第二話④ エピローグ~七年後の再会
紅葉がいろあざやかに色づき始めた秋の夕暮れ、無名庵の前に一台のタクシーが停まった。洗練されたスーツに身を包んだ若い女性が降り立ち、懐かしむように店の佇まいを見上げる。
長く伸ばした黒髪を一つに束ね、凛とした佇まいの彼女は、深呼吸をした後、そっと引き戸に手をかけた。
引き戸をそっと開けると、中では源さんがいつものように茶碗を静かに磨いていた。七年の時を経ても変わらない、その姿に雫の胸は温かくなる。
「いらっしゃい」
源は顔を上げ、穏やかにほほ笑んだ。
「お久しぶりです、源さん」
「雫さん、久しぶりですね」
店内は七年前と変わらず、古道具たちが静かに時を刻んでいた。黒猫の言の葉も、七年の歳月が過ぎたにもかかわらず、少しも老いた様子はなく、艶やかな黒い毛並みと澄んだ瞳のままで、雫を見るとすぐに「ミャア」と鳴いて近づいてきた。
「この店も言の葉も、まるで時が止まっているようね…変わらないわ」
雫は不思議そうに言の葉を見つめながら、その柔らかな毛を優しく撫でた。源はそんな彼女の表情を見て、微かに笑みを浮かべた。
「良かったら茶室にどうぞ。そのままですよ」
源に促され、雫は言の葉と共に茶室へと向かった。
七年前と同じように、季節の花が活けられ、温かなお茶と小さなお菓子が用意されていた。香ばしいほうじ茶の芳しい香りが茶室に広がり、小皿には素朴な形の胡麻クッキーが並んでいた。
源がゆっくりとほうじ茶を注ぐ様子を見つめながら、やさしい香りと変わらない空間に深い安心感を覚えた。
「最近、あなたのことを新聞で拝見しましたよ。舞台『境界の彼方』の演出と衣装デザインで、新人芸術家賞を受賞されたとか」
雫は照れたように微笑み、お茶を一口すすった。
「はい。簡単な道のりではありませんでした。大学で舞台芸術を学んで、最初は自分の居場所が見つからず、何度も挫折しそうになりました。先生や友人に相談しながら、時には激しく議論することもあって…。卒業後は小さな劇団で修行させてもらいながら、自分の表現を少しずつ変えていきました。」
雫は懐かしむように微笑み、続けた。
「絵画だけでも、舞台だけでもない、自分だけの表現を模索する日々…時には自分が何をしたいのかわからなくなることもありました。でも、様々な人との出会いや対話を通じて、少しずつ自分のやりたいことが見えてきたんです。去年、ようやく念願だった自分の作品を上演する機会をいただいて…本当に長い旅のようでした」
「当時は、『魂が感じられない』という言葉に傷ついて、自分の才能を疑っていました。でも源さんが教えてくれたように、それは私がまだ自分の表現を探している途中だっただけなんですね。いろんな芸術に触れ、特に舞台の生の躍動感に心を奪われ…気がついたら、絵を描く技術と舞台表現を融合させた自分だけの芸術を創り出していました」
雫は一瞬言葉を切り、少し照れたような表情を浮かべた。
「実は、大学三年の時に、あの厳しかった高校の先生と偶然再会したんです。美術館の企画展で。私が学生スタッフとして展示の手伝いをしていて…先生は私の作品を見て、すぐに私だと気づいてくれたんです。」
源は静かに頷き、雫の言葉に耳を傾けた。
「先生は作品をほめてくれて、私に謝ってくれました。才能を感じていたけれど、強い個性が埋もれていると思って、あえて厳しく言ったんだと。でも、その言い方が強すぎたことを後悔していたそうです。『あの言葉があなたの可能性を狭めてしまったなら申し訳ない』って…」
雫は柔らかくほほえんだ。
「でも私は、あの言葉があったからこそ、立ち止まって自分を見つめ直すきっかけになったと伝えました。先生は安心してくれて、今では時々連絡を取り合うようになりました。先生も私の初演を観に来てくれたんです。」
「素晴らしいですね」と源は静かにほほえんだ。
「はい。人との出会いや言葉って、その時は傷つくことでも、後から見れば成長のきっかけになることがあるんだと思います。」
源はゆっくりと立ち上がり、棚から一つの茶碗を取り出した。
黒楽茶碗「禿」だった。
「覚えていますか?」
「もちろんです」雫は微笑んだ。「あの日から、私の人生が変わりました」
雫は茶碗を受け取り、その表面をなぞるように撫でた。
「当時は、『魂が感じられない』という言葉に傷ついて、自分の才能を疑っていました。でも源さんが教えてくれたように、それは私がまだ自分の表現を探している途中だっただけなんですね。いろんな芸術に触れ、特に舞台の生の躍動感に心を奪われ…気がついたら、絵を描く技術と舞台表現を融合させた自分だけの芸術を創り出していました」
「素晴らしいですね、雫さん。まさに自分だけの道を見つけられたのですね」
雫は頷き、懐から一つの封筒を取り出した。
「実は、私の新作の初演チケットを持ってきました。もしお時間があれば…」
源は嬉しそうに封筒を受け取った。
「ぜひ観に行かせていただきます。とても楽しみです」
「今回の作品は、『内なる光』というタイトルなんです。表面的な美しさではなく、内側から輝く本当の美しさをテーマにしています。この茶碗から教わったことを、私なりの形で表現してみたくて…」
言の葉が二人の間に入り込み、雫の膝の上で丸くなった。雫は優しく猫を撫でながら続けた。
「あの日、源さんに『あなたが表現したいものを表現していけばいい』と言われて、本当に救われました。今でも迷ったとき、その言葉を思い出すんです」
源は静かに頷き、雫の成長を温かく見守るような眼差しで彼女を見つめた。
「雫さんの芸術が、多くの人の心に届きますように」
「ありがとうございます。これからも精進します」
二人は静かに向かい合い、時間がゆっくりと流れていく。窓の外では、紅葉の葉が一枚、風に揺られて舞い落ちていた。
骨董店『無名庵』~心の茶室で紡がれる物語~ 藤紫 雫 @kurobee1974
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