第5話 ダンジョン管理一か月

 瞬く間に一か月が経過した。毎日毎日、こけ玉掃除。休日などありはしない。八時間労働など夢の話。……まあ、残業多めなのは前職からそうだが。

 朝から夕方までひたすらゴミ袋にこけ玉粉を詰め込んでいく。そして市役所が閉まる前に車を走らせる。中古で買った軽トラだ。マニュアル車なんて教習所以来で、最初の一週間はかなり苦労した。

 幸いというべきかなんなのか、こけ玉が枯れることはなかった。罠を設置すれば十分程度で満員御礼。一体このダンジョンでどれだけ繁殖しているのかとうすら寒くなる。なお、こけ玉がどのように増えるのかはまだ分かっていないそうな。

 そうやって労働の末に得た金額は十万円ちょっと。生活費と設備投資を考えれば間違いなく赤字である。特に軽トラが利いている。しょうがない。無いと仕事にならんのだから。

 が、そんな状態でも心が折れなかったのには理由がある。現実逃避し続けた、というのは最初の二週間の話。その後はいくつかの良いことがあった。

 まず、こけ玉菜園である。普通の肥料に、こけ玉粉を十分の一程度の割合で混ぜる。そして普通に野菜を育てる。それだけなのだが、なるほどこれは確かに規制されると理解できる結果が現れた。

 ホームセンターでのお勧めに従い春の野菜であるホウレンソウ、カブ、ニンジンを植えてみた。すると、翌日から明らかに目で分かる成長をしだしたのだ。……ちなみに、雑草もこれまたにょきにょき延びるものだから、取るのが大変だった。

 あれよあれよと成長し、まだ一か月たっていないのに収穫可能となった。冷蔵庫の野菜室が収穫物で占領されている。すでに第二回の種まきをしたが、今度は量を抑えている。 とはいえ、野菜がほぼタダで手に入るのは非常に助かる。昨今、あらゆるものの物価が上昇している。新鮮な野菜など、なかなか手が出ない。一人暮らしならなおさらだ。

 遠慮なく三食にぶち込んでいけるというのは気持ちが楽になる。職に彩りがあるというのは心に優しい。……野菜食って嬉しいとか、学生時代には考えられない事だなあ。

 そうそう。こけ玉関連で一つ、イベントが発生した……などというとゲームじみているが。農家の方が来訪された。


「ごめんくださーい」


 と大きな声であいさつしてきたのは、そこそこご年配の奥様だった。ざっくり見て俺の親世代、50代前半だろうか。


「はーい。どちらさまでしょう?」

「突然ごめんねぇ。市役所のお兄さんから聞いたんだけど、ダンジョン管理を新しく始めたのってアナタ?」

「はい、自分ですが」


 あの兄ちゃん、個人情報なにベラベラ喋ってんだ。そうイラっと思ったのも一瞬。おばさんが背負ったバックから取り出したのは、色とりどりの野菜だった。家で育てていな奴だ。


「ここで、こけ玉の粉作ってるんでしょ? うちの野菜と交換してもらえないかしら?」

「ヨロコンデー!」


 家庭菜園で育てられる数も量も限られている。こけ玉の粉で交換してもらえるなら願ったりかなったりだ。しかも聞けば、一袋だけでいいという。まじか、絶対こっちの方が得しているぞ。ありがたいから言わないけど。いいんですか? と念を押して聞きはしたけど。


「いやあ、助かるわー。市役所でも売ってくれるけど、どう使ったか細かく報告しなくちゃいけなくてねぇー」

「あーあーあー、そりゃ……面倒ですね!」


 言葉を濁す。つまり使用方法は正規のそれではないという話。俺とて同じ穴の狢。とやかく言いはしない。


「野菜ほしくなったら連絡してね。家で育ててなくても、近所がやってると思うし。そっちの人たちも欲しがるから」

「はい、よろしくおねがいします!」


 というわけで突発的に、ご近所農家さんのコネができた。非常にありがたい事だった。周辺には誰もいないゴーストタウンじみた場所なので、こういう繋がりはとても助かる。

 ……市役所の人が俺の情報を流したのは、これが目的だったのかもしれない。漏洩については気にしないでおこう。


「あ、そうだ。もしチャラくて若い男が同じ話してきたら気を付けた方がいいから。危ない草を育てるのにこけ玉の粉使うんだって。前に事件になってたの」

「うっは、マジ……本当ですか。気を付けます」


 怖い話である。

 さて農家さんの話で途中になったが、成長は家庭菜園だけではない。他ならぬ俺自身にも変化があった。初日はもう、疲労困憊でぶっ倒れた。三日ごろは、筋肉痛で泣きが入っていた。七日目などは、ゾンビのように体を動かしていた。十日目あたりは無心で仕事をして、二週間目付近で己の変化に気づいた。

 体がよく動く。地下と地上の往復で息が切れない。暴れるこけ玉を抑え込んでも辛くない。屈伸運動が苦にならない。

 試しに早朝に走ってみれば、学生時代よりも気楽に運動できた。筋トレも初めてみたが、思ったほどきつくない。もちろん、運動選手や専門家のようにはいかないが。

 そのような感じなものだから、仕事にも影響が出る。休憩を挟まねば続けられなかったこけ玉掃除も、ほぼぶっ続けでやってられる。効率も上がり、ゴミ袋の数も増えていく。

 増益の兆しが見える、というのは何よりの希望だった。もちろん、か細いものだがゼロよりマシ。希望の見えないまま進むのは、真っ暗道を歩くのと同じだ。

 後の変化といえば……ダンジョン管理の免許を取ったことか。正式名、甲種ダンジョン資格。仕事が終わった後、眠い目をこすりながら頑張った。時間を作って講習にもいった。

 これで正式に国からの補助が受けられる。備品購入やら税金やら、地味だが今は死ぬほど有り難い。頼めばダンジョンからの回収品も買い取りに来てくれるらしい……が、これは今回頼まなかった。

 というのも、支払いが翌月25日以降になるというのだ。いつ金が必要になるか分からない現状、これはちょっと無視できないタイムラグだった。

 さて。そんなわけでホームセンターにやってきた。備品購入のあれこれで、店のサインが必要な部分があるのだ。俺も、免許証を提示しなくてはいけない。この手続きは10分程度で終わった。楽で助かる。

 そして、ダンジョン設備ブースに足を運ぶ。


「いらっしゃいませお客様。ダンジョン管理が順調のようで何よりです」


 そこに、あのときのエキゾチック美女店員さんがいた。半分、彼女が目当てだったので素直に嬉しい。


「どうも。なんとかやってます。……見ただけで分かるものなんですか?」

「そうですね。目では……やや痩せたというかやつれたようにしか見えませんが」


 ストレートにエグい表現をしてくれる人である。


「この短時間にずいぶんとダンジョンを往復したようで。地上と一階を行き来するだけでも、魂は確実に適応していきます。その成果が現れているようですね」


 そして、魂と来た。正しくスピリチュアルな話になってきたな。


「……ダンジョンを往復するだけで、違いが出るものなんですか」

「ええ。ダンジョンとは危険、非日常、もっといえば死です。地上はその逆になります。生と死の境界を毎日往復し続ければ、凡人……失礼、一般人の魂も蹴り起こされるというものです」


 凡人で悪うございましたな、とは言えない。心の中で思っておく程度である。自覚はあるしな! ……しかしまあ、思い当たるところはある。このところの身体能力の向上もそうだが、ダンジョンで感じるあの感覚。

 ただの凡人である俺ですら感じられるのだから、やはり特別な何かがあるのだろう。……いやまあ、ある日突然広大な地下施設が発生するのだ。その時点でもう特別以外ナニモノでもないだろう、という話なのだが。


「さて、順調であるならばそろそろこけ玉の数も正常になりそうですね」

「え?」


 唐突に聞き捨てならない話を振られてしまった。


「こけ玉が入れ食い状態なのは、その数が過剰な証拠です。縄張り争いの結果、押し出されるように罠に引っかかっているのです。なので、数が適正になればかからなくなります」

「マジですか」


 非常に困る。俺の収入源がなくなるじゃないか。


「なので、ビッグアント狩りの準備を成されるとよろしいかと。勉強は済んでいますか?」

「ええ、もちろん。……あのやべー奴ですね」


 ビックアント。名前の通りでかいアリである。大きさは子犬ほど。もうこの時点でやばさが伝わってくる。そして実際はそれ以上だ。

 まず、顎の力がヤバい。コンクリを平気でかみ砕く。モンスターがダンジョンからあふれ出たとき、最もわかりやすく被害を出すのがこいつである。電柱、壁、車。もちろん人も。あらゆる者にかみついて壊してしまう。

 駆除から逃れた奴が山の中で繁殖。携帯の基地局や高圧電流の鉄塔を破壊したという事例もある。本当に洒落にならないモンスター、それがビックアントなのだ。

 ダンジョン管理人が怪我をする理由のトップもこいつである。なにせ地下一階に生息している。こいつにやられて歩けなくなった人の話はよく聞く。まったくもって恐ろしい。自分にもその可能性があるのだから余計に、だ。


「ビックアントへの対策は、まずなんと言っても靴です。以前、購入されていたアレですね」

「ああ。アレで大丈夫なんですか」


 あの安全靴もどき。履き心地は悪いが、安全安心のためとおもってはき続けている。蒸れるのが最悪で、休憩のたびに脱いでいる。水虫が心配だ。ケアしなくては。


「アレと、追加でこちらのレッグアーマーを使用してください。ここまで装備すれば、ビックアントであれば防御力は格段に向上します」


 店員さんに勧められたのはふくらはぎ部分を覆う装備だった。硬質のプレートが重ねてあり、丈夫さと柔軟性が見るだけで分かる。


「強化プラスチック製で、硬く丈夫に作られています。熱には弱いとの事なのでそこはご注意を」

「なるほど……あ、意外と軽い」


 身に着けて歩き回るのだから、重さは重要だ。軽くて動きやすいのであれば、それに越したことはない。


「それから武器ですが、こちらをおすすめします」


 ブースの一角に展示されていたソレを示される。


「……これでいけるんですか? ちょっと短くないです?」

「十分ですよ。あまり長いと重すぎて使いづらくなります。特に、今まで武器を使ってこなかった人には特に」


 ふうむ、と唸って手に取る。なるほど、ほどよい重さ。軽すぎず、重すぎず、取り回しも悪くない。


「なにより、ほかの武器よりもリーズナブルです」

「すばらしい」


 今の俺にとって、その一言はとても大きなポイントである。安物買いの銭失い、は避けたいがさりとて経費削減出来るならそれに越したことはない。

 そんなわけで購入決定。おまけでビックアントの倒し方が書かれた小冊子までいただいた。そのほか、細々とした消耗品を買い物かごに入れた頃には、彼女の姿は消えていた。

 相変わらず、不思議な女性である。

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