刈っても刈ってもドクダミ女

Meg

刈っても刈ってもドクダミ女 1話完結

 初夏のまばゆい日差しが、じっとり湿った空気を熱する。沸騰しそうな熱気にも関わらず、裏庭に面した林からは、耳障りな虫の鳴き声が絶えない。ジリジリと鳴くのはミンミンゼミか。チーと鳴くのはニイニイゼミか。

 一軒家の裏にこしらえた菜園は、湯のなかにあるようだ。朱里は暑苦しい軍手を放り捨て、額から噴き出る汗を、首に掛けた手ぬぐいで拭った。


「暑」


 それから鎌を前後に動かす。しつこく生える雑草を、根ごと刈り取って山積みにしていく。土の粒が混じった汗が、上まつ毛にからまり、目に染みて痛い。腰もズキズキとしてくる。

 この季節、雑草はいくら刈ってもすぐに生える。特にドクダミがしつこい。何かの麺みたいなちぢれた根っこを、中途半端に土中に残すと、紫を淡く帯びたハート型の葉が、刈る前よりも増殖する。人間への当てつけだろうか。鎌で根こそぎ掘り出さなければならないのだが、どこに隠れているのやら、いくら刈っても掘っても、知らぬ間に生えてくる。

 

「刈っても刈っても生えてくるんだから。あの女そっくり」

 

 自分でつぶやいてから後悔した。思い出したくもないことだったのに。苛立たしい記憶をごまかそうと、柄を強く握りなおした。

 こんなにも苦労して雑草を刈るのは、裏庭を耕して植えたナスやキュウリの成長を守るためである。手塩にかけた作物がたわわに実を実らせるのを見るのは、朱里の日々の楽しみだ。愛着もあるし、わが子のように思っている。本当の子供たちは畑の手伝いをせず、クーラーの利いた家の中で、高い歓声を上げながらゲームに興じているが。


「朱里」


 背後から低い声で呼びかけられたので、振り向いた。太い片腕で肥料の袋を抱えた夫が、地面を見下ろしている。


「雑草減ったね。ありがとう」


 朱里はもう一度手ぬぐいで顔を拭いた。照れ隠しだ。

 とりたてて美男子ではないが、愛嬌のある彼の笑顔は、ちょっと見惚れる。無邪気な褒め言葉は、素直に人をうれしくさせる。一緒にいると、ほどよく整えられた庭を歩くような、あたたかい居心地のよさを感じさせてくれる。居心地がいいから、変な女にも目をつけられる。

 夫は不意に、「あっ」と声を上げて足をのけた。彼の足元に生えているのは、脛の中間あたりまで伸びたドクダミだった。小さな白い花をつけている。

  

「この草かわいいね」

 

 かわいい。そう。このやっかいな雑草が。

 夫の無邪気な慈しみによって、朱里の心の奥底に封じ込められた怒りと憎しみのかさぶたが、無神経に掻きむしられる。立ち上がり、彼がかわいいと称えたドクダミを、力任せに引きちぎった。

 口を開けて立ちすくむ夫を尻目に、ちぎった草を、抜いた雑草の山へ放る。黒い土の粒が飛び散り、服が汚れた。

 

「おい」

 

 今の出来事をなかったことにして除草を続けようとしても、夫は眉をひそめて許してくれない。

 自分がしたことは、なかったことにしようとしたくせに。自分のなかでは、なかったことにできてないくせに。

  

「刈っても刈っても生えてくるんだから」

 

 さっき呟いた言葉を繰り返した。

 あの女はドクダミと同じだ。抜いても抜いても男の心に潜み、しぶとく増殖する。

 鈍感な夫は、朱里の言いたいことがさっぱりわからないのか、

   

「無視するなよ」

 

 と、とんちんかんな答えを返すのが精一杯らしい。

 

「あの女のことはもう忘れてよ。せっかくあなたを許したのに」


 もう少し踏み込んで言ってみると、肩をすくめられた。ようやく理解したのか。

 

「悪かったって何度も謝ってるだろ。なんでそうなるんだ?」


 自分に言い聞かせているわけでもなく、本当にわかっていないような口ぶりだ。

 このまま意味不明な言動をしただけにされるのも癪だった。だから、懇切丁寧に教えてやる。


「あの草、ドクダミっていうの。漢字で書いて」

「どういう字?」

「『度々』に『久しい』に『太い』に『美しい』って書くんだよ」


 早く朱里の機嫌を直したいのか、言われるがまま、夫は汚れた人差し指の先で、手のひらに字を書く。

 度久太美ドクダミ

 4つの漢字を書いた彼は、一瞬硬直した。次いで思考を払うように、手のひらの土汚れを落とす。

 

「久美とはあれ以来会ってない。連絡もつかないし」


 拗ねた子供のような言い草に、朱里はぶちぶちとドクダミを抜きながら、

 

「いるんでしょ? まだ心に」


 と、本音を抉った。林の大音量の虫の声と、家の中の子供たちの甲高い歓声とが、重たい沈黙に被さり、抉り方をどんどん深める。

 夫は目を逸らした。重たく垂れるナスをもぐと、

 

「揚げナス作るよ。朱里は好きだったよね」

 

 堪えきれなかったようだ。

 表側の玄関の方向へトボトボと去る、丸まった背中へ、朱里は呼びかける。


「床汚さないように泥は払ってよね」

 

 それから、そこらじゅうに生えたドクダミを見下ろし、腰を落とした。草の根元に鎌の刃を当て、柄を小刻みに前後に動かして、土をかき回す。泥と草のにおいと一緒に、柔らかくした地面からは、絡まり合うちぢれた根っこが、面白いように引き抜ける。手の骨に伝わる、根が抜けていく感触が、気持ちいいことだけが救いだった。


「あ」


 無数の根の間に、プラスチックのような薄紫色の小さなカケラが混じっているのを見つけて、鎌を止めた。テラっと光るソレは、つけ爪だ。薄紫はドクダミの葉が帯びる色にも似ている。

 あの女、久美は、パステルパープルが好きだった。夫にプレゼントさせた財布やアクセサリーも、およそこんな色をしていた。

 虫の声がうるさく響く。土中の爪と、朱里は睨み合った。汚れた爪は怒っているようにも泣いているようにも見える。

 死んで楽になるだけではつまらなかろうと、あの女を首を絞めながら、思いやってやったのに。あの女が退屈しないよう、夫と朱里が地上で幸せに生きている声を聞かせてやろうと思って、この庭の深い場所に埋めたのに。朱里の温情を無視して、夫の目に触れる場所へ現れ、夫の心に増殖して、夫のなかで生い茂りたいのか。そうやって、また朱里の家庭を壊したいのか。

 根をそいだあとの地面の穴ぼこに、爪を落とした。柔らかい土で蓋をしてから、抜いた雑草の山も被せる。

 

「本当、ドクダミみたいな女」


 夫はあの女を忘れてくれない。一度種が飛んだら最後、しつこく根を張る。朱里の大事な大事な菜園を、ハート型の葉でいっぱいにして、作物が本来受けるはずだった養分を奪い取る。

 このぎらついた日差しがやわらぎ、鎌を動かさなくて済む日を、心の底から望んでいる。

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