ヴァルハラの地平は遥か底に 〜赤炎纏し青年は世界の端を目指す〜

You_Re

第1話 旅の目的

 世界の中心と呼ばれる都からやや離れた森の中、富裕ではないが美しい自然の大地で、一人の若者が父親と共に生活をしていた。




 しかし、ある日を境に父は姿を消し、若者は一人となった。




 何日かが過ぎた後、その若者は父と何度も打ち合い、摩耗を重ねた年季の入った剣を背に携え、旅に出る。




 何度か日が沈み、月が昇り、街や村を通って森を抜ける。




 そんな旅路の中で、つかの間の睡りの後、床を吸い上げるような寒気に気づき目を開けたその瞬間――微かに溢れる枯れ草を踏む音が鳴った。






「何者だ、お前は」




「……夜這い?」




 月明かりが照らす木々の元で、青年は少女を押し倒していた。




これだけ見れば暴漢に襲われる少女の図であったが、腕を力強く掴まれた少女の右手には銀色に輝く短剣が握られている。






「俺は夜這いと称して刺してくるような女に関わった覚えはない」




「そう? 案外お酒の席とかでやらかしてたりするものだけれど…」




「酒は飲まない、だからお前に命を狙われる原因とやらも無い」




「そ、健全でいいこと」




 のらりくらりとした態度で追求をかわそうとする少女を見下ろしながら、少し握る手に力を込めて短剣を手放させる。




それを奪うように手に取ると懐にしまい、青年は立ち上がった。






「何が目的で襲ってきたかは知らない……とまでは言わないが、諦めて消えてくれ」




「思い当たる節、あるんだ」




「お前には関係がない」




 夜空にはまだ月が高く浮かんでいる。森を抜けるには暗すぎて迷いそうだ。




 とはいえ、ここで二度寝するわけにもいかない。ましてや命を狙ってきた相手の前で無防備に眠るなんて論外だ。




 青年は木に寄りかかり、不機嫌そうな顔で少女に立ち去るよう告げた。しかし、少女は手首をさすりながら起き上がるだけで、一向に動く気配を見せない。






「……何してる」




「何しようかしら」




「はぁ……いい、俺が消える。じゃあな、二度と関わらないでくれ」




 くすり、と意地悪く笑いながら答える少女に深い溜息をつきながら、青年は荷物を手早く片付けて立ち去ることにした。




 この手の人間に関わると面倒事しかない、この短い旅程で青年はそう実感できるだけの経験は積んでいるのだ、ならば深く関わる前に離れるべきだろう。






ーーーーーーーーーー






「……」




「……♪」




「いや呑気に鼻歌交じりでついてきてんじゃねぇ! なんなんだお前は……」




 青年はその場を離れ、足早に森を抜けることにした。幸い、出口まではそう遠くない。




 だが、しばらく歩いた後で振り向くと、少女が平然と後をつけてきていた。気配を消そうともしないどころか、森を抜けてもなおついてくる。それどころか、とうとう鼻歌まで歌い出した。






「怒鳴らないでよ。こんな可愛い女の子に向かって失礼じゃない?」




「可愛いとか関係ねぇ。命を狙ってきた時点で、おっさんだろうが女の子だろうが関わりたくねぇんだよ。」




「お口が悪いのね、野蛮」




「直接仕留められなかったからって、今度はストレスで殺そうって魂胆か?」




 少女は相変わらず飄々としていて、本音が見えない。その態度に苛立ちを覚えながらも、青年は歩みを止めなかった。




 煌めく星々が降るような夜空の下、二人の間にしばし沈黙が続く。




「ねぇ——」




 少女が口を開いた瞬間、青年は不意に足を止めた。






「……!」




 突然の動きに、少女は思わず彼の背中へぶつかりそうになり、慌てて踏みとどまる。そして、何事かと首を傾げながらそっと顔を覗かせた。




 ———道の先には、鎧をまとった三人の兵士が立ち塞がっていた。






「———貴様だな、禁足地を目指す異端者は」




「はっ、なんのことだか」




「立ち去れ。この先の村より奥は禁足地だ。教会の者ですら立ち入りが制限されている。一般人が踏み込んでいい場所ではない」




「……何がある?」




「貴様が知る権利はない」




 青年は問答を続けながら、背負った剣へと手を伸ばす。兵士たちはそれぞれ武器を構え、一帯に張り詰めた緊張が広がった。






「あー……じゃあ私はこれで」




「待て」




「……何かしらー……?」




「貴様は同行者だな? 共に森を抜けたところを目撃している。この男が退かぬというのであれば貴様も同罪だ」




「はい? えぇ、困っちゃった。そんなこと言われたら———」




 自分も兵士たちのターゲットであると理解した少女の動きは素早かった。




 右足に履いている靴の踵から、短く鋭い刃を伸ばし、回し蹴りの要領で青年の首を狙う———






「きゃんっ!」




「余計なことすんな……っ!」




 不意を突かれた攻撃を予測していたかのように、青年は素早くしゃがんで回し蹴りをかわす。続けて、残った一本の足を払い、逆に回し蹴りで少女の足元を狙う。支えを失った少女はバランスを崩し、尻餅をついた。




 その瞬間、青年は低い姿勢のまま、再び集団に向かって駆け出す。






「くっ、抵抗するか!」




「赤炎よ———」




「!? 炎……!」




 背中から引き抜いた剣。古びて錆びつき、言ってしまえばただの鉄塊とも言えるその刃が、突如として赤く輝く炎に包まれる。




 月明かりの下で、燃え盛る炎が爛々と輝く様子に、兵士たちは目を奪われたのか、あるいは火を恐れる本能が働いたのか、明らかに気圧されていた。






「ぐあっ!」


「ふっ……!」


 火への恐怖は人間の本能に深く刻まれている。燃え盛る炎に包まれた剣を前に、先頭の兵士が一瞬臆した。その隙をついて、青年は素早く剣の柄頭で兵士の頭を叩きつけ、昏倒させる。




 動揺した取り巻きの一人が、咄嗟に槍を構え直して攻撃を試みようとするが、その前に青年は気絶した兵士を蹴り飛ばして間合いを詰めた。






「ぐぁっ!」




蹴り飛ばされた兵士が、倒れた気絶した兵士の体にぶつかり、そのまま槍を持った兵士の上に倒れ込む。槍兵は、その重みに押し潰されるようにして、力なく地面に倒れ込んだ。






「くっ、この異端者が……!」




「勝手に決めつけるな、よっ!」




「ぐぅ…ぉ……!」




残った一人が槍を構え直し、怒声を上げながら突き出す。しかし、その槍の穂先は青年の体を掠めることもなく、青年は身をひねり、軽くいなしてみせる。




次の瞬間、青年は剣を振るい、槍を地面に押し付けると、兜越しに強烈な一撃を叩き込んだ。その衝撃で兵士は意識を失い、その場に崩れ落ちた。






「さて……と」




「ひ……ひぃ……!」




「その二人を連れてさっさと帰れ。何があるかは知らねぇが、俺はただ見に行きたいだけだ」




「お、おのれ……後悔するぞ、異端者め! いずれ…いや、近いうちに…必ず天罰が下るぞ! 覚えていろ……!」




「なんともまぁ清々しいまでの負け犬っぷりだな……」




気を失った兵士を肩で支えながら立ち上がったもう一人の兵士は、恐怖に震えつつ、残った兵士の首根っこを掴む。




そのまま引きずるように仲間を連れ、捨て台詞を残しながら、何とかその場を後にした。






ーーーーーーーーーー






「……どうした? そんなきょとんとした顔して」




 転ばされた後、地面にペタンと座り込んだ少女は、突然の出来事に呆然とした表情を浮かべていた。






「――強いんだ」




「……喧嘩慣れしてるだけだよ」




 素直に褒められると、青年は少し照れくさそうに視線を逸らした。




 少女は立ち上がると、砂まみれの服を軽く叩きながら、土汚れを落とす。






「それはそれとして、女の子の足を容赦なく蹴り払うなんて、ちょっと酷いと思うわ」




「容赦なく首を狙ってくる女に言われたくねぇ」




 皮肉混じりの軽口を交わした後、一拍の沈黙が続き、青年がようやく口を開いた。






「見ての通り俺は教会に狙われる身だ。お前はさっさと家にでも帰るんだな、関わらない方がいい」




「……あなたがあの人達を生かしたせいで私も狙われると思うのだけれど」




「————あっ」




「兵士たちも、あなたの話を聞いてくれないくらい程度には問答無用だったし……」




「いや元々はわけもわからず襲ってきた上に、勝手についてきたお前が———」




「私たち運命共同体っていうやつね、よろしく」




 こいつはわざと話を聞かないタイプだ。そう思った青年は、諦めたように肩を落とした。






ーーーーーーーーーー






 兵士たちの襲撃地点から少し進んだ岩場。青年が起こした焚き火を挟んで、2人は夜を明かすことにした。






「……ねぇ」




「なんだ」




 パチパチと焚き火が燃える音が響く中、少女が口を開いた。






「あなたは、なんで旅をしてるの?」




少女がそう問いかけると、青年はしばらく沈黙した。




少女が視線を焚き火に移したその時、ようやく青年はゆっくりと口を開いた。






「この世界の果て、世界の端がどうなってるか……それが知りたい」




「え……?」




 青年の答えに、少女は一瞬言葉に詰まった。だが、そんな少女の反応を気にすることなく、青年はそのまま続けた。






「この世界の端、あの塔がある場所……あの先に何が広がっているのか、それを知りたいんだ」




「……そんなの、何もないって教会は言ってるじゃない。だから、足を踏み外したりしたら危ないから立ち入り禁止だって」




「別に、それならそれでいいさ。何もなかったんだなって確証が得られれば」




「そんなことのために、命を狙われてもいいの?」




 少女がさらに質問を重ねると、青年は一瞬言葉に詰まり、声にならない吐息を漏らした。しばらく沈黙の後、彼はゆっくりと答えた。






「……親父が言ってたんだ、いつか世界の端を見に行けって」




「お父さん?」




「あぁ」




「そう……お父さんが……」




 少女は何かを考え込むように、腕を組んで顔をうつむかせる。触れていいことではないのだろうと、青年は黙って焚き火に枯れ枝を放り込んだ。






「ねぇ」




「なんだ」




再び少女が声をかける。






「名前、教えてくれる?」




「………」




「私はヒルダ」




 次の質問は名前だった。少女はヒルダと名乗り、じっと青年に視線を送る。






「……シグルド」




「そ、ありがとう。よろしくねシグルド」




 よろしく、と言われても何をよろしくしろというんだと言いたげな表情でため息をつくシグルド。


 少女は身に纏っていた外套に包まるようにして寝転がり――




「おやすみ、シグルド」




 そう言って眠りについた。

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