第5話

 このコロナ禍で呑みの誘い? 駄目ではないが気が引けてしまうのと同時に飲酒への好奇心が沸々と湧き上がった。


「あー、そうですね……」


 酒への欲求と自制心が交互にせめぎ合い、瞬時に即答が出来なかった。行くべきか行かざるべきか。


「いつもここから帰る時駅前のテリーズに寄ってるんです。七時くらいまでいるので時間があればで大丈夫ですので、では」


 こちらの回答を聞かずに軽く一礼して、男性は去っていった。

 テリーズ? コーヒーチェーン店の?


「なんだ……。一杯ってコーヒーのことか」


 一杯の意味に気付き、男性が見えなくなったのを尻目に落胆して肩を落とし、背もたれへ身を預けた。

 まあ、それはそうか。真面目そうなあの男性が今の時期、居酒屋に行くタイプではないか。

 そもそもいきなり飲み会をする仲でもなかったな、と章はガッカリしたのと同時に安心したような心持ちになる。

 ペンのお礼にコーヒー一杯は妥当と言えば妥当。破格と言えば破格だ。奢ってくれるなら有り難く頂こう。

 章は十八時になると同時にパソコン類をカバンにしまい込み、コーヒー一杯の為に早足でテリーズへと向かった。


「時間は大丈夫でしたか?」


 いた店内に入り、読書していた彼を奥の席に見つけて駆け寄ると、ゆっくりと問われた。


「はい全然問題ないです。真っ直ぐ帰るだけだったんで」


 コートとカバンを手前の隣の席へ置くと、男性は本を閉じて立ち上がりつつ尋ねる。


「何飲まれます? 買ってきますので」

「わざわざすいません。有り難く頂戴します」

「いえいえ大丈夫ですので、お気になさらず」


 ポイントが溜まっていたのもあったんで、と章にスマホを横に一、二度振りながら柔らかく笑った。


「何飲まれますか?」

「えっと、ホットのカフェモカでお願いします」

「はい、良いですよ」


 章が男性の前の席に座るのと入れ替わり、男性はカフェモカを買いにレジへ向かった。

 戻ってくるとトレーの上にはカフェモカと一緒にホットコーヒーがあった。テーブルには三分の一程残ったコーヒーが既にあるのを章は見やる。


「あれ、またコーヒーを?」

「ええ、折角なのでもう一杯飲もうと。……どうぞ」


 カフェモカをトレーごと章の前へと差し出し、テーブルへ置くと男性は自分のコーヒーを持って前の席へと座り直した。


「どうもありがとうございます」


 笑顔で章は礼を伝える。それに男性はいえいえ、と一言だけ返答した。


「あ、色々と出したままでしたね。ちょっと、片付けます」


 男性は横のテーブルに置いていた本と手帳を取ってカバンに入れ、出していた二本のペンを小さな空の筆記用具に入れ同じようにカバンにしまい込む。筆記用具に入れられた内一本のペンは章が拾って返却した二色ボールペンだった。


「そういえば名前は? 聞いてなかったですね。俺は笠原章です」


 まだ名乗っていなかったこと、相手の名前を知らなかったことを章は思い出しすぐに尋ねた。


「そうでしたね、伊藤奏一いとうそういちです」

「ちなみに伊藤さんは年齢はいくつなんですか? もちろん差し支えなければでいいんですが……」


 気まずさを覚えつつ目の前の伊藤に章は問う。


「二十九です。笠原さんは? 多分同じくらいですかね?」

「俺の方がやっぱり年下でしたね。二十六です」

「近いと言えば近いですね」


 伊藤は付けていたマスクを外し、残っていた前のコーヒーを手にし全部を飲み干した。


「そうですね、同じくらいかなーなんて思ってました」


 同様に章もマスクを外して言いながら、カップを手に取り口をつける。だが、まだ熱くて飲めそうにないことを知り諦めてトレーに戻した。

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