第2話 退職願
今から10年前。怪物が湧き出る地下施設、いわゆるダンジョンが前触れなく発生するようになった。世界中で、一国の例外もなく。
街中、山の中、畑の中。所かまわず出現するこれに、当時はそれはもう大騒ぎ。その後モンスターがダンジョンよりあふれ出る事態になってからは阿鼻叫喚だった。
どれだけ倒しても、内部のどこからともなく現れるモンスターたち。爆薬どころか核兵器でも破壊できないダンジョン。人類はもうおしまいだ、と悲観的な噂が流れたのも無理はない。
だが、抵抗を続けるうちに知識と経験は貯まっていく。決して抗えないものではない、という事実がかろうじて人々のパニックに歯止めをかけた。
倒し続ければ、モンスターはダンジョンから出てこない。倒したモンスターは、食用その他に利用できる。この混乱により輸入や流通に問題が発生した日本および一部の国は、ダンジョン資源を使用するしかなかった。
我らが祖国は、異例の速さで法整備を進めた。現場の状況が、国家の屋台骨を揺るがすものだったのが理由の大きなところを占めている。おかげで大分粗が目立つものだったが、ダンジョン管理にまつわる法整備は他国よりも早く完了した。
なんとか、日常を取り戻すに至ったが状況は楽観視できるものではない。ダンジョンは緩やかに増え続けている。その負担の大きさに、管理者が逃げてしまうことも多い。国からの援助があっても、である。
ダンジョン発生より10年。事態収拾の希望はまだ見えない。
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俺の名は入川春夫。元サラリーマン。現ダンジョン管理者。昨日から天涯孤独の独り身である。俺に家族など居なかった。親戚も。そう思いながらいくつかの番号にブロックをかける。呪われろ。
会社を辞めるのにはかなり苦労した。まず出社し、家で作ってきた資料をプリントアウト。そして上司へ報告する。
「すみません田沼課長。騙されてダンジョン付き物件を買ってしまいました。管理責任があり、仕事をしながらそれをするのは不可能です。なので、退職させていただきます」
「……何いってんだお前」
呆然とする上司。気持ちは分かる。その後、ふざけるなバカヤロー! と叱責ももらった。その気持ちも分かる。
ダンジョン発生より、日本の大部分の産業が不況であえいでいる。正確には、輸送コストの増大だ。今まで移動に使っていたルートが、モンスター発生で危険地帯になった。安全なコースは時間がかかる。
作業時間が増えれば費用が増える。人件費と燃料費、車両整備費エトセトラ。運搬はあらゆる産業にかかわってくる。コスト増大、利益減少、経費削減……かくて、平成の悪しき歴史が繰り返される。
第二次就職氷河期。人件費は削減され、雇用数も減少する。社員一人一人に求められる仕事の量と質は右肩上がり。音を上げて新しい仕事先を探そうも、どこもかしこも似たり寄ったり。
働きたくても場所がない。入れる場所はブラック企業。お前の代わりはいくらでもいる。労働者を奴隷のように扱う労働基準法ガン無視環境。それが今の現実である。
そんな現状であるから、市場もまた厳しい。社員一人一人が、全力を出さなければ利益が出ない。そんな中、役職なしとはいえそれなりに働ける社員が唐突に抜ける。同じ部署で働く人間の負荷が、さらに増える。
管理者として、とても飲めたものではないだろう。自分もとばっちりを受けるのだからなおのこと。
「お前なあ! 一人抜けるだけで会社にどれだけ迷惑がかかるかわかってんのか! 業務妨害だぞこれは!」
上司はブチ切れモード。こうなったらもう止まらない。自分の意見を通すまで吠え続ける。だが今日ばかりはこれに流されるわけにはいかない。
「ご迷惑は重々承知なんですが、止めない方がもっとひどいことになるんです。こちらをご覧ください」
上司の机の上に、資料を一枚差し出す。ウェブニュースの記事で、見出しには『ダンジョン管理妨害で会社役員を逮捕』とある。
「こちら、ダンジョン管理者の退職を認めなかった上司および責任者が逮捕された事件です」
「はあ!? なんでだよ!」
「ダンジョン管理妨害が重罪だからですね。そういう法律が制定されてるんですよ」
俺はダンジョン管理の妨げをした場合の罰則について、市役所からもらったパンフレットも提示しながら説明した。ぶっちゃけかなり重い。そして容赦もない。
ダンジョンからモンスターがあふれた場合の被害はシャレにならない。人命が脅かされるのはもちろん、周辺設備もダメージが入る。復旧にかかる費用は普通にウン千万円の世界だ。大きな施設が巻き込まれれば簡単に億の単位が見える。
管理放棄もその妨害も、厳しい処罰が下される。俺の退職を拒否すれば、会社にも自分にも被害が及ぶ。頭に血が上っていても、流石にそれは理解できたようだ。
だが、納得するかどうかはまた別の話。
「じゃあお前が受け持ってる仕事はどーするんだよ! 責任どう取るつもりだ!」
退職を申し出ると、必ず出る上司の言葉。聞いているほかの社員もさぞかしうんざりしているだろう。わかるよ、俺もそうだった。
そして、繰り返されているだけあってその後はどういう話の流れになるかもわかっている。お前のやったことを次の会社に言いつけてやる! 転職先で居場所がなくなるぞ! 営業妨害でも訴える! という感じで脅してくるのだ。
気持ちは分からないでもない。この環境で生き延び続ければ誰だって同じように染まるだろう。申し訳ないという思いもある。
だけど俺たちは社会人。責任をもって生きて行かなきゃいけない立場。そして俺はダンジョン管理をしなきゃいけない責任を負ってしまった。それを果たさなきゃ、俺は牢屋行き。御近所はモンスターまみれ。それは避けなければならない。
「そこは新しい社員を雇用していただければと」
「ふざけてるのかこの野郎! これは営業妨害……」
「ところでこちらの資料をご覧ください。辞めた社員を営業妨害で訴えて負けたという話です」
上司のパターンを知っていたのだから、当然俺は用意していた。ブラック企業でよく聞く退職者への脅し文句。これ、可能かと言えば条件がそろわないとできない。
基本的に、労働者には退職の自由がある。ただし、雇用期間を定められていた場合は特別な理由(事故や病気など)が無い限り辞められない。また、辞めると宣言してから二週間は働かなくてはいけない。
つまるところ、労働者が義務を履行していた場合は無理なのだ。たとえその人物が辞めたことで仕事が回らなくなったとしても。
そんな話を懇切丁寧に説明すれば、課長も押し黙らざるを得ない。代わりに顔は赤と黒に変色したが。身体に悪そうだ。
「というわけで、引継ぎ作業に入りたいのですが」
「……手の空いているやつにやらせろ」
「では課長、お願いします」
仕事を止めるということは、これまでの立場から解放されるということ。もちろん限度はあるが、今まで言えなかったことも発言できる。
なので、ここでこの部署に配属されてからのうっ憤を晴らさせてもらうことにした。うん、急に辞めるのは本当に申し訳なく思う。だがパワハラに対する復讐はする。
昔の人はいいことをいった。それはそれ! これはこれ!
「……は?」
「課長しかいないんですよ。毎日七時に帰れるくらい手が空いている人って」
俺たちに仕事を押し付けて、な! 部署内に目を向ければ、皆一斉にこちらから目を逸らした。しかしその口元には笑みが浮かんでいた。きっとこう思っているのだろう。ざまあみろと。
結局、俺の仕事は無事課長に押し付けることに成功した。実際、他の人が名前を呼ばれると、嬉々として今受け持っている仕事の量について話し出す。
ついでに『じゃあ、代わりに課長に頼まれたこの仕事お返ししてもいいですか?』などと返しをする人までいる始末。流石の上司もこれには閉口せざるを得なかった。
こうして、引継ぎ作業という名の復讐を数日で終わらせた俺は退職を果たした。有給も使った。当然ごねられたけど、労組に証拠提出という伝家の宝刀も使用した。
次の就職に不利、という相手のお決まりなカードもダンジョン管理者という地獄の前では無意味だ。
かくて、大学卒業から三年務めた(だいぶ)ブラック企業を退職。ガチにブラックなダンジョン管理の仕事に励む体制ができたのだった。
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