◆第17話 同じ10年
「殺されかけたってことは間違いない? ……ただ、銀花の話の始まりが合ってることを確認するだけ」
まだ立ち上がれない銀花の隣に
記憶違いを今回だけはしていない、と言えるだろうか。平行世界から来たなんて嘘をついた銀花が本当に正しいことを言えるのか。
「シグナルのことも忘れてたの?」
おかしいのはシグナルのことを完全に忘れていたことだ。
「首を絞められたことは……見たら分かるね」
隻海に借りた手鏡で見ると、銀花の首にヒョウみたいな模様が浮かんでいる――強く圧迫された皮膚が変色している。指だけでなく食い込んだ爪痕も残っていた。同じような痕を付けられるか自分の手を当てて確かめるけど、銀花の手はずっと小さく、手の向きも違うので全然合わなかった。自分が死んでいないことを不思議に思う。
「襲われて……、すごくショックだから、記憶が混乱してしまうこともあるんじゃないかな」言葉を選びながら隻海が言った。
黙っていたパペタ氏が動く。
「傷痕を見て、どう思った?」
「ひどい色だね……他には、死ななくて良かったとか。うん、良かった」
何も分からなくても銀花は生きている。
一言発しただけでまたパペタ氏はだんまりだ。
適当に話しかけてみるけど返事はない。
世界を行ったり来たりしているみたいだ。事実ではないけど疲労が銀花の身体を震わせる。全身を包む寒気が去っても自分が世界に存在することに堪えるような気持ちでいる。
***
「体育館には子どもしかいない」
離々は、アリーナを見るでもなく、銀花に向かって告げるような言い方をした。
「合宿に来て分かったことは子どもの世界があるってことね。家にいたら大人の世界に仮住まいしてるみたい。いい部分とそうでもないのがあるんだけど、ずっと同じ場所にいると息苦しくなる」
離々の言ったのを頭の中で繰り返して、自分が何を聞かれているのかを考えるうち。
「目が覚めて家に帰ったんでしょう。普段と違うことがあったんじゃないの。 家ではどうだった?」
銀花はいつも一人だ。誰もいない。パペタ氏しかいない。
でも、そう言ったらいけないというのを銀花は知っている。
でも? 離々にだったら打ち明けていいのだろうか。どうして自分はそう思うのだろう。
離々は……。彼女は特別な存在――友達ではないだろうか。いつもの勘違いかもしれないので銀花は自分を疑う中、離々の澄んだ声が耳をなでる。
「私はね、家庭教師と一緒に森の中のお城に住んでる。茶色のまだら模様の石でできた塔の天辺に部屋があってね。ドラゴンが長い首を寄せて部屋を覗きにきたら、春に摘んだ草――時期が合ってればその辺に生えてるものでいいのだけど、開けた口に放り込んであげるの、そしたら満足して帰っていくから」
銀花は考え事をしているうちに途中を聞き逃してしまったかもしれない。
離々はさっきとは別の話をしているみたいだ。
小説の話だろうか、彼女が書いてるのは家庭教師が付いてる少女の物語ではなかったか。
「家庭教師に呼ばれたら階段を急いで下りる。長いので大変だよ」
やっぱり自分の話をしている。
彼女を見つめると、ドレスの袖口を直したところがある。肘の部分は内側に生地が折り込まれてひだがある。破れた箇所をうまく直したみたい。彼女は毎日同じドレスを着ている。
「ああここはね、私が直したんだ……ほらこっちも、でも生地が黒いから目立たないでしょう」
銀花は分からなくなる。
離々は言うことがどこまでが本当なのか。そしてどこからが嘘なのか。
期待しすぎてしまったのかな。期待してはいけなかったのかもしれない――でも止めることはできなかったよ。
離々が嘘を付いたとして何なのだ。別にいいじゃないか、銀花も同じ嘘つきだ。離々の彼女らしいところが分かって嬉しくなる。いつもは距離を取るのだ、調子に乗らないように慎重に。でも今は違う。
銀花は口にした――。
「家には誰もいない。パペタ氏と一緒に暮らしてる」
明かしてしまう。誰にも言ったことのないことだ。
お父さんとはもうずいぶん会っていない。いつ会ったかと聞かれて、お正月と答えた。
安心したような、困ったような複雑な表情をする離々。そんなこと言われたら銀花だって困る。
「どんな人?」離々が表情なく尋ねる。
お父さんの顔を思い出そうとするけど、のっぺらぼうみたいに顔がない。
パペタ氏が横から。
「皆様、銀花が親と暮らしていないのは秘密にしてくださいませ」
誰にも言えないことだったけど、今はそうじゃない。パペタ氏は秘密にと言ったけども、舞台を観客が見る中なのだから、もう隠し事ではなくなっている。
――離々も自分の秘密を明かしてくれたのだろうか。
つぎはぎだらけのドレスを着て高い塔で暮らしている、そういうごっこ遊びをしているということを。
大人っぽく見えていた離々が急に幼く見える。
自分と同じ。10年を生きてきた子どもだ。
一人で守ってきた秘密だ。自分と同じじゃなければいいと思って銀花は泣いた。
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