辺境のレクシスト

與八 悠

序章「声封じ」

 本作には「詞儀(レクシス)」と呼ばれる、言葉によって世界に干渉する術が登場します。

 詞儀レクシスは本質的に、“施術者と被術者の関係性”に依存して発動するものであり、その術式が第三者に不意に伝播することは、本来あってはなりません。


 したがって、読者の皆様への安全配慮として、作中に登場する詞儀レクシスの詠唱・構文・語句は、物語上「■■■■■」のような伏字・黒塗りで処理されています。

 これにより、物語内での詞儀レクシスの力を、読者が直接的に受けることなく、安全に作品をお楽しみ頂けます。


 どうか作者による一種の防御術式であるとご理解のうえ、物語をお楽しみください。


※※※


 僕は、言葉のない平原に立っていた。


 風は吹いていた。川も流れていた。だが、そこに“意味のある音”は存在せず、ただ草を揺らし、岩にあたってしわぶきを立てている。遠くに、高く鳴く鳥の声が聞こえた。

 なぜこんなことになってしまったのだろう。僕はその顛末を思い返していた。


 —— 声封じ。のちにこう呼ばれることになる、事故。


 辺境の少数語族間で紛争の兆しがあるとの報を受け、デント帝国語制局の指示のもと、僕たちは“沈静レクム”の複合詞儀プロト・レクシスを調律した共律器を携え、北のホカロ語族地域へと派遣されていた。


 構成は、僕を含む数人の詞儀レクシス工学技士と、語制局正規軍の下級詞官以下数名。


 任務は単純だった。紛争地域全体に照準を合わせ、環境への干渉を最小限に抑える防護措置を講じた上で、適切なタイミングにプロト・レクシスを発動させる──ただ、それだけのはずだったのだ。


 丈夫な布と金属の棒で設営された簡易兵舎の中、詞儀レクシスによって熾した火を囲みながら、支給されたクーロス──酸味の強い発酵酒──をわずかに傾けて、指令を待つ。

 プロト・レクシスによる集団術式をもっとも効果的に用いるには、対象の寝起きを狙い撃つのが定石だ。半覚醒状態の脳に術式を直接作用させることで、人間が本来持つ防護機能をすり抜け、効果を何倍にも高めることができる。


 紛争地域に点々と設置された感応型詞儀具レクシファクトのうち1つから、手元の共振盤きょうしんばんに反応があった。滑らかな表面に微かな光がともり、一定のリズムで振動している。対象に動きがあったことを知らせる合図だ。


 「“沈静レクム”、用意。」


 語制局正規軍から派遣された新任詞尉のカルヴィが小さな声で短く指示を出す。誰かが火を消し、兵舎のあたり一帯は暗闇に溶け込んだ。

 集団術式では、こちらの存在を対象に認識されるとその精度が落ちるため、施術者は顔全体を覆う面具を装着するか、こうして隠密に行動することが求められる。


 カルヴィの合図で、僕は共律器を構えた。肩当てをしっかりと身体に押しつけ、狙いを定める。感応型詞儀具レクシファクトのわずかな灯りをたよりに照準を合わせ、合図を出す。


 「共律器、照準よし。“沈静レクム”、装填よし」

 「了解。防護詞儀レクシス実行」


 同じ技局から派遣されてきた同僚のキョウが防護詞儀レクシスを装填した小型の共律器を実行すると、小さく笛のような音がして、すぐに僕らの部隊はキンと耳鳴りがするような静寂に包まれる。


 「防護詞儀レクシス、よし。実行」


 静寂の向こうから聞こえたカルヴィの合図で共振器のトリガーを握り込むと、放射状に拡がった先端部分から“沈静レクム”の複合詞儀プロト・レクシスが響き出した。


 <■■■■ ■■ ■■■■ ■■>


 照準を中心にして、徒歩で2時間分ほどの直径を持つ円の内側全体に機械詠唱の音が響き渡った、はずだ。防護詞儀レクシスのため、僕たちには聞こえない。遠くの山々からの反響が止むのを待つ。


 「“沈静レクム”、実行完了。解除」


 簡単な任務とは言え、やはり緊張もするのだろう。まだ若いカルヴィが安堵をにじませた声で完了の合図を出し、僕はトリガーから手を離す。他もそれにつづくように緊張を解いていった。

 夜通しの待機を労い合いながら、ふたたび詞儀レクシスによって火を熾し、残ったクーロスを一気に傾けて日が高くなるまで眠った。あとは現地調査を行い、語制局に報告書をあげれば任務は終わるはずだった。


 —— そして夜が明け、調査のため現地へ赴いた僕は、「音のない平原」に立っていた。


 風の音と、川の流れる音。遠くに、ときどき高く鳴く鳥の声が聞こえる以外には、何も聞こえなかった。紛争の兆しがあると伝えられていた少数語族の集落にある家を1軒1軒回ってみると、そこには、安らかな顔で息絶えた人々がいるだけ。動かなくなった主を心配し、突然あらわれた僕を警戒したグード ——狩猟に使う小型の四足獣—— のうなり声が虚しく響く。


 朝食だろうか、大型獣のモモ肉が火にかけられたまま炭化していた。子どもは織物にくるまったまま、息をしていない。いくつかの家では、見守る人のいなくなった火床から拡がった炎で家が燃え始めているが、悲鳴ひとつ聞こえなかった。


 単純な任務のはずだった。いったい僕らは ——何をしてしまったというのだろう。


 この「声封じ」の事故が、その後の僕の行く道を大きく変えてしまったことだけは間違いなかった。

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