第三話

 翌日の正午、葵は表参道にあるギャラリー併設のカフェで隼人を待っていた。ベージュのワンピースと自作のターコイズピアス、軽いメイクでいつもより少し華やかに装っている。


「水野さん、こんにちは」


 背後から声がして振り返ると、スラリとした長身の男性が立っていた。短髪に黒縁メガネ、肩にはカメラバッグがかかっている。


「鈴木さん、今日はありがとうございます」


 二人はコーヒーを注文し、初対面に近いぎこちなさをほどきながら世間話をする。隼人は穏やかな声と誠実そうな眼差しが印象的で、話しやすい人柄だった。


「それで、ご相談というのは?」


 隼人がやんわりと切り出す。


 葵は意を決して告げた。


「実は……夫に浮気をされています」


 隼人は息を呑む。驚きと同情が入り混じった表情だ。


「だから、夫に同じ気持ちを味わってほしいんです。実際に浮気するつもりはありません。でも見せかけて、あの人を揺さぶりたい」


「偽装、ということですね」隼人は真剣な顔つきで問い返す。


「ええ。SNSで一緒に写る写真を載せたり、時々会っているふうに見せかけたり……協力してもらえませんか?」


 隼人は少し考えこむ。


「普通なら断るかもしれない。でも……」


 彼は葵をまっすぐ見つめる。


「水野さんからは、単なる恨みだけじゃなく、自分を取り戻したいという強い思いを感じるんです」


 葵は唇を引き結んだ。


「七年間、夫の才能を陰から支え、彼を信じてきました。でも裏切られた今、私自身の人生を取り戻したいんです」


 隼人はしばらく黙ったあと、穏やかに頷いた。


「わかりました。お手伝いします。でも、ひとつだけ条件を」


「なんでしょう?」


「誰かが取り返しのつかないほど傷つくようなら、その時点で作戦をやめましょう。それと、本当にあなたのアクセサリー撮影をさせてほしいんです。口実じゃなく、僕は本気であなたの作品に興味がある」


 葵はほっと息をつくように微笑んだ。


「わかりました。ありがとう。条件はすべて受け入れます」


 具体的な段取りを話し合う。まずはSNSで友達になり、食事に行った写真をアップする。あくまで「偶然の出会いから仲良くなった」設定で。


「あと……私、外見も少し変えようと思ってます。自信を取り戻すために」


「それはいいですね」


 隼人は穏やかに笑った。


「外見が変わると内面も変わりますから」


 一通り計画を練ったあと、葵は隼人に問いかけた。


「どうして、こんな依頼を引き受けてくれるんです?」


 隼人の目がかすかに曇る。


「僕も、以前は大切な人に裏切られたことがあって……あの時の気持ちは忘れられない。そして、あなたの作るアクセサリーには、作り手の真摯な想いが宿っていると感じたから。そんな人が追いつめられるのを黙って見ていられないんです」


 葵の胸が熱くなり、自然と名前で呼んだ。


「ありがとう……隼人さん」


 隼人も柔らかく笑んだ。


「こちらこそ、葵さん」


 窓から差し込む夏の陽射しが、テーブルの上を優しく照らす。葵はほんの少し、心が軽くなった気がした。


「じゃあ、作戦開始ですね」


 隼人はアイスコーヒーのグラスを軽く持ち上げる。


「作戦開始」


 葵もグラスを合わせ、小さな音が響いた。

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