第19話 魔女の助力

 と畜場に、しばらくケイブチキンの納品ができないことを連絡した。理由は俺の怪我。嘘は言っていない。正直に話すべきではないというのが勝則の見解である。


「スペクターの発生は、自分たちにとっても外にとっても大事件です。ダンジョンカンパニーであった場合、株価が下落するレベルの。個人事業主である先輩の場合、どんな影響が出るかわかりません。市役所が介入してくるかもしれませんし、取引にも支障が出る可能性もあります。風評被害が、相手に及ぶ場合もありえます」


 そんな話を聞いてしまっては、俺も馬鹿正直ではいられない。スペクターの話は、俺たちの中だけで留めることにした……その場では。

 兄妹は、さっそく攻略に向けて準備を開始した。最も効率の良い呪文を選んだり、どのように戦っていくかを議論している。その場に俺の踏み入る場所はない。

 医者に行き、肩の怪我を見てもらった。幸いなことに出血はあったが血管は無事。打撲と内出血はあったが骨と神経に異常はない。つまりは軽傷だった。一安心である。

 軽トラには乗れないので、町医者までタクシーで来た。今回ばかりは、出費云々は考えない。で、医者が終わったので別の目的地へと向かう。

 ホームセンターはいつも通りだった。変わらぬ客入り。商品陳列。店内BGM。ダンジョン用ブースにいけば、やはりそこに彼女がいた。


「どうも、店員さん」

「これはお客様、いらっしゃいませ」


 彼女は俺の肩に視線を合わせていた。普通に服を着ているから、包帯が見えているわけでもない。それでも簡単に見破るんだから、やはり普通ではない。

 まあ、変に心配されて話が伸びてもよろしく無い。本題にさっさと入ってしまおう。


「スペクターって、ご存じですか?」

「……そう。あれが、出ましたか」


 わずかに、表情が険しいものとなる。何か思う所があるのだろうか。


「個人管理のダンジョンで、あれへの対処は至難でしょう。あの兄妹に対処させるおつもりで? 現在の技量では死にに行かせるようなものかと」

「やっぱり、そうですか」

「ええ。分身ならともかく、本体の強さはワンランク上です。あの二人の才能は確かですが、経験が足りない。無事では済まないでしょう。止めることをお勧めします」


 実は、俺もその不安を感じていた。ボスの戦闘力が二人の対処できる許容量を超えていないだろうか? と。その根拠のない不安は的中してしまった。


「事ここに至っては、市に報告することをお勧めします。スペクターに関しては一般管理者の手に余る事態です。政府が専門チームを用意していますから、それが対処します。御存じでしょう? 英雄部隊」

「ああ、テレビの……はい」


 ダンジョンで起きる不測の事態や、ハンターが起こすトラブル。それらに対して国家は切り札を用意している。ハンターの中でも指折りの実力者。地下八階という、日本記録に触れている者達。

 『剣聖』、『女帝』、そして『断神』。アニメか漫画かといったような常識外れの面々が居並んでいる。確かに、彼ら彼女らなら対処可能だろう。

 俺も考えなかったわけじゃない。本来ならば、それで解決できる話なのだ。しかし……。


「あの二人の存在を、政府や英雄部隊に知られたくない。そういう話ですか」

「……お察しの通りです。きっとそれは、ダメだと思うんです」

「なかなかの勘の良さですね。ええ、お察しの通り。知られたら、確実に連れて行かれます。あるいは逃げ出すでしょうね。貴方も無事ではいられない」

「やっぱり」


 何故か、ということは聞かない。知っても意味がない。一般人の俺には対処できない事柄だろう。ツテもコネもカネもない。できることは、二人の事を知らせないという手段だけ。


「心中お察ししますが、貴方が取れる手立ては報告する事だけです。このままではスペクターがダンジョンからあふれ出ます。そうなれば責任を問われる。莫大な賠償金と消えない汚名を背負うことになる。それは避けるべきでは?」


 彼女の言うことは、全くもって正しい。管理者として、適切な対処をしなくてはいけない。それを怠った場合のペナルティは、一生かかってもぬぐいきれない。それが今の日本の現実だ。


「汝、ダンジョンに希望を持つことなかれ」


 鋭い言葉が心に刺さる。……どこか、悲鳴のようにも聞こえた。彼女自身、何か思う所があるのだろうか。


「一般人に、スペクターを倒す手段はないでしょうか?」

「ありません。マナとプラーナ。どちらかに目覚めない限り、スペクターへ干渉することはできません」


 それこそ、希望を持つなと言わんばかりの返答。それでも、俺は諦められない。


「では、異世界……いや。貴女の知識や技術に、戦うための手立てはないでしょうか?」


 その言葉を言い切った次の瞬間、周囲から音が消えた。人の姿も消えた。店内の光景だけはそのままに、全く別の場所に放り込まれたかのような感覚。

 そして、目の前の店員さん……いや、異世界人の女性から放たれる気配が全く別のものに切り替わった。強大にして深遠。俺ごときではその一端すらつかめない何かに。


「そこまで貴方がこだわる理由は何? ダンジョン管理者など、好きでやっているわけではないでしょう。戦いを楽しむさがもない。奇妙な運命を背負わされているわけでもない。どこにでもいる一般人。英雄譚の背景に映りこむだけのモブ。そんな貴方がどうして?」


 剛速球でデッドボールを叩き込まれた気分。まあ実際、言われた通りのモブなのだからぐうの音も出ない。

 そんな平凡人間でも、譲れないものはある。


「今度、あの二人と一緒に会社を立ち上げるって話をしてましてね。ダンジョンで順調に利益を上げられるなら、俺たちは生活していける。だもんで、あの二人は頑張ろうとしている。ここで俺が危ないから止めろといっても、たぶん聞く耳もたない。だって会社作ろうって話は、あいつらにとっても希望だから」


 ずっと苦労してきたあいつらが、やっと良い場所に立てる機会を得た。生き生きしている最近のあいつらを見ていれば、それがどれだけ嬉しい事かがよく分かる。


「それは俺も望む所でもあるんです。苦労した分だけ報われてほしい。それが叶わないってのはあまりにも無常すぎる。運悪く生まれたら死ぬまでそのまま。世界を見渡せばそれが現実かもしれないけど、目の前にあるのは流石に飲み込めない。ましてやそれが身近の人間ならなおさらです」

「けれど、二人を救わなくてもあなたは生きていける。どう考えても危ない橋。わざわざそれを選ぶのはバカの所業でしょう」


 そう。俺が納得できない。ただそれだけの、意地の話。


「生きては行けます。でも、うじうじと『あの時ああしていればよかった』と後悔抱えていくのは湿っぽすぎる。ダサい。死んでも御免ですよ」


 俺がそういい放つと、店員さんはいっそ冷酷と表現できるほど冷たい笑みを浮かべた。そして、目の前に現れたのは一本の片手半剣(バスタードソード)。真っ白な光で構成されていて、正しく魔法じみていた。


「そこまで言うのなら、これを貸し与えます。物質を切らず、この世ならざるもののみを切る剣。素人が振り回しても、己を切る事はないでしょう」

「おお、ありがとうございます……」

「ただし」


 柄に手を伸ばそうとすると、強い言葉で遮られた。


「もし、先ほどの言葉を違えて逃げ帰った場合。その刃は貴方の魂を切り裂きます。魔女の助力を何の代償も無しに得ようというのですから、これぐらいは覚悟していただきましょう。よろしい?」

「望む所」


 躊躇なく、柄を握る。確かな感触。重さはほとんどないが、振り回せば感覚はある。試しに手の甲で刃に触れようとするが、何の感触もない。するりと抜けてしまった。彼女の言う通りのようだ。

 そんな俺を店員さんは最初は目を見開き、次は呆れたように眺めていた。


「……しっかり考えましたか? それともただのジョークだとでも?」

「しっかり考える必要はないし、ジョークかどうかも判断が付かない。ただ単に、さっきの言葉通りという話。ここで全部投げて逃げ出したら、この先の人生死んだも同じ。命があっても心がくたばる」


 そして、彼女の瞳をまっすぐ見る。


「店員さん、お名前をうかがってもよろしいか」


 問われて彼女は、名前を呪文のように唱えた。


「マリアンヌ・ヴァルニカ。魔女にして大魔導士、純金のマリアンヌ」

「それではマリアンヌさん。入川春夫、約束通りに事を片付けます。逃げたら、この魂ご自由にどうぞ」


 魂という物が本当にあるかどうかは分からないが。ともあれ、約束は約束。必要なものを与えてくれたのだ。文句などあるはずがない。

 深々と頭を下げて、踵を返す。もはやこの場に用はない。気が付けば、周囲に音が戻った。剣は手から消えていたが問題ない。持っている、という確信がある。一体どういう仕組みなのかはさっぱりだが、そういうものだと飲み込んだ。

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