第2話【英雄ポロネーズ】
【英雄ポロネーズ】
兄弟で【グレーター・アルテミス】に来て、
ユラは最初何も考えられなかったけれど、シザはすぐにモデルの仕事を始め生活の全ての面倒を見てくれた。
一月を待たず家を借りられたのも、兄のおかげだった。
シザは家を借りるだけではなく、ユラにはピアノが必要だと考えてくれた。
普通はこの状況では音楽など後回しになるはずなのに、家具よりも先にシザはグランドピアノを家に入れてくれた。
【グレーター・アルテミス】がどんな国か、ユラは全く知らなかった。
アポクリファだけしか住めないと言われれば頷くだけだが、要するにこの国には世界においてそのマイノリティさ故に生きにくいことも多々あるアポクリファ達が、自由に暮らせるようにという、多くの特別な法律がある。
当時大学生に過ぎなかったシザと、九歳の子供だったユラが二人では、普通の国では決して契約が出来ないような家が借りれたのも、複雑な家族関係や人間関係に置かれる可能性の高いアポクリファ達が、保証人の有無ではなく純粋な数カ月の収入見込みで契約に及べる、そういう非常に特殊な形態にあったからだった。
その家をシザが選んだのは、オーナーがこよなく音楽を愛する人だったため、音楽家ならば更に優先的に契約してもらえるという特殊な条件が付いていたからだった。
その条件の為に提出する、音楽デモテープが必要だった。
楽器店に頼み込んでピアノを借り、ユラが曲を録ったのだ。
何を弾けばいいか分からなかったユラに、シザが「【英雄ポロネーズ】で行こう」と言った。
シザとは、五歳まで疎遠な兄弟だった。
疎遠なだけでなく、兄からは嫌われていた自覚がある。
でもある時その誤解がすべて消え、普通の兄弟のように仲良くなれた。
一人でずっとピアノを弾いていたユラに、
一人でそのピアノを苦しみの底で聞かされていたシザ。
仲良くなってから、シザはユラのピアノを聞いてくれるようになった。
その音色を、好きだと言ってくれるようになって、
元々大好きだったピアノをもっと愛するようになった。
上手く弾けると、兄が目を輝かせて聞いてくれて、誉めて、頭を撫でてくれる。
【グレーター・アルテミス】に来たのには事情があった。
シザは何も言わなかったけれど、何が起きたのかは分かっていた。
ユラには大きな不安があった。
この地にいれば、他国の警察や法律は決して及ばないのだという。
だけどまだシザと離れると不安だった。
仕事に行く兄を見送ると、誰かが彼を連れて行って、もう二度と会えなくなってしまうのではないかと思うのだ。
そういう幾つもの不安がまだまだその頃あって。
……でも兄がそう言ってくれた時、ずっと自分のピアノを聞いてくれて来た兄がそれで行こうと言ってくれたのだから、それを弾けば大丈夫だと思えた。
九歳のユラが弾き始めると、契約の為にデモテープが必要だと説明されて訝しんでいた楽器店のスタッフが驚いて、慌てて止めた。すぐに力量が分かるものだったからだ。
奥にいいピアノがあるから、それで弾いた方がいいと言ってくれて、小さな演奏会なども行われるという奥のライブハウスにあるピアノを使わせてくれたのだ。
ユラは弾いて、デモテープを提出するとすぐにオーナーから連絡が来た。
契約を許可するもので、シザはユラを抱き上げて喜んでくれた。
『お前のおかげだ!』
初めて兄の役に立てた気がして、嬉しかった。
あの日以来この曲には特別愛着が湧き、コンサートでもよく弾くようになったのだ。
(僕の力じゃない。シザさんが、僕がピアノを弾けるようにいつも守ってくれたから。
だから僕は今もこうしてピアノが弾ける。何も恐れずに)
母国への愛。
母国を守る為に戦う者たちへの想い。
この曲にはそんな意図が表現されているという。
ユラがこの曲に愛着を持つのは、
自分も愛情深く、誇り高く戦う、そういう人を愛しているからなのかもしれない。
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