酒問屋との出会い

 一六七五年 四月中旬 紀州和歌山城下 久延くえ


「う、うぉえ……」


 視界がぐるりと回転すると、猛烈な吐き気が襲って来た。立っていることもできずに俺はその場に崩れ落ちる。一体全体なんだってんだ。

 三半規管を揺さぶられるような不快感を我慢し、嘔吐をなんとか堪えた俺は地べたへしゃがみこむ。視界が歪む。酷い二日酔いみたいだ。


 数分ほどして幾分かマシになったので、おそらく元凶であろう懐中時計を甚平のポケット越しに触る。こいつのつまみを回した数秒後に異変が起こったんだ。俺の蹲っている場所が店の床でなく、むき出しの土の上であるのは懐中時計のせいに違いないと半ば確信している。

 周りを見る余裕など一切なかった俺だが、頭上から不意に声をかけられた。


「オマエさん、大丈夫かね」


 心配そうに小袖の男性が座り込む俺の顔を覗いてくる。

 剃髪をしたその男性は心配そうな表情で俺に目線を合わせて喋ってくれている。一目でわかる善人だ。

 だが、小袖に草履と現代人の服装ではない。少しばかり警戒しつつ会話をする。


「ええ、少し眩暈がしましてね」

「そうか。家は近くなのかい?」

「あー……」


 俺は男性の言葉を受けて周りを見渡す。明らかに久延骨董堂の付近ではない。一体どうなっているのか見当もつかないが、適当なことを言って状況を確認するべきだと判断した。


「ここはどこでしょうか?」

「紀州和歌山城下の外れだが……?」

「ああ、そうだった。どうにも浴びるように酒を飲んで記憶が飛んじまってるみたいで」


 不審そうに言う男性に俺はその場しのぎの嘘を吐く。しかし、彼はその嘘を鵜呑みにして「なんだ」と納得した。


「御仁、その恰好と言いバサラ気取りかい? 記憶を飛ばすほど飲むのは感心しないねぇ」

「いやね、国元から出てきて店を構えようと思ったんだが、旅の途中で野盗に襲われてしまって。有り金全部奪われて借りるはずだった店の家賃も払えねぇからヤケ酒に走るしかなかったもんで」

「そいつは災難だったなぁ……ま、そういうことならうちに来るかい? 朝飯ぐらいは出したげるよ」

「はは、こいつはありがてぇ。地獄に仏とはこのことだな」


 ご都合主義のようにトントン拍子で話が進み、俺は御仁の家にお邪魔することになった。





「着いたよ。ここだ」

「でっかぁ……」


 御仁の家は城下町の中でも大通りに面した大店おおたなで、店内では朝だというのに従業員が忙しなく動き回っていた。

 そんな中へ御仁はためらいもなく「帰ったよ」と言って入っていく。勝手知ったる我が家というわけだな。


「おかえりなさいませ。大坂はいかがでしたか?」

「よくないね。銭をもってるからって図に乗ってるよ」


 笑顔だが強い語気で御仁は女中に言った。女中も慣れたものなのか苦笑をして御仁から羽織などの旅の道具を預かっていく。その最中、背後にいた俺に気づいたのか、おやと言いたげな表情で御仁に訊いた。


「こちらの方は?」

「ああ、すまないね。お客だ、茶漬けでも出してやってくれ」

「承知しました。お客様、奥へどうぞ」


 そういって女中は店内から見える突き当りの部屋へ俺を案内する。御仁は先に着替えるらしい。

 先に六畳の部屋へ通された俺は、畳に胡坐を掻いて座った。女中さんはにこやかな表情で少々お待ちをと俺に声をかけた。


「すぐにお持ちしますね」

「いや、ゆっくりでいいよ。ありがとね」


 いい教育を受けてる従業員だなぁ、などと思って待つこと五分ほど。別の小袖に着替えた剃髪の御仁が現れた。歳のほどは五〇歳ぐらいか。


「お待たせしましたな」

「いえいえ、こちらこそ旅でお疲れの中お邪魔して申し訳ない」


 頭を下げる。御仁は笑った。


「よいのです。それに、旅ではなく買い付けでしたので」

「なにを買い付けなさったので?」

「米ですよ。ここは酒問屋ですが、酒造も行っておりますから」

「へぇ」


 醸造所と問屋が一緒だったのか。西部開拓時代の醸造所と同じだなぁ。


「てことは、米が買えなくて酒が造れないってことですか?」

「有り体に言えばそうですな。紀州の村々から集められた米も紀州で消費するよりも、大坂に持っていって酒にしたほうが値が付くのですから……名前の差で皆あちらに買い取られます。

 三年前の西廻海運発足で江戸へ流せる酒の量が増えた弊害です。おかげで周辺の国では食う米にも困っているところさえあるのです」

「いわゆる大坂の下り酒ってやつですか。そんなに高値が付くんですね」


 御仁はゆるりと頷く。


「特産のない紀州藩は海運の利益を大して得ることもできずにただの停泊所になっていましてな。藩主の中納言様にどうにかできぬかと打診されましたが……」

「打つ手なし、と」

「このままでは藩の財政は先細りになり、役目を果たせなくなると中納言様はおっしゃっていますが、利益が絡めば商人相手にはにんともかんとも」

「ま、相手も生活が懸かってますもんね」

「然り」


 御仁が心底困ったふうに嘆息する。そこへ女中が二人分の茶漬けを運んできた。沢庵付きだ。

 二人分の膳を俺達の前に置き、女中は一言も発することなく会釈をして退室した。


「腹が減っては気分がクサクサしてしかたない。さ、おあがってくだされ」

「そうですね。ありがたくいただきます」


 膳の上の茶漬けは冷や飯に番茶をかけたもののようで、御仁は慣れた手つきで熱々の番茶に沈む米をほぐして口に運ぶ。二口ほど食べては沢庵を一齧り、それを繰り返す御仁がどこか機械的で面白い。


「どうかされましたか?」

「あ、ああ。綺麗に食べるもんだなと思いまして」

「大店の主となると士分の上役の御歴々とも食事をご一緒させていただくこともございますからな」

「左様ですか。中納言様とも?」

「中納言様はワシだけでなく、民に混じって祭りを楽しむような方ですな。最近ではもうお若くはないのでワシを含む和歌山城下の会合衆との会食程度ですが」


 嬉しそうに城主について語る御仁を見る限り、どうやら善政を敷いている御殿様のようだ。

 和歌山と言えば紀州徳川家。吉宗の親父が今の藩主かな? 職業上工芸品や書画には詳しいが徳川家については教科書以上は知らんが。

 そんなふうに雑談をしながら食事を平らげる。意外とおいしかった。


「馳走になりました。この御恩は必ず」

「いやいや、それよりもこれからの生活は大丈夫ですかな? 多少なら路銀を渡せるが」

「いえ、そこまでしていただくわけには参りません。それにこれもなにかの縁。城下で働き人事を尽くして天命を待ちたいと思います」

「そうですか。なにか困ったことがあれば是非おいでなさいませ」


 笑顔で告げる御仁に頭を下げて感謝し、忙しそうな店内を辞する。

 そして、人通りの少ない路地に入り込み、懐中時計のつまみをさきほどとは逆の方向へ回した。


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