星めぐりの知らせ
「──この調子なら問題なさそう。今回は言わないみたいね」
「……だといいけど」
いつものようにシシとふたり。誰も使っていない教室でその様子を見守る。
このままいけばいい。
そうすればシシの言うとおり、問題はない。
順調にいきさえずれば報われる。私も、シシも──。
その切なる願いのすべてが叶えばいいなんて、あたしはそんな羽根の生えた見た目どおりのことを思う性格じゃない。ただ、そうならなきゃ意味がないから。そこにたどり着くまでのなりゆきはなんだっていい。結果が伴えば、シシもこんなあぶない橋を渡る真似はやめてくれる。
あたしはただ、このバカと。できるかぎりの長い時間をともに過ごしていたいだけ。永遠なんて、いくらささやこうとそんなものはうそっぱちだから。
あたしはあたしのできることで、シシとの時間を繋ぎとめておきたい。だから、こんなことは早くやめてくれきゃ困る。
だれかにバレようものなら、落第や退学では済まない。そんなものすら甘く感じてしまうほどの"追放"が待っているんだから──。
シシになんど邪魔と言われても、あたしはそれをやめない。
手を加えなければ、もっとはやくあの子は救われて、シシは明日にだってこんなことはやめてくれるのかもしれないけど。
でも、あたしが救いたいのは、シシだけじゃないから。
"この輪廻はいつまで続くの──生きながらに眠って、あなたの帰りをずっと待つだけ──誰か、はやく私を手折って──"
あのときどうして干渉を起こしたのか。
それを知っているのは私じゃないし、彼女でもない。
その理由を知るのはきっと──。
被服室で力の配分を間違え、今回は例を見ないおかしなことになったけど、なぜだかうまくいってるようだし、とりあえずはこのまま波風が立たなければいい。
「見てリメア、ほらうれしそう」
「ん?ああ、ほん──シッ、シシ!!」
「ねえ、あれって泣いてるのかしら?ヌコみたいな声ね。あ、あなたは知らない?ヌコって先生が飼ってるララに似てるやつよ?」
ヌコじゃない。それを言うならネコ。
背筋をしっかり伸ばしてあんなに真面目に授業を受けてるのに、どうしてそんな間違いができるんだか。なんだその得意げな顔は。
それに、あれは──。
「シオン!みみみ、みちゃだめ!!」
あたしは慌ててその純真な眼差しを両手でふさぎ込む。
「ちょ、なにするのよ!見えないでしょ!!」
「見なくていいの!!ばかシオン!!」
あたしの手から逃れようと暴れるシシを追い回しているうちに、勢い余った足が床と摩擦を起こして身体が前に倒れ込んだ。
──ガラガラ──
「…おや?おじゃまだったかな?」
そして最悪のタイミングで訪れたのは招かれざる客。
「ロ、ロゼ…!」
「ロロ!!」
「リリとシシにそんな趣味があったなんて、長い付き合いだけど知らなかったよ」
床に手をついて、シシのうえに追い被さる形になった私を見てロゼはそう言った。
「そんな趣味?どういうこと?」
「だって、そこに映ってるのを見ながら──だろ?」
「ちょ、ちょっと!!ロゼ!!!」
「映ってるのって?」
「だってあれはめしべとめしべの交──」
「ロゼ!!!!」
「めしべと、めしべ…?」
あたしは大声を出してその続きを遮った。
ロゼのことだ、どうせ交配における愛撫活動のなんちゃらとか、そんなことを言うにきまってる。無垢なシシにそんなことを聞かせちゃいけないと、あたしは起き上がってその肩を掴んだ。
「ロゼ!!あんたいままで一体どこ──」
「あぁそうだシシ。きみにプレゼントがあるんだ!」
「プレゼント?!」
「今から取ってくるよ。ぼくとリリを部屋まで送ってくれないかな?ちょっと大きいものでね?」
「わかったわ!いってらっしゃい!!」
「ちょ、シシ!!」
──シュッ──
「──っと。いやあ見事だね、シシのテレポーテーションは。すばらしい個性だ」
「ロゼ!あんたどういうつもり!!」
「ん?なんのことだい?ああ、この前シシが作ったクッキーを勝手に食べたこと?」
そうじゃない。そんなことは今初めて知ったけど。
あたしの分は先生が食べちゃったって、シシはそう言ってたけど。
「シシが作ってくれたクッキー…ってそうじゃない!なんのことかなんてわかってるでしょ」
「ちょっと前に寝室に入ったのはやっぱりリリかぁ…きみも隅に置けないねぇ。ぼくを読むなんて」
「ロゼ、」
「だってそうだろ?どうやってるんだい?ぼくは頭でものを考える。心なんて読めっこないのに」
「は?」
それはロゼが勝手にそう思い込んでるだけ。心でなにも思わないひとなんていない。
誰しも、一つくらいはそこに浮かぶものがある。
そう。想い人のことぐらいは──。
「そんなことよりあんたね──」
「おっとリリ。あんまりうるさいとシシに嫌われるぞ?」
「なっ、うるさいのはあんたのそこでしょ!寝てるときまでレディレディってばかみたいに!」
あたしはその胸を指差して、今度こそ悪だくみを全部まるっと読み切ってやろうと胸ぐらに手を伸ばした。
「リリ、いいのかい?いま触れたら、ぼくはきみに個性を使うぞ?」
その言葉を聞いて、触れかけた手がピタッと止まる。
「……いいよ別に。都合悪いこと、ないし」
「そうかい?じゃあばらしちゃってもいいかな?きみがシシの心を読んでないってこと」
「なっ!!なんでそれ知って──」
「意中の相手の心なんて、個性を使わなくてもわかる。きみがいつだってシシの行動を読めるのはそういうわけだろ?」
「ち、ちが」
「なぜ読まないんだい?想いを寄せた相手は読めないのかい?それとも単に読むのが怖い?」
「……。」
「ふむ、後者か。昔からリリは見かけによらず臆病だからね」
「ロ、ロゼ!いいかげんに!!」
好き勝手言いたい放題、いつもあたしをおもちゃにして遊ぶロゼが苦手だ。シシのやつ、いったいこんな悪趣味のどこがいいっていうんだか。
「愛とはうつくしいものだね。とっくに上級にいけるレベルを持っているのに下級に留まり続けるなんて。シシのなにがそんなにいいんだい?」
「…ロゼ、あんたね…」
私は今度こそ、本気で怒った。
頭脳では勝てっこないけど、物理的な力ならロゼにだって負けない。拳をぎゅっと握りしめ、その顔めがけて振りかざした。
「おっとストップだリメア。これを見てよ!」
あと一歩、もう数ミリのところで私の拳に当たったのは一枚の紙。
「…それって…」
「推薦書さ。候補者にはきみの名前が書いてある。ぼくがこれを出してしまえば、きみはすぐに上階層行きだね?」
「……」
「なんだい?怖い顔して。ぼくはただ、もったいないと思うんだ。寝ている相手の深層心理を読めるなんて、その個性の強さは並じゃないよ。それにきみは個性に負けない知性だってある」
「…そんなのただの脅しじゃん」
あたしはロゼを睨みつける。殴れない代わりに、その視線で鋭く刺すように。
「リリ、いい顔をするねぇ……まあしばらくは出さないでおいてあげるから、ぼくの気が変わる前にシシを教育しておくんだね!」
「……いいの。シシはあのままで」
「…きみはずいぶん歪んでいるね?」
「あんたに言われたくない」
「そうかい?じゃあぼくは行くよ、シシによろしくね?」
ロゼは勝手に話に一区切りつけると、涼しい顔で窓をあけ、外へ飛び出した。
「あ、そのおもしろい力、また今度貸してくれよ」
「ちょ、まだ話は終わって──」
大きく広げられた翼は目の前でばさばさと助走をつける。
こんな距離ではためく奴があるか!──とあたしはその風に文句を投げた。
「ぼくはぼくの花を咲かせたいだけさ」
旋風の中にその声だけを残して、ロゼはすぐに見えなくなってしまった。
「……またって、いつ借りたんだよ…」
つむじ風がおさまってきたころ、ひらひらと一枚の紙切れが宙を舞っていることに気づいて、あたしは窓の外に手を伸ばす。
「……あいつ──もう!ロゼ!!!」
手の中に落ちてきたのは先ほどの推薦書だった。
──親愛なるリリへ──
ちょっとやりすぎちゃったかな?
ごめんよ、怒っているきみの顔がかわいらしくてつい!
推薦なんてするつもりはないし、きみは好きなだけシシといればといい。
ぼくはじゃれあっている二人を見るのがだいすきなんだ。
だからこれはゴミ箱にでも入れておいてくれ!
p.s.
無垢で素直でがんばりや──シシのいいところはたくさんあるよ!
きっとリリがいちばん怒ったのはそこだろうから、弁解しておくよ。
──ぼくより──
「………まじでむかつく…」
いつもいつも。ロロはこうだ。
だからあたしはあいつを心から嫌うことができない。
「…てかプレゼント、どうしよ…」
ロロはどっか行ったよ──そんなことを言ったら、きっとリリは悲しむ。
それに、今頃わくわくしながらロロからのプレゼントを待ってるに違いない。
「はぁ……なんか探してから帰るか」
あたしは大きそうなものを探すために部屋を出た。
しょぼんと肩を落とすその姿を、見たくはないから──。
*********
“そういえば、森はどうだった?”
スティロに浮かぶ博士からの通知。
それを見て私は気づいた。
本来の目的をすっかり忘れていた──と。
隣で土をさらさらと慣らしながら、青い花に水をやるレイからは音符が浮かんできそうな勢い。
あの日、私があげたその瞳のようなそれはまだ根が残っていると、レイは裏庭の土にそれを返し、こうして毎日のように愛でている。そんな彼女を見るたび、私の胸の真ん中はじんじんと。おそらく彼女が花を愛でているときのその感覚と同じようなものを抱いている。
陽も落ち着いてきたところで、そろそろ毎日のおやつの時間。
二人で居間に戻ると、私は彼女の淹れてくれたコーヒーを飲みながら、博士への返事に迷っていた。
こことは違う青い星。そこに私は戻りたい。そんななによりも大事な目的を忘れてしまうほど、私の世界の中心はレイになってしまっている──。
だが、そんなばかげたことを博士に知られるわけにはいかない。
まったくどうしたものか。私は文愛をたしかに愛している。彼女のことは大切で、私は彼女のことを好きなままでいたい。だからこそ、本来やらなければいけないことがあるというのに。台所に立つその姿に目を奪われてしまうのはどうしてなのか。
“ああ、行きましたよ。特に何もわかることはありませんでした。”
私は淡々と、スティロにそう投げかけた。
“それは残念だね…だったら中央図書館はどうだい?ルピナスとガセミのあいだにあるんだ!過去の新聞が保管してあるはずだから、行ってみるといいよ!”
“新聞?”
“もしかしたら、きみと同じような人が過去にもいるかもしれないだろ?データを探るのは基本中の基本さ!”
「…なるほど」
たしかに、何か手掛かりになるものはあるかもしれない。
どちらにしろ私にはやるべきことがある。文愛のもとに行かなければいけないという目的は変わらないのだ。
「行ってみるか…」
「?」
ひとり呟いていると、どうしたの?とレイが椅子に腰かけた私の後ろから両腕を回してくる。振り向き、指先でその顎の下あたりをくいくいと撫でると、目を細めてくすぐったそうな顔。渚が潮風に揺れるように、胸が穏やかに波打っていく。
明日、少し出てくるよ──指で半円を描くようにするのは太陽が沈む、つまり夜。そこからさらに下半の円を描くのは翌朝。ハンドルを握る動作を見せると、レイは目を少し丸くしながらコクコクと頷いた。どこに行くんだろうと、そんなふうに。
私は席を立って窓際の棚から本を何冊か取ると、目的地を伝えようとしたが、彼女の返事は曖昧なもの。本を買いに行く──そうとでも伝わっていそうだ。まあ、それでもとくに不都合はないしいいかと、手にもったそれを棚に戻そうとしてその奇妙な文字に意識が割かれる。
博士の家では目にしなかったこの形。町なかや店でも見かけたことはないように思う。最初の日に渡した手紙のそれとよく似ているが、同じものかもよくは分からない。やはり仮名文字やそのあたり?もしくは、国はないが町によって別の言語も存在するのだろうか?
「……?」
今日はおやついらない…?──そんなふうにりんごの乗ったパウンドケーキを持って首を傾げるレイに、私はささっとそれをもとに戻して割かれた意識のすべてを彼女へと注いだ。
もう腹ぺこだよ。
そう言うようにお腹を撫でて、ほほ笑んで──。
*********
「大きいな…」
やけに大きいその建物を見上げて思わず声が漏れる。
戻って遂げなければいけないことがあるというのに、なぜか図書館への足取りは軽いものではなかった。
行ってくると、そう告げて家を出てから数時間。今頃レイはどうしているだろうと、そんなことばかりが頭につきまとっている。
中央図書館──おおよそとしても、どれだけのそれが並んでいるのかは計り知れない。低層階のマンションほどの高さがある本棚はずらっと立ち並び、専用のリフトがいろいろな箇所に配置されている。以前、博士と出向いた資料館とは比べ物にもならない。
この中から新聞記事を収拾している棚をあてずっぽうで探し当てるのは不可能に近いだろう。一日かけても、それは叶わなそうだ。
なんとか聞けないものかと、係員を捕まえそれらしい身振り手振りをしてみる。頭の中で過去の新聞を探しているのだと必死にイメージしても、相手はハテナマークを浮かべてばかり。思考能力が長けているといっても、皆が博士やレイのようにはいかないものか──と、私は仕方なくスティロを開いた。
“博士、新聞の棚がどこか分かりますか?”
仕事中かなとは思ったが、数時間かけてここまできたのだ。諦めて帰るのはなんだか癪だった。
“たしか東-5の棚じゃないかな?東は細長い三角の図形が右を向いたもの、数字は点が三つまで縦に並ぶんだ、きみならそれでわかるだろ?”
すぐに帰ってきたその返事を確認すると、私は想像できるものと一致するような表示を探した。
"◁ - :"
右が東なら、これは…西の2?──そんなふうにしながら、数分歩いているとやっとお目当ての棚にたどり着くことができた。
まわりを見渡して空いているリフトを探すと、それを使って上にあがる。とりあえず一番うえに上がってそれらしいものに目を通していけば良いだろう。
分厚いファイルを手に取り、一ページ一ページきれいにまとめられたそれをざーっと流していく。ずいぶんと古いものまで残っているなと、感心してしまうほどに色褪せたその数々は、ぺリウスの歴史の長さを物語るようだった。
上から三段ほど、目を通したところで気づいたのは、その文字の形。
200年ほど前の日付がついたそれは、レイの家の本棚にあるものと同じだ。彼女は古典文学でも読んでいるのだろうか?
「……うん、好きそう。そういうの」
なんだか彼女らしく、ふっと笑ってしまう。こんなことでなごやかな気分になってしまうなんて、私は本当にどうかしてしまっている──と、次のページを捲ったときだった。
──ガシャンッ──
と、大きな音を立て、手からそのファイルが数メートル下の地面へ叩きつけられたのは。
私はリフトのボタンを押し、下へと急いだ。周辺の人と、その音に駆け付けた係の人にひたすら頭を下げてそれを拾う。
図書館という静寂な場所で大きな物音を立ててしまったということでも、保管されている貴重な資料を雑に扱ってしまったことでもなく、私の頭の中は先ほどのページで埋め尽くされていた。
拾ったそれをすぐに広げ、日付を急いで流して同じページを探す。
「………なんだ…これ──」
やっと見つけた先ほどのページ。
そこに載る一枚の、白黒の写真。
なにかの収穫祭のような賑わいを見せるその写真に写っていたのは──私だ。
ここに来てからこんな写真を撮った覚えも、撮られた覚えもない。
ではなぜ、こんな写真が──。
並んだその点の数をひとつずつ数える。
最初の点はひとつ。二桁目は縦に並んだ三つのそれが二列と、三列目に点がふたつ──おそらくは八。三桁目は縦に点が三つで、三。最後に、三と二点で、五。
「1835年…?」
いまから、190年ほど前──。
なぜこんな途方もない昔の記事に自分が写り込んでいるのだ。
私は額に汗をかきながら、何度も何度もその写真を見返した。
近しい日付に自分の姿がないかも、必死に。
結局、その一枚。そのたった一枚だけだった。
白黒であるし、その濃度も荒い。これだけで自分だと確定するには、気が焦りすぎている。それに、こんな時代に私がいるわけはない。もしいたとして、じゃあ今ここでファイルを捲っている自分はなんだというのだ。人間の寿命の平均はせいぜい八十年程度。ありえない。だいたい、なぜこの世界の過去なのだ。私はここの人ではないというのに。これが私なんて、そんな推測はばかげている。きっと、よく似た人に違いない。もしくは博士のいたずらという線も考えられる。
私は首を横に振ってそのファイルをパタンと閉じた。そしてそれをもとの場所に戻すとリフトを下げ、そのままそこを後にした。
手のひらに感じる汗ごとハンドルを握りながらそれを飛ばす。
彼女に、レイに会いたい。りんごのような彼女の匂いに包まれて、もうこのまま朝まで眠ってしまいたい。
私は動揺する心をごまかしながら、ひたすら彼女の家を目指した──。
*********
なんとか陽が暮れる前に戻ってこれた私は、そのドアを開き彼女の家の匂いを感じると、疲れた頭が幾分か楽になるのを感じた。
だが、居間を覗いても庭を見渡しても、レイの姿はそこになかった。
どこかに出ているのだろうか?──念のため、と私は二階のピアノ部屋もチラッと覗いてみたが、そこにもあの瞳は見当たらない。
仕方ない、戻ってくるまで少し横にでもなるか──と、私はしょんぼりと階段を下り、居間の横の自室へ戻ろうとした。
「──あ。」
そして部屋の前まで来て気づく。彼女の部屋を、確認していないと。
「……レイ?」
洗面所脇のドアの前に立ち、もう私のそれぐらいは分かるだろうと、軽くノックをしながら声をかける。だが、出てくる様子はなく、耳を寄せても物音はしない。一応、とそのドアノブに手をかけてキーッとそれを押すと、やはり中にその姿はなかった。
そもそも、ここ最近彼女が自室にいることはないのだからそれは当たり前なのだが、居てほしいという願いが強く、私はまた一段と肩を落としてしまった。
ドアを閉めようと手前に引いて、その反動でふわりとそよぐ空気。そこに乗った彼女の匂いに、よくないとは思いつつ、私はそのドアを閉めることができなかった。
「……少しなら、いいかな…」
誰が聞いているわけでもないのに、ドアがまた音を立てないようにゆっくりとそれを押し開ける。そして初めて足を踏み入れる彼女の部屋。シンプルなのに、青い小物で統一され、枕もとには人形も置いてある。彼女によく合ったその部屋の雰囲気に、思わず身体から力が抜けるとあくびがひとつこぼれた。
なんて単純な脳みそなんだと自分に失笑しながら、私はそのベッドに腰を下ろす。布団から香る彼女の匂いに、思わず飛びついてしまいそうな身体をぐっと堪える。家主がいないというのにそのベッドで寝ようなど、悪趣味もいいところだ。
私はレイが帰るまで我慢しようと、膝に手をついて残念にも重たい腰をあげる。最後にもうちょっとだけ──そう、めいっぱい鼻から空気を吸い込んで、部屋を出ようとドアノブに再び手をかける。
「あ…」
そのとき目に入った机の横の本棚。そこに並ぶのは先ほどあそこで見た形と同じ文字。やはり古典文学か?──中身はなんだろうとそれを手に取りパラパラとめくるが、文章だけでは到底理解できるわけもなかった。せめて漫画でもないものか。
その背を視線でなぞると、下段の方に見つけたのはアルバムのようなファイル。背に記されている点は、博士が教えてくれた数字の並びなのだろうが、掠れていていつのものなのかはよく分からない。
もしかすると、幼少期の──?
子どもころのレイはどんな顔をしているのだろう。
きっと愛らしいに違いないが、その瞳は、笑っているだろうか──。
興味本位でそれを引き出すと、ずいぶんと古く、表紙のそれもぼろぼろという表現が正しいだろう。そういえば、レイの年齢をまだ聞いていなかった。もしかしたら、私より年上だったりするのか──いいや、そんなはずはない。あの寝顔は、まだまだ子どものそれなのだから。
微笑ましいレイのその顔を思い出しながら、重力に任せてそれを開いていく。
そして、私は瞬きを失うことになった。
「……レイ、と──私…?」
あっちにも、こっちにも。どのページを見ても、レイの横に写るのは私の姿。何度目を擦ってみても、それは間違いなく私で、彼女だ。
「ど…、どうして…ここにも…それに、この日付──」
1830年、1853年、1880年──。
写真の右下に印字されたその続いていく数字に、呼吸すらも失くしてしまいそうになる。
一体、これはなんだ。
どうしてこんな昔の日付に彼女と私が──。
それに、この感覚の空き方はどういうことだ。
奇妙に数十年、経過しているものばかり。
それなのにどうして。
「この二人は老いていないんだ……」
背表紙に挟まる一枚の古びた紙。
五線譜のうえに図形が乗り、上下にばらばらと散らばる様子は見覚えがある。
「これは…譜面…?──!!」
そのとき、鳴ったのだ。
沈静の中をしずしずと、時間をかけて積もっていく雪のような音が──。
「……やっぱり、あっちから」
私は家を飛び出し、音の鳴るほう──森の奥へと、草を蹴り上げた。
冷たい風の吹くほうへ。その譜面を、手に握りしめたまま──。
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