第4話 こけ玉掃除
ダンジョン一階に降りる。常識の世界から、一段下がる。日本ではまず見られぬ、石造りの通路。そこに俺たちの世界を持ち込む。
取り出したるは、こけ玉捕獲用シートと金属杭。さらにハンマー。まず、程よい場所を見つける。入口近くの壁がお勧め、と『民間ダンジョン管理技法』にあったので従ってみる。
ダンジョンの壁には石と石の間に隙間がある。ぴっちりと合わさっていない。目星をつけて、杭を打ち込む。金属音が、地下に響く。こけ玉もそれ以外のモンスターも寄ってこない。
まあ、もしそんな危険があったらそもそもこんな技法が紹介されたりしないだろうしな。そんなことを思いながら作業を進める。四点ほど杭を差し込み、そこにシートを取り付ける。
同様の作業を、やや離れた場所に追加で二か所。近すぎるとよろしくないし、入り口から遠すぎても作業効率が悪いそうな。
終了したので、地上に戻る。外に出ると、やはりダンジョンとの違いを感じる。湿気とか温度とかそういう物ではない。精神、あるいはもっと深くの何かが圧迫されている感覚があるのだ。
ダンジョンでスピリチュアル系に目覚めてしまうやつはそこそこいると聞く。実際、不可思議な力やそれこそ魔法に覚醒したりするのだから無理もない話だと思う。
俺は……ないな。それより目先のことに精一杯だ。
「お次は……こっちだな」
大型電気ヒーターを段ボールから取り出す。色々ゴミが出るので、ひとまとめにしておく。さらに、こけ玉捕獲用シートの乾燥ラックも用意する。これに引っかけて、ヒーターの熱でこけ玉を乾かすわけである。
さて、捕まったままのこけ玉はまだ生きている。そこそこ暴れる、らしい。なのでただのラックに引っかけると、暴れて倒れるとの注意書きがある。なので、これも地面に固定する。
ここで、ダンジョン発生から十年の知恵がある。ラックを固定する場所は屋外である。雨風にさらされれば劣化するし、治安の悪い場所では盗まれる危険がある。
なので、固定器具とラックはそれぞれ外すことができる。使用が終わったら、倉庫や屋内にラックを仕舞えるというわけだ。それは素晴らしいのだが、固定器具を地面に据え付ける作業はしなくてはいけない。
今度は御近所にハンマーの音が響くことになる。まあ、周囲に誰も住んでいないから迷惑考えなくていいのは気楽だ。本来なら空き巣や不法滞在も考えなくてはいけないが、ダンジョンの近くならそれもない。
ダンジョンへの忌避感は、この十年でずいぶんと浸透している。それこそ、管理人をしなくてはならなくなったと伝えたとたんに親子の縁を切られるぐらいに。
「よし、こんなもんか」
作業が終わって一息つく。ラックの固定も問題なくできることを確認。ヒーターを屋外に出すための延長コードも用意した。
「罠は……流石に、この短時間じゃかかってないよな?」
などとつぶやきながら、一応念のためと確認に降りる。せいぜい30分程度だから、成果がなくてもしょうがない。が、まったく見込みなしでは困る。既に初期投資はしてしまったのだ。ダンジョンで収入が得られないとなると、最悪生活保護を受ける羽目になる。
昨今、そのハードルは高くなる一方だという。果たして俺が審査を通れるのか。ダンジョン管理人は何処まで借金できるのか。そんな悪い想像がどんどん膨らんでいく。
まあ、全くの杞憂だったのだが。
「うわーーーーー!?」
シートには、みっしりとこけ玉が引っかかっていた。何でまたそこに集合したんだお前ら、と言いたくなるほど。がたがたと、シートや金具が揺れている。いけない。このままでは新品のシートや器具が壊される。
「ふんぬっ!」
気合一発。シートを折りたたんで、抱きしめて捕縛する。おお、暴れる。ぐいぐい暴れる。油断すると逃げられそう。そのまま、階段を急いで登る。
ラックを設置したままでよかった。この状態では、とても手が回らない。誰かにやってもらう事もできないしな。シートを設置する。こけ玉が暴れるが、金具が外れることもない。ここまでは良し。
ヒーターを引っ張り出し、スイッチを入れる。たちまち、熱風が吹き出してくる。直接浴びたらちょっとやばいな、ぐらいの熱である。危険を表すマークがでかでかと付いているのは伊達じゃない。
「おお、効いてる、効いてる」
元気よく蠢いていたこけ玉が、熱風で弱っていくのがわかる。流石十年の知恵。実に効果的である。
「……こうしちゃいられないな」
新しいシートを掴み、再びダンジョンへ。先ほどの設置ポイントにシートを取り付け、別の罠を見に行く。
「入れ食いだな……シートに何かついているか? いや、そんな表示はなかったよな?」
二枚目のシートにもこけ玉が大量ヒット。早速ひっぺがして、地上に向かう。
「……あかん。これ、結構身体にクるぞ」
暴れるこけ玉を抑え込むために酷使される腕。階段の上り下りでひざが笑う。様々な作業で腰に負荷がかかる。運動してこなかった俺に、この作業は重労働だ。春先だというのに、汗ばみ始めている。
二枚目をラックに設置する。一枚目のこけ玉はもう、ほとんど動いていない。……そこそこ、臭い。こけ玉の水分が乾燥したせいだろう。焦げ臭くはないからそこは安心だが。
「ちょっと休憩……いやだめだ。三枚目もヤバそうだ。あ、しまった! 何でおれは罠を再設置しちゃったんだ。休憩が遠のくじゃないか!」
後の祭りである。罠を壊されるわけにはいかない。結局、三枚目と再設置した場所も立て続けに回収することになった。終わった時にはもう身体がガタガタだった。
しかし! 作業はまだ終わっていないのだ。乾いたこけ玉を、シートから剥がさなくてはいけない。熱々のシートを、ラックから外す。こけ玉は干からびて、ピクリとも動かない。
試しに、ブラシで軽くつつく。あっさりと粉状になる。『民間ダンジョン管理技法』によれば、乾燥したこけ玉は死亡する。水分を再度与えても、復活することはないらしい。しっかりと実験した結果なので、信用できる情報である。
乾いたこけ玉はこのように、ボロボロと崩れて粉になる。これをゴミ袋に詰めていくわけだ。その作業に使うのが手持ちのブラシ。車のタイヤを洗う時に使うデカいブラシに似ている。
ほどほどに冷めたシートをブラシでこする。ほとんどは手間もかからずはがれるが、細やかな粉が残る。頑張ればそれも取れなくもない。どこまで手を加えるべきだろうか。……少々考えたが、神経質に全部は取らなくていいなという結論に至る。
ぶっちゃけ、手間と時間が惜しい。すでに二枚目のシートが乾ききっている。剥がして冷ましておけばいいが、放っておくと風で粉が舞ってしまう。金が減る。よろしくない。
というわけで、作業速度優先で進める。一度決めれば、あとはルーチンワーク。ほどなくして、すべてのこけ玉粉をゴミ袋へ入れることができた。
伸びをして、なれない作業に疲労した体をほぐす。そしてふと、ある事実に気づいて絶望を感じる。
「これだけやって……300円か」
ここまでの作業、約一時間。成果は、ビニール袋一つ分のみ。時給三百円。最低賃金を大きく下回る結果である。コストの事を考えれば、さらに低いだろう。
罠を仕掛ければ、すぐにこけ玉はかかる。増やせば、量も取れる。だが、運搬と乾燥、袋詰めにはどうしても手間と時間がかかる。そして身体的疲労も加わる。
慣れれば、ある程度の時短はできるだろう。ダンジョンにかかわっていれば、一般人以上の身体能力も得られるという。だが、そこまでにどれだけ時間がかかる? 設備投資で蓄えはさらに減っている。生活はそれまで持つだろうか?
じっとりとした不安に、足がすくむ。項垂れて、縁側に腰を下ろす。そのまま数分、時間が過ぎた。
「……働こう」
絶望に打ち勝ちやる気を沸き立たせた……わけではない。どうしようもない絶望感と焦燥感が、休み続けることを許さないだけだ。動けば、金になる。金があれば、生きていける。
先の展望とか、未来とか。考えないで働くのは得意だ。会社員時代はいつもそうだった。今回もそのようにするだけだ。俺はシートを抱えて、ダンジョンへ降りた。
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