勇者と聖女の現代恋愛
@zunpocomaru
第1話
深夜の空には星々がかすかに瞬き、その下で巨大な砦が崩れ去った。突き立った石材が無惨に砕け散り、辺りには硝煙のにおいと焦げた瓦礫の山が広がっている。そこには魔王軍を支える“四天王”の一角が陣取っていたが、激闘の末に倒され、砦ごと崩落したのだ。
砦の残骸を見渡すと、瓦礫の下からはまだ微かな火の手が上がり、赤い残光がちらちらと揺れている。ほんの少し前まで耳をつんざいていた咆哮や金属音が消え、今や静寂と立ちこめる熱気だけが場を支配していた。深手を負った仲間をかばいながら、勇者キアラ・カインは血のにじむ剣をようやく鞘に収める。鋼が鞘に触れる、硬質な小さな音だけが、闇に沈む戦場に響き渡った。
その背後には聖女エルミーア・ノエルの姿がある。淡い光の魔法をまとい、倒れ込んだ兵士たちへ癒しの術を施していた。彼女の手先から淡く揺れる聖なる光が広がるたび、傷口が緩やかに閉じ、苦悶の声が少しずつ和らいでいく。わずかな燐光をまとったノエルの長い髪が風に揺れるたび、まるで聖堂のステンドグラスから射す光のように幻影が映える。
「ここまで来たんだもの……次はいよいよ、あの魔王城へ」
ノエルが深いため息をつきながら小声で呟く。瞳には明確な疲労と、それでもなお前を向こうとする鋭い意志が同居していた。ふと顔を上げたノエルとカインの視線が交わり、お互いの存在を確かめ合うようにひとつ頷く。
並び立つ仲間は四人。カインとノエルの他に、屈強な戦士が肩で息をしながらも表情を引き締め、天才肌の魔導士はその目に微かな蒼い光を宿しながら、残った魔力を休ませるようにしている。四天王の一角を打ち破った手応えは確かにあるものの、どこか心の奥にはまだ強敵を相手にした名残が残る。
「ひとまず、野営地に戻ろう。休めるときにしっかり休んでおかないとな。……明日には、魔王城へと攻め入る」
カインの声には、幾多の戦場を乗り越えた者ならではの落ち着きが宿っている。それでいて、どこか胸の底からこみ上げる決意も感じられた。ノエルをはじめ仲間たちは黙って頷き、動揺する兵士たちを促して戦渦から離れようと歩き出す。崩れた砦の隙間からは鋭い夜風が流れ込み、焦げた硝煙の残り香を払いのけていった。
やがて、一行が到着した野営地は、戦場の喧噪から少し離れた小高い丘の上にあった。焚き火のオレンジ色の明かりが弱々しく揺れ、布張りのテントがいくつも並ぶ。先ほどの戦いで傷を負った兵士たちがうずくまるように休んでおり、少し離れた場所では戦士たちが交代で周囲の警戒に当たっている。
ノエルはすぐに癒しの術を必要とする兵士たちに駆け寄り、淡い光を帯びた手のひらをそっとかざした。冷たく張りつめた空気の中で、その聖なる光だけが暖かい気配を放っている。カインも周りを見渡し、屈強な戦士や魔導士と手短に言葉を交わしながら、夜襲に備える警戒態勢を整えた。
夜風が野営地の中心をふわりと吹き抜け、湿った地面からはまだ微量に鉄の臭いが漂っている。血や汗、土埃が入り混じったその生々しい匂いが、つい先ほどまでの死闘をはっきりと物語っていた。焚き火のそばでは、戦士が息を吐き、魔導士がそっと杖に手を添えている。誰もがわずかな安息を求めながら、心の隅では明日の激戦に向けて緊張を研ぎ澄ませているのだ。
ようやくノエルの治療が一段落すると、彼女はフードを下ろして肩の力を抜き、カインの隣に腰を下ろす。闘いで乱れた髪をかきあげる仕草に、ほんの少し女性らしい柔らかさが垣間見える。
「四天王を倒した今、あとは魔王だけ……。王国のみんなが私たちを待ってるのに、正直少し怖い気持ちが消えないわ」
ノエルの声には不安がにじむが、それを口にできるのは、カインの前だからこそでもあった。カインは静かにノエルの肩に手を置き、揺らめく焚き火の炎を見つめながら言葉を返す。
「大丈夫さ。俺たちはここまでやってこれた……明日こそ、終わらせよう。みんなが笑って暮らせるようにするんだ」
その言葉に、ノエルははかない笑みを浮かべると、かすかに目を伏せる。二人の間には何も言わなくても通じ合う空気があった。戦闘中は背中を預け合い、勝利の瞬間には互いに声をかけ合う。そこに生まれる結束感は、まるで昼間の激しい太陽と夜の涼やかな星空が同居するように、静かで揺るぎないものになっている。
その頃、仲間の戦士と魔導士は野営地の端で地図を広げ、魔王城への進路を確認していた。どの道を通れば最短か、あるいは奇襲が来た場合にどう対処するか。そんな話し合いが続く一方、カインとノエルは焚き火を挟んで肩を寄せ合う。一見、無言で疲れを癒しているようにも見えるが、二人だけにしかわからないやりとりがそこにはある。
「ねぇ、カイン。……少しだけ、こうしていてもいい?」
ノエルが恥じらうように袖をつまむ仕草に、カインはかすかに息を呑む。公の場という気遣いはあるものの、今だけはお互いを頼り合う時間が欲しかった。深夜の静寂が二人を包み込み、闇に溶けるようにしてわずかな温もりが伝わる。
「本当は、俺のほうこそ甘えたいくらいだよ。ノエルがいるだけで、どれだけ救われてるか……」
囁く声に、ノエルは頬を淡く赤らめ、こくりと小さく頷く。砦を崩し、死闘を繰り広げてきたばかりの“勇者”と“聖女”が、こうして寄り添い合う姿は、彼らが人間としての弱さや温かさを持っている証拠でもあった。普段は仲間たちに示すべきリーダーシップを優先してきたが、ここでだけはほんの一瞬、互いの心を休める場所を共有しているのだ。
やがて、警護を終えた戦士が焚き火のところへ戻ってくると、ノエルは名残惜しそうに一歩身を離して背筋を伸ばす。カインも少し目を逸らすようにしながら、気恥ずかしそうに髪をかきあげた。それでも二人の胸には、先ほどまでの寄り添いが静かに残り、明日への活力へと変わりつつある。
「よし、そろそろ休めるやつは寝てくれ。明日に備えないとな」
カインが兵士たちに声をかけると、周囲の疲れた面々は一斉に息をついて横になり始める。彼らにとって、深夜のうちに少しでも身体を休めることは死活問題だ。屈強な戦士は鎧を枕がわりに仰向けになり、魔導士は大切な杖をしっかりと抱いて眠りの淵へ沈もうとしている。
見張りの兵士が交代で遠ざかっていく足音と、風が草を揺らすささやきが絶え間なく響く。ノエルは膝に手を置いてゆっくりと息を整え、そばのカインもまた焚き火に照らされる剣をちらりと確認している。先ほどのいちゃいちゃした様子はすでに消え、二人の瞳には再び覚悟がよぎっていた。
「必ず終わらせよう、ノエル。明日こそ、魔王を倒して……この戦いにケリをつけるんだ」
焚き火の炎が一瞬強まって揺らめく。その時、ノエルはまっすぐカインを見つめ、「ええ」と短く応じた。四天王との死闘は確かに厳しかったが、それを超えた今の自分たちなら、魔王城へ乗り込み、国を脅かす闇の根源を断ち切ることができるかもしれない。少なくとも、二人にはそう信じられるだけの絆があった。
夜はさらに深まり、東の空がわずかに白み始める頃には、カインのパーティーも短い眠りへと落ちていく。残り少ない闘志を研ぎ澄ませるための、ほんのわずかな休息。それでも、この先に控える最終決戦を勝ち抜くには欠かせない時間だった。
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