第二話② 才能ある少女と将来の悩み~心の声に耳を傾けて

「将来、何になりたいのか分からなくて……」


 雫の言葉は、茶室の静寂に溶け込み、かすかに震えていた。

 言の葉が小さく鳴き、雫の膝に頭を擦り寄せる。シルクのような感触とじんわりおとしたぬくもりに少し落ち着いたのか、雫はゆっくりと続けた。


 「私、絵を描くのが好きで……小さい頃から絵の具やクレヨンを持っていると、時間が経つのも忘れるくらい夢中になっていました。幼稚園の頃から、『雫ちゃんは絵が上手ね』って言われ続けてきて……。」


 雫は少し俯いて、手元のタルトレットの破片をそっと指でつまんだ。


 「中学の時に出した絵が、全国コンクールで賞をとって…それからは、みんな『雫はきっと美大に行くんでしょ?』『将来は画家になるの?』って言うようになって。今の高校も、美術科があるところを選んで……」


 源は静かに頷き、雫の言葉に耳を傾けている。言の葉はまるで雫の言葉を理解するかのように、その大きな瞳で見つめていた。


 「でも、高校に入ったら…自分より上手な人がたくさんいて。先生からも『雫さんの絵は技術はあるけど、魂が感じられない』って言われて…」


 雫の声が小さく震え、目に涙が浮かんだ。


 「その言葉が頭から離れなくて…本当に私に才能があるのか、この道でいいのか…分からなくなってきたんです。」

 「ミャア」


 言の葉が心配そうに鳴き、雫の手に頭を擦り寄せた。


「そういう時もありますよね。私も、若い頃は、ずいぶん悩みましたから」


 源の言葉に、雫は少し顔を上げた。


「源さんも、ですか?」

「ええ。骨董屋を継ぐ前は、色々なことをしました。絵を描いたり、小説を書いたり、旅をしたり…。でも、どれも、長続きしなかった。結局、私は、この店の片隅で、古いものたちに囲まれているのが、一番落ち着くことに気づいたんです」


 源はそう言って、一つの茶碗を取り出した。それは、小ぶりで表面にはざらざらとした質感があり、所々にひびが入っている黒楽茶碗だった。


「この茶碗は、『禿』という銘がついています。もともとは鮮やかな色で美しい景色が描かれていたそうですが、長年使い込まれるうちに、その景色は消え、ただ黒いだけの、まるで禿げた頭のような姿になりました。しかし、千利休はその姿にこそ、真の美を見出したというのです。」


 雫は茶碗を手に取った。冷たく重みのある感触が、不思議と彼女の手に馴染んだ。


「何もないからこそ、何にでもなれる。何もないからこそ、どんな色にも染まれる。人生も、同じかもしれませんね。まだ、何も決まっていないからこそ、これから、どんな未来だって描けるんです」


 源の言葉が、雫の心に染み渡った。


「私…」


 雫は、呟いた。


「私、絵を描くのが好きなんです。でも、それを仕事にする自信がなくて…。でも、最近、学校の文化祭で舞台の背景画を描いたとき、役者さんたちが生き生きと演じる姿を見て…なんだか心がふるえたんです。」


「好き、という気持ちは、とても大切です。好きだからこそ、続けられる。好きだからこそ、乗り越えられる。」


源はそっと茶碗を受け取り、手のひらでゆっくり回しながら続けた。


「『魂が感じられない』と言われたことで傷ついたのですね。でも、その言葉に深く傷ついたこと自体が、雫さんが感情豊かで繊細な心を持っていることの証です。感じる心がなければ、そんなに傷つくことはないでしょう。それは才能の欠如ではなく、むしろ雫さんがまだ自分の表現したいものを探している途中だということです。」

「その豊かな感性が、自分だけの表現方法を見つけた時、きっと素晴らしい芸術に昇華するでしょう。」


 源は静かに茶碗を手に取り、柔らかな光の中でゆっくりと回した。 


 「この茶碗も、始めは美しい絵が描かれていたそうです。しかし、長い時間をかけて、その表面は変化し、今の姿になりました。元の持ち主は、その変化に失望して手放してしまったのです。『美しかった絵が消えてしまった』と。しかし、千利休はこの何もない姿に、むしろ深い価値を見出した。」


 源さんは静かにほほ笑んだ。


「評価というものは、人によってさまざまです。あなたの教師の言葉も、その場での、一つの見方に過ぎない。世のなかには、あなたの本当の価値を見出してくれる人が必ずいます。そして何より、自分自身がその価値を信じることが大切です。」


 雫は茶碗をじっと見つめながら、その言葉を噛みしめた。


「あなたの今の姿は、未来の姿を決定づけるものではありません。むしろ、これからの探求や経験が、本当の輝きを見つける道になるでしょう。」


 雫の目には、小さな希望の光が灯り始めていた。そして、少しずつ彼女の表情からも緊張が解けていくのが見て取れた。源はそんな彼女の変化を、そっと見守るように微笑んだ。


(つづく)

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