後編

 ウィノは立ち上がり、二番ボックス席にいるロモに言った。


「機関士さん、今からだと、サントス高原駅に向かっている時間はありますか?」


 突然の質問を受けて、ロモは不思議そうにウィノの顔を見ていたが、やがて


「……あ、ああ。向こうの停車時間は三十分もないが、行けないことはないな」


 それを聞いたウィノは


「では、ぜひ向かってください」

「……!?」


 ミアをはじめ、その場の全員が彼を見た。

 シャルは真っ先に立ち上がり


「な、何かわかったの!? 私の財布の在り処? 犯人?」

「本当か、兄ちゃん! 俺が犯人じゃないって、わかったのか!?」


 ゲルも食いついてきた。

 交互に二人を見やりながら、ウィノは


「……残念ながら、確証はありません。ただ、これまで皆さんに協力してもらって調べた結果から合わせて考えると、たったひとつの結論にしかたどり着かないんです」


 ウィノの発言に、シャルが慌てて寄って来た。


「ほ、本当に? 私のお財布はあるのね? それはどこ? どこなの?」


 彼の腕をつかんでいる彼女は、必死の形相である。

 が、ウィノはその質問には答えず、モンドに向かって言った。


「……モンドさん、サントス高原に奥様を連れて行きたいんですよね?」


 唐突な質問に、明らかに戸惑った表情をしているモンド。やがておずおずと


「え、ええ、そうです。そう、約束しましたから」

「わかりました」


 軽く頷くと、ウィノはロモに頼んだ。


「ではロモさん、サントス高原駅まで運転をお願いします。三十分もあれば、何とか楽しんで来られるんでしたよね?」

「あ、ああ。だが本当に、ここから動かしても大丈夫なのかね?」


 彼は、今ひとつウィノが何を意図しているのかがわからないようである。

 ウィノはシャルの手をそっと離させると、自分の座席に戻った。


「……僕らも、それが目的でしたから。行けるものなら行きたいんですよね」

「ちょっと待ってよ、ウィノ!」


 ミアが叫んだ。


「結局、どういうことなのよ? その答えを、誰も聞いていないのよ? せめて、それについて説明してくれても――」


 ちっちっと、人差し指を振って見せるウィノ。ニヤリと笑って


「そいつは、クランバールに戻ってからにしよう。……財布は、歩いて逃げやしないよ」




 列車はほどなく出発した。そうしてサントス高原駅に到着し、乗客達は短い停車時間ながらも、その素晴らしい景色を満喫した。ほとんど手付かずの自然が残っている上に野生の動物が見られたりして、なかなか楽しい時間を過ごすことが出来たのであった。

 そうして列車はサントス高原を下り、一路クランバール中央駅を目指している。

 もう少しで到着という頃になって、ミアが思い出したように


「……ねぇ、お財布の一件、どうするのよ? 駅に着いたら、パパを呼んだ方がいいの?」


 と、尋ねてきた。

 窓のへりの頬杖をついてぼんやりと景色を見ていたウィノは


「いや。とりあえず、呼ばなくて済むと思うよ」


 のんびりとした口調で答えた。

 すると、ミアが顔を近づけてきて


「……結局、どうなのよ? 誰が犯人なの?」


 彼女はあくまで誰かが犯人だと思っているらしい。

 が、ウィノはうっすら笑っただけで、あとは黙ってしまった。

 それからほどなく、列車はクランバール中央駅に到着した。

 彼が腰を上げると同時に、シャルがよたよたと駆け寄ってきた。


「そ、それで? 私のお財布は?」

「そのことなんですが……ケネルさん、ケネルさん!」


 呼ばれた車掌のケネルがやってきた。


「ちょっとの間だけ、駅の事務室をお借りすることはできるでしょうか? ええ、それほどかからずに終わると思いますが」

「駅の、ですか? ……わかりました。ちょっと、頼んできます」


 彼は承知して、真っ先に列車を出て行った。

 それを見届けると、ウィノは乗客達に向かって呼びかけた。


「皆さん、すぐに終わりますから、駅の事務室へ来ていただけますか? さっきの件で、お話があるんです」


 誰も、断る者はいない。財布の行方が気になっているせいであろう。

 列車を降りて事務室へ向かう途中で、ウィノは


「モンドさん! モンドさん!」


 と、例の老夫婦の夫を呼び止めた。

 二人もまた、駅の事務室へと足が向いている。


「何か……?」


 立ち止まったモンドに近づいて行くウィノ。


「ときにモンドさん、ご自宅まではどれくらいかかりますか?」

「賃借りの馬車で二十分ほどでしょうか」


 何を聞いているんだろうと言わんばかりに不思議そうな顔をしているモンドに、ウィノは小さな声で促した。


「では、奥様と一緒に、馬車で急ぎお帰りください。それからですが――」




 駅の事務室で、乗客たちと車掌のケネル、そしてロモが待っていた。


「では皆さん、申し訳ないですが三十分くらいお待ちいただけますか?」

「あれ? あの爺さんと婆さんはどこへ行ったんだい? 姿が見えないが」


 ゲルが声を上げた。

 ウィノは頷き、


「モンドさんとシャルさんには、ちょっとしたお願いをしてあります。追っつけ連絡がきますから、それを皆さんで待とうじゃないですか。連絡はすぐにくると思いますが」


 そうして、三十分ばかり経ったであろうか。

 駅の事務室で待つうち、駅員がやって来た。


「ウィノさん宛てに、電報が来てますが……」

「ありがとうございます」


 ウィノはそれを受け取ると、文面を見た。


『アナタノイウトオリ ブジ サイフハアッタ オサワガセノダン タイヘンモウシワケナイ ミナサマニオワビスル』


 推理通りの結果に、彼は満足気な笑みを浮かべた。

 皆にそれを見せてやると、一同は声を上げた。


「これって、どういうことなの? どこで財布を見つけたって言うの?」


 ミアが不思議そうな顔で訊いてきた。


「そうそう。何だって、電報なんかで報せてきたんだ?」


 首をひねっているゲル。

 ウィノは一同を椅子に座らせると、説明を始めた。


「まず結論から言って、これは事件でも何でもありません。単純に、シャルさんが家に財布を忘れてきただけなんです」


 皆、唖然とした表情をしている。

 ウィノは続ける。


「最初に、財布が盗まれたものと仮定して、誰がどの機会に盗むことができるかを考えてみたんです。一番初めにバッグの存在を知り、かつ唯一知っていたのは車掌のケネルさんでした。しかし、この駅でシャルさんを座席まで案内して以降、バッグに近寄る機会は全くなかった。どう考えてみても、ケネルさんにはバッグから財布を出すことなどできないんです」


 彼の横で、ケネルが首を縦に振っている。


「あとはずっと、あの二回目の勾配折り返し地点まで盗む機会はない。しかし、ここで問題が起きました。シャルさんがバッグを座席に置いたまま車外に出てしまい、しかもゲルさん一人が車内に残るという時間が出来てしまったんです。ゲルさんには申し訳ないですが、疑いがかかっても仕方がない状況になってしまいました」


 最も重要な部分である。

 皆、真剣な眼差しでウィノの次の言葉を待っている。


「まず、ゲルさんが寝ていたという告白はさておき、ゲルさんがあの座席からバッグに気付くことが出来るのかどうかをミアに確かめてもらいました。しかし――」

「見えなかったわ。座席の背もたれが大きいから、シャルさんの方まで見えないのよ」


 検証結果を、ミアが代わりに喋った。


「そうなんです。それから、エーメさんとピトラさんがバッグに近寄る機会がありました。勾配折り返し地点でお二人が列車に戻ったのは、モンドさんシャルさん夫妻よりも先でした。あるいは、この時に盗もうと思えば、盗むことが出来たかも知れません。……さらには」


 ウィノが一同をぐるりと見回した。


「酷い言い方を許されたいと思いますが、ゲルさん、エーメさん、そしてピトラさんが仮に内応していたとすれば、財布を盗んでもその後知らんぷりを決め込めばわからない、ということも言えます」


 エーメとピトラが顔を見合わせている。


「が、しかし!」


 ウィノが一段と声を大きくした。


「皆さんが持ち物の確認、それに上着やポケットの中の確認まで進んで協力してくれたことで、疑いは消えました。仮にどなたかが持っていたとすれば、さすがにそれは拒む筈です。ついでに車内や列車の周りを調べても何も出てこない。車内のどこかに隠していたり、または外に放り出したりしたとしても、よほど巧妙にやらない限り、俺達が見つけていたでしょう」

「でもね、ウィノ」


 待ったをかけるミア。


「あたし達、列車の屋根の上はさすがに調べなかったわ。それとか、機関車の中とか。そういうところにもし隠したりしたら――」


 カラカラとウィノは笑った。


「勾配折り返し地点で停車中、俺はずっと、機関車の運転台でロモさんが働いているのを見ていた。それに、仮に屋根の上に乗せたとして、あとからどうやって回収する? シャルさんが自分の財布がどういうものか喋ってしまっている以上、駅についてから回収するのでは人目につきやすいし、ついでに言えばあの勾配だよ。屋根になんか乗せて置いたら、滑り落ちてしまう可能性も少なくないさ」


 なるほどというように、ミアが頷いた。


「こうなると、シャルさんがそもそもバッグの中に財布を入れていたのか、ということになります。最初にシャルさんは、自宅ではバッグから財布を出すことはない、と言っていましたが、もしかすると何かの集金があった時に出すかも知れないし、あるいは出さなくてもちょっとした拍子にバッグから出て落ちてしまうこともある。そして何より、今日出かける前にきちんと確認をしていなかったのであろうということは、シャルさんの言葉から推測がつくんです」


 皆、驚いたようにして頷いている。

 確かにシャルは「私は家ではこのバッグからお財布を出すことなんかないのよ」とは言ったが、それは習慣を述べているに過ぎず、今日このバッグの中に確かに財布を入れてきたのだという確固たる根拠にはなり得ない。あると思っていた財布がない、即ち盗まれたという想像によって大騒ぎになった訳なのだが、そもそも入っていたということを保証できる人間は、当のシャルをはじめ誰もいなかったのである。

 さらにウィノは言う。


「シャルさんにそう確認しても良かったんですが、あれだけ盗まれたと思い込んで騒いでいる人にそんなことを尋ねたら、却って感情的になって怒り狂ってしまっていたでしょう。――そして決め手は、モンドさんとシャルさんの会話でした」


 彼はポケットから、自分の切符を出して見せた。


「ミアが落ちていた夫妻の切符を持っていくと、シャルさんはモンドさんに渡してくれと言いました。かつ、今回の小旅行はモンドさんがシャルさんの誕生日を祝って連れて行くことにしたという。すると、列車に乗る前に切符を買わねばならないが、その切符は夫のモンドさんが二人分を買ったという推測が立つのです。――どうです? 大事な誰かを祝ってどこかへ連れて行くのに、わざわざその本人にお金を出させたりしますか?」

「それはないですわ。私も以前、夫が会社で昇進したというので、お祝いにサンコースト海岸沿いのホテルへ一緒に行ったんです。こつこつと貯めていたお金があったので、それを使いました。夫も、たいそう喜んでくれましたわ」


 エーメがそんな話をして、ウィノに賛同してくれた。

 すると、ゲルも


「ああ。俺もなけなしの財布をはたいて、妻と娘をリシェーブル博物館に連れて行ってやったことがある。娘が特別展示を見たいって言うから、誕生日にな」

「でしょう? もし、ここでシャルさんが自分で財布を出して切符を買ったならば、きちんとそれを言うことも出来た筈なんです。朝、切符を買った時には確かにあったのだと。しかしながら、奥さん思いのモンドさんが自腹で奥さんを旅行に招待したがために、シャルさんが自分のバッグの中を確認する機会は得られなかったのです。恐らく、あのバッグを持って出かけるというのが習慣なんですね。習慣というのはときに恐ろしいもので、こうと思い込んでしまうと肝心な時に勘違いするんです。途中で落としたとか、すられたということも考えましたが、あの分では全くバッグを開けもしなかったでしょう。げんに、奥さんは列車に乗ってもなお、自分のバッグに財布が入っているかどうかなどちっとも確認しなかった。ただ入っているに違いないという思い込みです。だから、ふと何かの拍子にバッグを見て、財布がなかった。で、忘れてきたなどとは考えずに、真っ先に盗まれたと騒ぎだしたんです。――盗まれたという可能性が限りなく薄くなってきた時に、もしかすると、という仮説が出てきた。それはモンドさんの言葉を聞いた時にかなりの確信に変わりました。そういうことで、クランバールに戻って一度自宅を確認させた方がよいと思いました。ただし」


 彼はちょっと悪戯っぽく笑って見せた。


「万が一、ということもあります。もし自宅にも財布がないんだったら、それはそれで本当にミアのお父さんを呼ばねばならなくなる。それで、皆さんにこうして残ってもらっていたんです」


 聞き終わって、一同は驚きの声を上げた。


「いや、大したもんだ! よくまあ、そこまで考えたなぁ、兄ちゃん!」 


 大声で感心しているゲル。

 呆気にとられたような顔をしているケネルとロモ。二人組のエーメとピトラは、また二人で顔を見合わせて何度も頷きあっている。


「すごいすごいすごーい!」


 ミアはといえば、手放しで喜んでいる。

 ウィノは賞賛されても大した気取る風もなく、平然としている。

 そして彼は、最後に付け加えた。


「自宅へ確認に戻ってもらったモンドさんとシャルさんですが、もし財布が見つかったならば電報で報せてくれればいいと伝えておきました。――というのも、シャルさん、あれだけ大騒ぎしたんです。意外な結果を知ったらならば沽券に関わって俺達の前に顔も出せなくなるだろうと思いました。今頃、さぞかし恥かしい思いをしているに違いありません」

「しっかしなあ」


 ゲルが腕組みをしつつ、くそ面白くもない顔をした。


「あれだけ疑われた俺としちゃあ、納得いかねぇな。せめて、あの婆さんには謝ってもらいてぇ。俺のこと、散々に泥棒呼ばわりしやがったんだぜ?」


 そのぼやきを聞いて、可笑しそうに笑うミア。


「おじさん、だからシャルさんは恥ずかしくて顔も出せないんじゃない。これで、良かったのよ。もし、直ぐに警察を呼んで調べてもらってたりしたら、それこそ警察もおじさんを一番怪しんだんじゃないかしら。そう怒らないで」

「うん、まあ、それは……。若いお姉ちゃんに言われたんじゃあ、な」


 頭を掻き掻き仕方なさそうにしているゲルに、大笑いする一同。


「とまあ、結果的にサントス高原にも行けましたし、この件は一件落着、ということで」


 ウィノのその一言で全ては終わり、


「おう! ありがとな、兄ちゃん!」

「どうか、御機嫌よう」


 乗客達は三々五々駅から帰って行った。

 最後にウィノはケネルとロモに向かって


「つまりは何も問題ありませんでした。ですから、警察に連絡する必要はないですね?」


 と、念を押し、彼等はそれでいいと答えた。

 帰り道、ミアがふと


「……名推理だったじゃない、ウィノ。見直したわ」


 と、嬉しそうに言った。

 ウィノはというと、大した関心もなさそうな表情で


「推理、というほどのものじゃないな。どっちかといえば、勘、かな。そもそも、家に財布があるなんて確証はなかったし。話を整理していたら、もしかすると、と思っただけさ」

「そういうのが大事かも知れないわね、警察官になるには。――今日のウィノの活躍、パパにはしっかり話しておいてあげるから」


 ぎょっとしたように、立ち止まるウィノ。


「ちょっ、ちょっと、それは……勘弁。頼むから!」

「えー? いいじゃない、別に。すごい活躍なんだから、黙っていたら損よ」

「いいから! このことは、絶対、フロドさんには言わないでくれ!」




 数日後、フロドに会ったウィノは、クランバール警察に入るように散々勧められたのであった。

 黙っていてくれと頼んだものの結局、ミアがかなり尾ひれはひれをつけて喋ってしまったらしかった。


 <了>

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高原列車の盗難騒ぎ 神崎 創 @kanazaki-sou

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