしている。


「かずちゃん! ここにおったんけ! 良かった無事で!」


「で、でもぉ……さくらちゃんとレオ君がぁ」


「レオ? あのアホ、人殺しよってんで。警察が探してる。さくらは……ほんま、なんでこうなったんや。きっとあの犬を探してたんやな」


 とつちゃんが悔しそうに顔を歪めた。その顔は泥だらけで、ぬらぬら光っていた。


「犬?」


「耳が大きい野良や」


「ああ、レオ君とこの野生化したヒデゾウのことか」


「あのアホ、犬も手なずけられへんのに猟師やってたんけ?」


「レオ君人殺したってほんまの話? さっきの部屋で死んでたんやけど」


「同業者撃ったらしいで。死んでんやったら、なんも文句言われへんな。それより、ここから早く出んと。かずちゃんが穴に落ちたかもって通報はしといた」


「ありがとう。でも、どんどん奥に転がって来てんねんよ。上から落ちて来たけど、空見えへんかったやろ? この穴って、土砂崩れみたいに塞がってんちゃうかな?」


「なら、奥まで探索してみるけ? こんなけ広いなら別の出口あるかもしれん。あたしら二人が脱出せな、さくらの遺体も出してやられへんしな。ああ、さくら。なんでこんな臭い穴に入ったんよ」


「入口は臭くなかったやん?」


「ほんまか? あたしら、裏山に通い過ぎてちょっと糞尿臭くても我慢できるからな。鼻麻痺してんのとちゃうけ?」


「そうかなぁ。なぁ、この部屋ハチノスみたいで面白いやんな」


「ほうけ。歩いたらコリコリするんけ?」


「牛の胃の方のハチノスみたいやん。え、待って。ウチら部屋どんなけ通った?」


 かずこは立ち止まる。


「二つけ?」


「次の部屋どうなってんのかチラっと見て」


「ヒダヒダや。もう一つ奥にも部屋あるで」


「最後の部屋には入ったらあかん」


「かずちゃん急に怖い顔せんで。なんやねん」


「最初穴から落ちたときGかかったやん」


「急降下のときはGがかかるって言わへんで」


「とりあえず落ちたやんか。で、広い空間に出たやんか。次の部屋に地震が来て入るやんか。で、次の部屋来たやん。ちょっとずつ小さぁなってるやろ?」


「ほうけ。言われてみると次の部屋はもっと小さに見えんな。入るけ?」


「入らん。この三つ目の部屋がひだひだになってて、確信したんや。とつちゃん……焼肉は好きやろ?」


「筋肉つけるためなら焼肉も好きや」


「ウチ、穴に落ちた思うたけどさぁ。ここ、なんかの生き物の口の中やったとしたら? 最初落ちたときに通ったんが食道で、広い部屋が第一胃。焼肉やとミノや。次の部屋が今おるところ、第二胃のハチノス。次の部屋が第三胃のセンマイ。最後に部屋があるとすると第四胃のギアラで、強力な胃酸がある」


「あたしらウシの腹の中におるんけ?」


 とつちゃんが怒ったような顔をする。


「ウシか知らんけど。穴やから……アナちゃん?」


「この大きさの生き物やったら……怪獣やんけ。アナちゃんとやらは」


 かずこもそう思っていたところだ。穴が上に向いて空いていたのだから、アナちゃんはチンアナゴみたいに細長く、地面に埋まっているのかもしれない。はっとする。チンアナゴには「アナ」とついている!


 とつちゃんが第三胃に向かう。駄目だと言ったばかりなのに。


「第三胃も第四胃も見に行くけ。胃なんかなくて、いきなり肛門かもしれへんやんけ?」


「嫌や。アナちゃんは口以外の全身が地面に埋まってんやで? 肛門から出ても生き埋めになるだけやん。うんこで」


     ※※※


 第三胃の隅の方に白骨死体があった。驚いたことに近くにタブレットが落ちている。電池はない。やはり駄目か。


「かずちゃんそれ貸し。充電したる」


 とつちゃんがモバイルバッテリーを取り出した。


「ジョギングのときにも持ってんの?」


「当たり前や。水分補給、充電、どっちも切らしたらあかん」


 かずこは遺体の服を調べる。防護服のような素材に見える。


「電源入ったで」


 充電しながらタブレットを見せてもらう。すでにログインしているのか、報告書のページが開かれた。


『新生物における生ゴミ処理能力の報告書』


 そこには驚くべきプロジェクトが記載されていた。新生物、学名「Minohanarchiceater kagayamarisus」(ミノオアナーキックイーター・カガヤマリーゾス)は、ごみ焼却施設の負担を減らすために人工的に作られた生物である。名前は箕面市で開発されたこと、無秩序に何でも食べること、完成したときに創造主である加賀山教授は笑顔であったことに由来する。


 全長約二十メートル。横に長い体躯で、胴回りは約五十メートル。


 アナちゃんの顔写真が載っていた。山で育成中の様子だ。ジンベエザメに似ていた。色は茶色くて、地面、いや山と同化している。ジンベイザメ似の横長の口は、まさにかずこが落ちた穴だ。口の両端に丸い椅子みたいな突起がある。つぶらな瞳が光っている。


「あの椅子。アナちゃんの目だったんだ」


「で、カガヤマをどうやって殺すけ?」


「人殺すみたいに言うのやめてあげて、アナちゃんは箕面市の生ごみ処理のために生まれたんやで。箕面だけやない。この食いっぷりなら大阪府全域の生ごみを減らせるって書いてる」


「でも、殺さんと出られへんやろ。さくらはここで死んどった。カガヤマの責任でもあるんちゃうか? ここで実験してること秘密にして。自分とこの職員も間違って食われとるやんけ」


 さくらちゃんは罪がない。かずこも陽大のことを思う。絶対に生きて帰らないと。

「猟銃無免許でも通報せえへんから、カガヤマ撃ち殺しぃ」


「アナちゃんや」


 レオ君のユーチューブが役に立つ日が来るとは。かずこ七十歳にして、生まれてはじめての発砲。第三胃の壁が硝煙で煙る。だが、アナちゃんには傷一つつかない。


     ※※※


 何時間も経った。時間の感覚がない。とつちゃんが胃の壁に体当たりしたり、殴ったり蹴ったりしたけどアナちゃんは無反応だ。ときどき起こる地震はアナちゃんの胃の蠕動ぜんどう運動だった。かずこはアナちゃんが胃がんとか胃潰瘍とか病気になっていないか、第一胃から第三胃まで走り回る。つまりは、弱点を探した。


 第一胃にいたレオ君が第二胃に運ばれてきていた。ある程度溶けると次の胃へと送られるらしい。ウシといっしょだ。


 もう無理疲れた。陽大のババちゃんおやすみという声が聞こえた。


 轟音で目が覚めた。


 ボボボーオホホホオホオ。


 ゾウが馬鹿にして笑っているような声だ。


 深夜三時になっていた。ほぼ丸一日アナちゃんの中にいたのか。


 第三胃で格闘していたとつちゃんが走って来る。


「今のは?」


「アナちゃんの鳴き声」


「カガヤマに馬鹿にされとるやんけ! もう怒ったで。でも、出る方法閃かへん!」


「簡単な方法があるけど」


「なんで言わへんの!」


「ウチらも死ぬかもしれへん。火ぃ点けたら」


「火か。ピノキオやな」


「あれは煙。でも、アナちゃんはジンベエザメとウシのハーフみたいなもんやろ? 問題があるねん」


「火がないんやろ」


「火はウチ作れるで。問題はウシのげっぷや。地球温暖化の原因にもなってるメタンガスが含まれてんねん。孫の陽大に教えてもろた。そのメタンガスは第一胃で発生するねん」


「ほな、ガス爆発して、カガヤマは吐くんけ?」


「たぶん。でも、そのときは火を点けた本人も吹き飛ぶねん」


「ええやん、それあたしにやらせて」


「そんなん、やらせるわけにはいかへんで」


 かずこはとつちゃんに挑みかかった。孫のさくらちゃんを失って悲しんでいないわけがない。自慢の筋肉美だって、もっと磨きたいに違いない。


 それに比べ、かずこの趣味は山菜採りだ。


「あんな。あたし、かずちゃんにここから無事に帰ってもらいたいねん。頼むわ。やらせて。娘はさくらのことに口出すとお母さんうるさいってすぐキレんねん。お母さんの娘じゃなくて私の娘やって。でも、さくらの願いなんて娘はちっとも叶えてやらへんのよ。辛いねん。あたし、もう誰かのために気ぃ遣うの疲れて自分のためにボディビルはじめたやんけ。それでも、やっぱり誰かの世話焼きたいねん。かずちゃん、あんたのことやんけ。ずっとご近所さんでいてくれてありがとな」


 とつちゃんと抱き合った。とつちゃんが泣くより先にかずこは泣いた。


「ウチもや。ウチも娘が大阪市へ嫁いでからウチの相手してくれんの、孫の陽大だけやねん」


「ほら、陽大のために帰らなあかんやんけ。あたしがおらんでもあんたはやってけるやろ。隣の家の町田さんの木があんたの敷地に伸びて入ってきたら、乗り込んで怒りって教えたよな?」


「うん。ちゃんと、文句言うてる」


「詐欺の電話でオレオレって相手が言うてきたときはどうするんや?」


「ウチやウチ! 名前と生年月日当ててみぃ!」


「生年月日を知ってたら?」


「ウチの生年月日を暗記してる家族はおらへん。一人暮らし舐めんなって言って電話切る」


「完璧や。ほな、行くけ」


     ※※※


 とつちゃんの懐中電灯はUSB充電式だったので乾電池が入っていなかった。第一胃の入り口、食道の真下の廃棄物の中にラジカセがあったはずだ。乾電池を抜き取る。


「あと火おこしに必要なんわ、銀紙。どっかにないやろか?」


「さくらがポーチにガム入れてるかもしれん」


 さくらちゃんの遺体は見るのも忍びないのに、とつちゃんは「今からくすぐるでー」と明るく声をかけている。


「あったで!」


 あったということは、これでアナちゃん爆破計画が実行に移されるということだ。

「かずちゃん、どこまで避難すんの?」


「第三胃」


「四まで行き。ガス爆発やで? どこまで吹き飛ぶか分からんやろ」


「四は胃酸が」


「溶けへん素材は知らんけ?」


「ほな、ビニールハウスのビニールと第三胃の防護服持って行くわ。素材がポリプロピレンとかなら溶けへんやろ。スマホで検索できたら確実やねんけど」


「あんた相変わらずよう知ってるな。孫に聞いたんかいな」


「ウチらお互いに教えあいっこしてんねん」


「あんたんとこの孫、いっしょに暮らせたら楽しいやろな。ほな、かずちゃんが溶けへんよう、祈っとくわ」


     ※※※


 第四胃は足首まで黄色い液体に浸かりそうだったので、ビニールで足首をぐるぐるに巻いた。第三胃の白骨遺体さんから防護服を拝借して、頭からもビニールを被る。天井から液体が滴っていたので、被っていてよかった。


 遠くで爆発音が響いた。乾電池のプラスとマイナスに銀紙を当てると、その銀紙が火種となる。とつちゃんが成功したのだ。


 地面が揺れる。爆破の衝撃で胃酸に倒れ込みそうになる。壁に手をついてしまい、防護服の手袋が煙を上げた。


 揺れが収まったので、慌てて第四胃を飛び出る。地面がうねる。アナちゃんそのものは吹き飛ばなかったが、苦しんでいる証拠だ。次第に上下に振動しはじめた。後ろからごぼごぼと音が聞こえる。


 アナちゃんが嘔吐しようとしている。


 第三胃から第二胃に向かって走る。腰が痛くなってくるが、最後のふんばりだ。

 背後から突風に飛ばされる。黒焦げになっている第一胃に転がり込んだ。壁から血が噴き出ている。食道では血が滝のようになって、空に噴き上がっていた。今まで見えなかった空が見えた。一昼夜経っていたのか? 日の出前の空だ。


 地面が盛り上がる。血ともみくちゃにされながら、かずこは空へ舞い上がった。


     ※※※


 堀山ほりやま真下ましたは翌日も廃棄物を捨てに来た。だが、穴に捨てようとしたら火山の噴火のように今まで捨てたはずの家電製品や廃材が噴出し、堀山の身体の上に落ちてきた。死の間際に垣間見えたのは、ビニールをクッションに着地する、山菜ババアだった。

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