第9話 生活の変化、個人の変化

 楽しい夕食の後。今後について話を聞いておかなくてはいけない。


「明日からどうする? ハロワ行くか?」


 俺の問いかけに、食器を片付けていた勝則が答える。洗い物を自分からやると進み出てくれた。ありがたくやってもらっている。


「そうですね。失業保険の手続きもありますし。倒産なので自己都合より早く給付してもらえるらしいのですが、それでも時間はそれなりにかかるようです」

「そんな感じらしいな」


 失業保険にまつわる話は色々ややこしい。俺も貰えるならそうしたかったが、辞めた翌日からダンジョンで稼ぎ始めている。これがネックになって話が面倒になった。ので、そのまま放置した。こけ玉掃除で忙しかったし。


「ネットで調べましたが、待機期間というものがあってその間はアルバイトもできないそうですよ。正確には受給が遅れるとか」

「面倒な話だなあ。まあ、仕事探しすればいい話だろうけど」

「そうします。ですが、それでもたぶん時間が余ると思うのでその分は先輩の手伝いをしようかと。それでいいな? 小百合」

「はい、兄さん。家事もダンジョンもお任せください」

「おいおい。ダンジョンまで手伝う気か? 大変だぞ? 重労働だぞ?」


 兄はともかく妹は小柄だ。単純肉体労働は過酷すぎる。


「無理はしませんからご心配なく。それに、ダンジョンのボランティアって面接受けいいんですよ?」

「あー……よく聞くな、それ。やりがい搾取の大義名分」


 ダンジョンにまつわる問題は国難に繋がる。それへの助力をテレビで大々的に『良いこと』とアピールする流れは十年前からあった。初めて目にしたときから、鼻について仕方がなかった。

 ボランティアを手伝わないやつは薄情者。そんなレッテルを張って人をタダで使おうとする風潮ほど唾棄するべきものはない。労働には対価を支払うべきだ。

 ……ちなみに、ダンジョン管理資格を持つ者の同伴があれば免許なしでもお咎めはない。ボランティアはこのルールの下で行われている。

 小百合の言葉に難色を示すと、兄の方がフォローを入れてくる。


「先輩の見解についてはあえてコメントを差し控えさせていただきますが。履歴書に載せられるプラスの情報は多い方がいいですからね。どうでしょう?」

「うーむ。まあ、お前らがいいなら、手伝ってもらうか。無理するなよ」


 そういうことになった。はっきり言えば、二人の手助けは非常に助かるものだった。勝則が地下と地上を往復して倒したアリを運び出してくれる。小百合が家事全般をやってくれる。俺はアリ退治に専念できる。

 結果、退治できるアリの数が大幅に上昇した。もちろん、経費として二人の生活費が乗っかる。安くはないが、支えられないほどでもない。

 何より我が家には、イリーガル家庭菜園がある。


「先輩! ホウレンソウとカブが収穫出来ましたよ! これでまたしばらく、食卓が豊かになります!」


 下宿から一週間。すっかり顔色がよくなった小百合が元気に報告してくる。疲労と寝不足でふらついていた彼女はもう居ないのだ。


「収穫しておいて何ですが、本当に異常ですねこの早さは。……いつ摘発されるかヒヤヒヤします」

「よっぽどアコギにやらない限りは御目こぼししてもらえるみたいだな。ネット情報だけど。まあ、日本人から食い物奪ったらエライことになるが」


 実際、時折やってくる市役所の人は絶対に余分な所に入らないようにしている。探す気があるならそれとなく動くはずなのに、全くそのそぶりがない。警察に至っては、パトロール以外で姿を見ない。つまりは、そういうことなのだろう。


「でしょうね。自分としても菜園を取り上げられたら、デモ隊に参加してしまうかもしれません」


 かっつん、爽やかに笑いながら危険な発言を飛ばす。気持ちはよく分かる。俺もきっと参戦する。そんなことを言っている彼も、一週間前とは別人のように健康そのもの。

 最初は一回上り下りするたびに息を切らせていたアリの運搬。今では軽々とこなしている。学生時代は運動神経抜群で通っていたが、それが復活したようだ。


「まあ、菜園が好調なのはいいことだ。また新しいの育ててモリモリ食べよう。別の野菜にチャレンジするのもいいな」

「まあ、素敵ですね先輩。私も選んでいいですか?」

「うむ。台所係の意見は尊重しよう」

「やった!」


 嬉しそうに小さく飛び跳ねる。こうしてみると本当に高校生にしか見えんな。実際は成人しているんだが。サッチーに比べて、俺の姉貴ときたら……いや、よそう。俺に家族はいないのだ。


「早寝早起き。十分な睡眠時間。バランスのいい三度の食事。重労働ですが、前職より健康面でははるかに良い状態になっています」

「兄さんのいうとおりです。残業なし。通勤時間も無し。これって天国では?」

「今のお前ら、収入ゼロってこと忘れるなよー? 仮にバイトするようになっても、大して儲からないからなー?」


 ブラック環境から解放されたためか、ちょっと浮かれ気味。楽しい夢を見させてやりたいが、現実に引き戻す。それがこいつらの為である。


「ビッグアント、一体50円と聞いた時は世知辛さを感じたものです。……この先も、このような値段なのでしょうか?」

「いいや。地下二階で戦えるようになると、大きく改善されるらしい。……が、今の俺じゃなあ」


 次の相手は空を飛ぶ。そして群れである。ただ体力が付いただけでは手出しするには難しい。新しい手段を構築する必要がある。

 ……投網? いや、一度にかかる数はそれほど多くないだろう。『民間ダンジョン管理技法』によれば、群れの数は通常十以上。足りない。あの本には、複数人で対処することが推奨されていた。この二人を参加させるわけにはいかないし、どうしたものか。


「……ダンジョンに降りているわけですから、それこそ魔法にでも目覚めたりできれば違うのですが」


 勝則が夢みたいなことを言う。魔法。ダンジョンに対処し始めた当初から、ごく一部の者達が使用可能になった特別な能力。炎を放ち、冗談のように飛び跳ね、身を守る盾を生み出す。

 そういった人々は、いわゆるダンジョンドリームを掴むことができる。一般人が手を出すことのできない、ダンジョン奥深くの希少資源を入手。地上に持ち帰ることで、目の飛び出るような大金を得ている。

 だがそれは、本当に限られた一部の人々のみ。十年ダンジョンに潜り続けていても、魔法に目覚められるかはわからない。分の悪い賭けだ。アビリテイの方がまだ現実的である。


「私も異世界人のように魔法が使えれば、ダンジョンで活躍できるのに。えいって……え?」


 輝きが生まれた。一瞬の電光だった。空気を叩く、はじける音がした。小百合の手から、確かにそれは発せられた。

 三人、お互いを見やる。見た? 見ました。見ちゃいました。そんなやり取りを視線で行う。


「……サッチー。もう一度、できるか?」

「え、えっと。やり方、わかりません」

「小百合。さっきの感覚を思い出すんだ」

「そ、そうはいっても……ええっと、ええっと……こうかな? えい」


 再び、スパークが発せられた。再度、互いの視線が交差する。出たよな? 出ました。出ちゃいました。


「……魔法、だな?」

「魔法ですね」

「魔法みたいです」

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