クシ=コスの空間馬車~元王子とデュラハンの運び屋稼業~
えりまし圭多
第1話◆終わりの日そして始まりの日
痛い……冷たい……いや、もうその感覚すらもなくなりつつある。
地面に投げ出された体の半分ほどが冷たい冬の川に浸かっており、降り始めた白い雪が水には浸かっていない部分に薄らと積もり始めている。
つい先ほどまでは冷たさが刺すような痛さととして感じられていたが、今はもうそれもだんだんとわからなくなってきている。
失われていく感覚と遠のく意識の中で、はっきりと死を意識し始めていた。
どうしてこんなことに――。
つい数刻前まではこんなことになるとは思っていなかった。
いや、本来は警戒をしていなければならない立場でありながら、ほんの僅かながら緩みがあったのは否定できない。
そんなことは絶対起こらないなんて断定できない立場でありながら。
それはチラチラと小雪が舞う季節、国内の視察で数日をかけ各地を巡っている時だった。
夕方前には次の町に到着している予定だったはずが、出発する町を統治する貴族にやけに手の込んだ見送りをされ、出発時間が押したのが始まりだった。
思えばここから仕組まれたことだったのだろう。
出発の遅れに加え道中で車輪のトラブルもあり、次の町までまだ距離があるというのに冬の短い日が落ちる時間となっていた。
日暮れが近付くにつれ気温が下がり雪も強くなりそうな気配が出てきた頃、馬車の横を馬で併走している護衛騎士達の隊長が、馬車の中まで冷えるからとガラス窓の外側に取り付けられている木製の外窓を閉めた。
そして外の様子は見えなくなり音も遮断され、馬車がゴトゴトと揺れる音しか聞こえなくなった。
それも間違いなく仕組まれたことだった。
護衛騎士達の隊長はもう何年も俺の護衛に付いていた者で、高齢だった先代の隊長が引退し代わりに隊長になった者。
彼が指揮する騎士達も俺の護衛に付いて、それなりの期間が過ぎている者ばかりだった。
それなり――短くはないが長くもない。
後になって思いかえせば、この日の護衛は先代の隊長の頃からいた者が一人もいなかった。
これも間違いなく仕組まれたこと。長い時間をかけて。
それにあの時、それに全く気が付かなかったのが俺の油断。完全なる気の緩み。
俺の約束された未来は、確実なものであるという慢心。
その結果がこれ。死がもう目の前まできている。
外窓が閉められた馬車の中は、照明用魔導具の薄らとした乳白色の光があるだけで薄暗い。
この国で最高級の馬車の揺れは穏やかで、中の座席もフカフカとして座り心地が良く、長時間の馬車での移動も苦にならないどころか、馬車内が薄暗くなると揺れが心地良くなり始め強い睡魔が襲ってきた。
この国で最高の地位にある者の後継者に選ばれて以来、休みはほとんどなく仕事に追われ続け疲れが溜まっていたのは嘘ではない。
だが厳しい後継者教育を受け、国の運営のトップに立つという激務に耐えられるように体も鍛えられた俺が、このようなところで寝落ちするわけが――。
それも俺の慢心で、そして仕組まれたこと。
何かを盛られたのか、催眠作用のある何かを置かれていたのか、気付いたら眠りに落ちており、目が覚めたのは激しいどころか前後左右も上下もわからなくなるほどの揺れと、馬車の壁に連続で叩き付けられる激しい衝撃と痛み。
それが馬車が高い崖を転がり落ちた衝撃だと理解したのは、そしてそれがどういう状況か理解したのは、何度も馬車の壁に叩き付けられついには扉が外れ馬車の外に投げ出された時だった。
俺が乗っていた馬車はそのまま崖を転がり落ちてバラバラに砕け、途中で馬車から投げ出された俺は馬車とは別方向へと転がり落ち、その先には木々に囲まれた沢。
冬の冷たい川の中まで転がりようやく止まったが、全身が激しく痛み体を動かすどころか意識を保つことすら長くできる気がしなかった。
暗殺――その言葉が頭に浮かんだ時にはもう、目の前まで死が迫ってきていることを確信した。
だんだんと遠くなっていく意識の中、激しい痛みでほとんど開くことのできない目に映ったのは森の木々。
予定されていたルートは森に近い街道だったが、森の中に入ることはないはずなのに。
森の中には多くの魔物が棲息しており、俺のような身分の者を乗せる馬車がそこを通るわけなどないはずなのに。
窓を閉め外の様子をわからなくしたうえで、俺がウトウトとした隙に森へ入り馬車ごと崖から落としたのだろう。
そのようなことが起こるなど……護衛が全て、俺を消したい者の手の者にされていたということか。
そしてそいつらはこう報告するのだろう――王太子の乗った馬車が魔物に奪われたと。
魔物が棲む森に近い街道ならば時折そういうことも起こる。特に食糧の少ない冬という季節、魔物が活発に活動する日没後という時間ならなおさら。
森の奥地など魔物の巣窟で連れ去られてしまえば生存も捜索も困難。
この状況では捜索隊が俺を見つけるまで俺の命がもつわけがなく、発見される頃には体は森の魔物によって食い散らかされ原形を留めていないだろう。
俺を殺そうとした者への、そして完全に油断していた俺自身への悔しさに噛む唇すら動かない。
もはや感覚のない腕や足は動かせるとは思えない。
首もまともに動かず、見えるのはもう僅かにしか開いていない目に映るものだけ。
動かないでもないくらいには動く眼球を動かせば、ほとんど開いていない視界にあらぬ方向に曲がり血塗れになった手が見えた。
その手に触れるか触れないかの場所に小さな銀色の鈴が転がっており、俺から流れ出た血で赤く染まりつつあった。
確かそれは王宮の魔導具研究室にいた奇抜な魔導具技師に押しつけられ、上着のポケットに入れていたやつだ。
青に緑に金、孔雀の尻尾のようなド派手な色の髪をした妙な男。
もしもの時に俺を助けてくれるから騙されたと思って持っておけと、無理やり王太子の服のポケットに不審な鈴を投げ込んだ不敬な孔雀頭。
念のため宮廷魔術師に鑑定させたが、お守り程度の防御効果が付与されているので持っておけば、植木鉢が落ちてきたくらいなら助かるだろうと言われポケットに入れていた。
植木鉢くらいなら助かったのかもしれないが、馬車ごと崖から落とされたのはさすがに無理だったようだ。
だんだんと意識も遠のき始め、視界も狭くなっていく。
ここで死ぬということを確信しつつも、死に恐怖を覚えるほどの余裕が残っていない。
ただもう目を閉じたい――と瞼を落とそうとした時、曲がった腕が動いたのか手にあの鈴が振れたような感覚があった。
もう全ての感覚が急速に失われている中で不思議なくらいに。
……チリン。
小さくなった鈴の音が妙にはっきりと耳の奥まで届き、落ちかけた瞼を止め眼球を鈴の方に動かした。
俺の血で染まる鈴に、それまでは気付かなかった文字が浮かび上がっているのが見えた。
おそらく鈴にその文字が彫り込まれて、そこだけまだ血に染まらず文字が浮かび上がって見えたのだろう。
「Csi=kos」
喉の奥から上がってくる血と口の中の傷から流れる血で、舌がベッタリと張り付いて動く方がおかしい口で無意識にその言葉を読み上げた。
それだけ。
それでもう残っていた意識も感覚も急速に遠のいていき、ペルッソス王国第一王子であり王太子の俺はこの時完全に死を覚悟していた。
「いたか!?」
「こっちは馬車だけだ」
「生きてはないと思うが、万が一生きていたらとどめを刺せ。死亡を確認したら、エランヴィータル殿下だと確認できる体の一部を回収することを忘れるな」
もうほとんど音を拾わなくなっている耳に、ガシャガシャという金属製の鎧のこすれる音と、バキバキと落ち葉や枯れ枝を踏み潰すしながら人が森の中を歩く音が届く。
そしてカツカツという馬が地面を蹴る音も。
話し声も聞こえてくるが、それを理解するほどもう頭は動いていない。
ただその声は俺を助けに来た者でないだろうという確信はあった。
近付いて来ているのがあの騎士達ならば、俺を見つけても助けることはなくとどめを刺すだけだろう。
「あそこの木が折れているからあの辺りか?」
カッカッカッカッ。
近付いてくる人の声と足音。そして馬の足音。
正常な時ならこの違和感に気付かないわけはなかっただろうが、この時の俺はもう全てが途切れる直前だった。
しかしまだギリギリ生きている。
ギリギリ生きている俺の耳に――。
ヒイイイイイイイイイイイインッ!
けたたましい馬の嘶きが届き、僅かに意識が戻った。
「何だ!? 馬!?」
「うわああああああああっ! 魔物だあああああ!!」
「バケモノだああああああ!!」
少しだけ意識が戻った俺の耳に、聞き覚えのある声が悲鳴となって届く。
その内容も。
魔物か。
このまま自然に死ぬか、俺を落とした騎士達にとどめを刺されるか、それとも魔物に殺されるか。
いずれにせよ結末は同じである。
「デュラハンだーーーー!!」
全てを諦め意識を終わらせようとした俺の耳にその言葉がはっきり届いた。
そして確実な死を理解した。
遠のいていく意識の中で、悲鳴と共に逃げ惑う足音がだんだんと小さくなり聞こえなくなっていく。
しかしパカパカという馬の足音だけは、停止しそうな頭の中まで届いていた。
それがこちらに近付いてきていることも。
だんだんと近付くその足音がピタリと止まった時、もう全く動かない体でその気配を感じながら眼球だけそちらに動かした。
そこに見えたのは――。
漆黒の首無し馬に跨がる、漆黒の鎧を纏った首無し騎士だった。
それが左の小脇にやったら綺麗な顔をした生首を抱え、右の手には漆黒の大鎌を持って俺を見下ろしていた。
先ほど聞こえてきた言葉がなくとも、その漆黒の存在の正体を俺は知っていた。
死のある場所に現れる、漆黒の首無し馬に跨がった漆黒の首無し騎士。
死を予言し死を運んでくる、死の宣告者――それはデュラハンと呼ばれていた。
そのデュラハンが今、馬の上から俺を見下ろしている。
あるべき場所になく、代わりに小脇に抱えられた首の顔立ちはあまりに美しく、死という安らぎを与える神の遣いにも思えた。
そしてそれにきたるべき死を確認し、瞼を完全に落とした俺の耳に聞こえてきた。
「ずいぶん痛そうだが、大丈夫か?」
ものすごくのんびりとした口調で、ものすごく気の抜ける言葉が。
大丈夫なわけねーだろ!!
死にかけていなかったら、きっとそう叫んでいた。
これが俺とこの妙なデュラハン――クシ=コスとの出会いだった。
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