第15話 切り取られた時間
楽しげだったさっきの雰囲気とは一転して、つばめの瞳には悲しみと絶望が渦巻いていた。
視線はテーブルの上のミルクティーを見つめ、口元は固く結ばれている。
僕は、つばめから話し出すことを待った。
それ以外にはやりようがなかったのもあるし、ここで焦っても仕方なかったからだ。
しかし、僕の心の中には間違いなく恐れがあって、それがじっとこちらを見つめている、そんな気がした。
手元が震える。
それを隠すように、僕は手を掴んだ。
「私たちの結婚生活は、僅かな間で終わってしまいました」
つばめの言葉には逡巡がある。
「それは、離婚したとかそういう」
僕の言うことを聞くと、つばめは僕の顔を見た。悲しみと慈しみの表情。
安堵と迷いの表情。
相容れない二つの感情が彼女の中で暴れている。
「いいえ、そんなこと……それであればどんなにまだ”マシ”だったか」
「どういうこと?」
「センパイは優しすぎました。事故に遭った子供を助けて、自分の命を落とすことになったんです」
ずっとすれ違っていた僕の体験してきた未来とつばめの未来が交差した。
記憶が正しいなら、僕はやはり子供を交通事故から助けようとして命を落とすことになったはずだ。
「それって、交通事故?」
「ええ……そうです、トラックが暴走してくるのに気づいて巻き込まれそうな女の子を助けた」
僕の記憶とは細部が異なっているようだが、やはり交通事故という点が一致している。
二度も告げられた僕の死に、どこか遠いところの話をされているような妙に冷静な自分と、
自分の死という暗い未来を告げられて動揺し続けている自分が同時に心の中にいる。
しかし、持ち上げたコーヒーカップの水面は揺れ動いていて、それが僕の心境に一番近い気がした。
「私は悲しみました。ずっと……。運命を憎みました。どうして私からセンパイを奪うのか」
悲しみの表情でつばめが言う。それは、おおよそ高校生らしくない、大人の悲しみに見える。
「数日なのか、数ヶ月なのか、わかりません。また会いたいとそう願いながら、でも、気がついたら過去に戻っていたんです。高校時代に。新入生として高校に入るこのタイミングに」
「そ、そうか」
つばめは、ふっと顔を上げるとなにかを決意したような凛々しい表情をした。
胸を張って、背筋を伸ばして、小さくよし、と口にする。
「これはもう、愛のなせる奇跡ですよね!なんといっても私とセンパイは夫婦だったんですもん、キャ!やだ恥ずかしい。いいえ恥ずかしいことなんてありません、だってもうこれは確定した未来なんだから!あ、なにトロくさくコーヒーなんてすすってるんですか、今日という日が終わってしまいますよ、さあさっさとデートに繰り出しましょう。どこ行くか決めてますか?決めてなさそうですねその顔、まずデートといったら」
「待てまてまて!!デート?デートなんて聞いてないぞ」
焦りながら僕はつばめのことを静止する。
本当に突然降って湧いたデートの言葉に混乱していた。
「女の子と休日にコーヒーだけ飲んで帰るつもりだったんですか、第一、私たちは夫婦なんですよ、たまにある休みくらいデートしたいじゃないですか。なに不思議なもの見てる顔してるんですか、全然不思議じゃないですよ、ほら、行く先なんて決めてなくてもいくらでもありますからね、はい、伝票持って、行きますよ、ほらほらほら」
背中を押されて会計を済ますと、僕はつばめに手を引かれて街を歩いていた。
非常にごきげんな表情のつばめが鼻歌交じりに手を振って歩いている。
「そうですね……公園に行きましょう。今の季節は桜がきれいですよ」
そういうと、僕の腕に抱きついてきた。
柔らかい彼女の身体が僕の腕に押し付けられて、非常に困る。
「ああ、本当にまた、センパイに会えて嬉しい……こうして一緒に歩けて」
それは、僕じゃないんじゃないかという気持ちもどうしても拭えずにいたが、心の底から喜んでいるらしいつばめに水を差す気にはなれなかった。彼女と歩いて公園へ向かう。
向かった先は昔のお城があった場所で既に城の建物は無くなっていたが、堀とそこに囲まれた広場が公園として開放されているのであった。
植えられた桜が開花し、華やかな雰囲気が辺りを彩っている。
「僕とこうして桜を見に来たりしたの?」
「どうでしたかね。色々デートしましたけど、桜はサークルの飲み会くらいでしか見たことなかったかもしれません」
「そうか……と言っても、僕には実感がないんだけど」
大学時代は経験しているが、つばめとは一緒じゃなかったのだ。
彼女の言うサークルが僕の入っていたサークルと一致しているかも怪しい。
「あー……サークルって何サークルだった?」
「え、忘れちゃったんですか?写真サークルだったじゃないですか」
「そうなんだ……写真、興味あったのか?」
「いいえ!私は全然!センパイが入ってるから入ったんです」
「割り切りがすごい」
ちなみに、現在の僕も写真には興味があまりない。
僕という存在は、間違いなく僕だけど、他人から見た僕と、僕が考えている僕が一致していないということはあるだろう。
しかし、僕の妻だと名乗る人たちが見ていた僕は、必ずしも現在の僕ではない可能性があるのではないだろうか。
「こういう風景を見ると撮影したくなるねって、デートのときは言ってましたよ、じゃあカメラ持ってくればいいのにって毎回言うんですけど」
「そうなんだ、でも、今日みたいに天気が良いと、桜もきれいに写りそうだね」
「えへへ、そうですね。私も撮ってくださいね」
まあ、カメラ、持ってないんだけどな。
そういえばと思って、携帯電話を出してみる。
歩いているつばめと桜の並木がフレームに入るようにして、携帯電話のカメラでシャッターを切った。
記憶よりもずっと小さい液晶に、可愛い僕の妻と名乗る女の子が写っている。
それが本当に僕の妻なのか、それとも違うのか、謎も一緒にその写真には閉じ込められていた。
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