第8話 ダンジョン世情

 俺の家には、前の持ち主が残していった家具が色々ある。古いからタダで譲る、という話だったが今思えば逃げるために身を軽くしたのだと分かる。

 いろいろ思う所はあるが、とりあえず御影兄妹のための寝具があるのは助かった。夜になって買いに行くのは少々辛い。財布的にも。

 とりあえず部屋を用意してやり、遅くなった夕飯を準備しようとしたのだが。


「先輩、ここは私にお任せを!」

「やってくれるか。サッチー」

「はい!」


 元気いっぱい答える御影妹。彼女は昔から料理が得意だった。ついでにいえば家事全般も。理由を聞けば節約の為という、世知辛い答えが返って来たが。

 俺も、自分の雑な料理には飽きていた所だ。たまには美味いものが食いたい。ので、任せることにした。

 料理器具や調味料の場所を説明し、冷蔵庫の扉を開く。


「残り物がこの辺にあるから、好きに使ってくれ。あと、この野菜も」

「うわあ! こんなにお野菜が! 先輩、どうしたんですかこれ。買ったんですか!?」

「いや、家庭菜園と貰い物だ。詳しくは後で説明しよう」


 残念なことに、我が家には酒も茶もない。飲み物はもっぱら、冷蔵庫で冷やした水である。水の入ったボトルを、人数分のコップと一緒に居間へもっていく。そこでは、勝則が船をこいでいた。やはり、疲れがたまっているのだろう。


「……っは! す、すみません先輩」

「いいさ。メシができるまで横になっているか?」

「いえ。大丈夫です」


 全然大丈夫には見えないが……こいつは優男に見えてかなり頑固だ。一度言い出したら中々意見を曲げない。明確に自分が間違っていると気づけば別だが。

 とりあえず、コップに水をそそぐ。……話題、どうするか。会社の事はちょっと聞きづらいな。別の話……そうだ。


「そういえば、東京はどうなんだ?」


 俺の問いかけに、勝則はわずかに考え込んだ。


「そうですね……しいて言うなら混迷を極めている、でしょうか」


 日本の首都、東京。ダンジョン発生による諸問題の影響が直撃している地域である。まず、単純にダンジョン発生そのものが不味い。あの人口密集地帯に、怪物の沸く迷宮が現れる。誰もが危険から逃げたがる。危険な土地など、誰も買おうとしない。

 そう、地価の下落である。十年前などは、どこそこに新しいダンジョンが現れたと一報が出ると、山の手線が停止したという。人身事故で。ビルの上から天国へ跳躍したりとかも。

 地価の下落は、不動産投資を生業としていた者達を地獄に送った。建築業界も限りなく致命傷に近いダメージ。さらに、不動産を担保に融資を受けている企業も存亡の危機に立たされた。

 東京のあちこちにゴーストタウンが生まれた。そして空き巣が横行し、さらには管理されていない家屋から出火という事態まで発展した。そう、この家の近くで起きるのではと危惧していた事態。それはこの辺の知識によるものなのだ。

 首都だけならまだしもこれは全国的な、もっといえば地球全土で起きている事態である。自棄に走るものは数多く、治安は加速度的に悪化した。地方に逃げ出す者も多く、東京は瞬く間に衰退していった。

 が。これらの失墜を横目に、急成長を遂げる企業があった。ダンジョンの成果物を取り扱う企業、通称ダンジョンカンパニーである。

 地下迷宮で取れる品々が、それぞれ様々に有用であるということは発生当初より広く伝えられた。これには異世界人の働きがあるという噂がまことしやかに囁かれているが定かではない。

 一部企業が積極的にそれに挑戦し、多大な利益を上げ始めた。後を追う企業は多かった。ダンジョン発生による混乱は、経済不況を当然のごとく引き起こした。業績悪化し立ち行かなくなる会社は多く、それを何とか補填できないかと足掻くのは当然のことだった。

 当然の話だが、誰もが成功者に成れるわけではない。多くの企業が失敗し、廃業の憂き目にあった。人的被害を出し、補償で首が回らなくなったという話もよくある。

 それでも、一部企業は不況とは無縁とばかりに利益を叩きだし続けた。現在の日本経済の柱の一つが、ダンジョンカンパニーであることはもう疑いようのない事実である。

 十年前以上に浮き沈みの激しい街。それが現在の東京である。その混乱に当て込んで、双子は就職したのだが……。


「それは前々からじゃないのか?」

「前以上に、です。自分たちが上京したころは、一定の秩序がありました。……良いものではありませんでしたが」

「ほう」


 成長を続けるダンジョンカンパニー。それらは、東京で一目置かれる存在となっていった。利益を上げ続けているのだ。企業としては当然の評価だ。だが、一般的なそれとカンパニーは、大きな違いがあった。

 武力の保有である。もちろん、火器銃器で武装しているという話ではない。ダンジョンモンスターと戦える人材の保有。それは一般人よりも『強い』人材を複数名確保しているということ。

 ダンジョンに適応した彼らは、常人とは明確な違いがあるという。身体能力だけでなく、見た目、体つき、さらには気配まで普通ではない。

 ヤクザなど目ではない。睨まれれば、格闘家ですら及び腰になるという。スポーツと実戦の違いなのだろう。

 もちろん、直接的な殴り合いにまでは発展しない。まだ辛うじて、警察組織は稼働している。ダンジョンで鍛えている警察官もいるらしい。

 なので白昼堂々、無法行為は働かない。だが、人の目の届かない場所では話が別。街の影では様々な暗闘が繰り広げられている、らしい。


「実際に見たのか?」

「いいえ。ですがそれらしい痕跡や気配は割と身近にありましたね。うちの会社も、そういった影響のせいで困窮した事が多々ありました」

「迷惑な話だ」

「ですが、力を持ったダンジョンカンパニー同士のけん制が一定の秩序を保っていたのは事実です。その後の混迷が、証明してしまいました」


 にらみ合いは均衡を生み出す。カンパニー同士のそれは、互いに手出しをしないという暗黙の了解を生み出した。そしてそれは、一般にも波及する。そうして東京は、久方ぶりに混乱状態から脱却した。

 だが、良い事ばかりでもなかった。一度調子に乗ると歯止めは中々効かないもの。カンパニー同士で潰し合っていたパワーは、やがて一般人へ向けられるようになった。

 日に日に横暴になっていくカンパニー。警察も対処するが、すべてをカバーしきれない。一般人への被害が無視できない状況に陥るまで、そう時間はかからなかった。東京から出るしかないのか。そう諦めた頃、事態は動いた。

 飛ぶ鳥落とす勢いだった各カンパニーの業績が、急激に下降線を描き始めたのだ。


「あくまで噂ですが……腕利きの、それでいて問題のある連中が軒並み姿を消したのだとか」

「……どこ行ったの、それ」

「分かりません。一般的には海外にスカウトされたのではないか、という健全な推察がされています。ですが裏では、ダンジョンで始末されたのではないかという噂の方が強く支持を受けていますね」

「まあ、勧善懲悪は受けるからなあ」


 噂であるのなら、判断はつけようがない。事実だけ拾うならば、ロクデナシが丸ごと消えたという点のみ。……企業業績に影響を与えるほど稼ぐ連中が、消えたのか。


「……マジで怖いな。何があったんだ本当」

「わかりません。突拍子もない噂が流れてしまうほど、詳細は分かっていないのです。ともあれ、そのような事態になったものですから各ダンジョンカンパニーは対処に追われています。すこしでもマシな戦力を集めようと、引き抜き合戦が起きています」

「それはそれでひどい……ああ、だから」


 俺が納得すると、勝則は深くうなずく。


「はい。混迷を極めています。悪しき秩序は失われ、表裏問わず小競り合いが耐えない。そして、ダンジョンは無秩序に発生する。誰かが言っていました。今が一番悪い、と」


 諦観と諦め交じりの言葉。しかし、俺は別の感想を抱いた。


「それでも生活は出来ているんだから東京はすげえなあ」


 そこまで状況が悪化しているのに、崩壊はしていない。テレビ番組は放映されている。車も電車も動いている。大きな事件が起きたなどという話も聞かない。人々の生活は続いている。金が回っている。

 彼の言葉通りの状況であるのだろうが、その上でこれである。実にしぶとい。そうしないと生きていけないという事実を差し引いても、である。

 そんな思いを抱いていると、空腹で腹が鳴った。台所から漂ってくる良い香りに刺激された。ついでに時間も結構経っていた。空腹を覚えて当然だった。


「お待たせしましたー!」


 大皿を抱えて、小百合が入ってくる。香りの源はそれだった。


「大盛り、野菜炒めでーす。豪華!」


 まあ確かに、昨今野菜たっぷりというのは贅沢な話ではある。ではあるのだが、素直に頷きたくない男児の心がある。もっと肉を食いたい。

 この野菜炒めもそうだ。うちの冷蔵庫にまともな肉などない。なので、野菜オンリーに違いない……と思っていたが違った。ちらりと見えるその物体。


「これは、魚肉ソーセージ! 工夫したな、サッチー!」

「はい。使わせていただきました!」


 我が家の数少ない動物性たんぱく質。安くて量のある魚肉ソーセージ。セールの時に束で買ったやつだ。


「ぬうん、辛抱たまらん。コメがいる!」

「先輩が冷凍していたごはん、解凍終わってますよ」

「でかした」


 一人暮らしだと、どうしても炊いたご飯が残る。もったいないから冷凍庫に入れておいたのだ。こんな所で役立つとは。流石に三人分を炊くと時間かかるしね。

 そんなわけで、残り物など並べつつ遅い夕食となった。誰かと食卓を囲むというのも久しぶりだ。


「このお野菜美味しいですね! 新鮮さが分かります」

「高かったんじゃないですか、先輩」

「交換したものもあるが、一部は家庭菜園で採れたんだ。……外には吹聴するなよ」


 二人の箸が止る。


「先輩。それは家庭菜園と書いて人様の畑と読むのでは……」

「人聞きの悪いこと言うなサッチー。俺が育てたんだよ。ただまあ、肥料に使用禁止であるこけ玉を使ったんだが」

「何故そんなイリーガルな事を……」

「収穫がアホほど早い。魔法のように早い。そして素人でも野菜が育てられる。こけ玉はダンジョンでいくらでも手に入る。……やらん手はないだろう、かっつん。ちなみに、農家の人もこっそりやってる」


 双子はわずかに考えた。多分倫理観とかその辺あたりを。そして結論を出した。


「まあ、よそ様にご迷惑をかけているわけじゃありませんものね」

「そうだな。別に大麻などを育てているわけじゃないのだし」

「……あったらしいぞ、そういう事件。野菜とこけ玉粉交換してくれた農家の人が教えてくれた」


 たわいもないやり取り。バカ話。ふと、自分がこういうやり取りに飢えていたという事実に気づく。一か月以上のダンジョン管理生活は、中々に精神を苛んでいた。

 俺は久方ぶりに、楽しい食事というものにありつけた。

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