俺の婚約者は悪役令嬢を辞めたかもしれない
ちくわ食べます
第1話
俺の婚約者であるアリシア・フォン・クラウゼン。
彼女のことを、一言で表すとすれば『怖い』がぴったりだと思う。
いや、普通の怖さじゃないんだ。幽霊がでたとか、魔獣が襲ってきたとか、そういうわかりやすい怖さじゃなくてさ。
もっとこう、心をジワジワと締め上げるような、背後に立たれた時に冷や汗が吹き出すような……そんな怖さだ。
アリシアは彼女は冷酷で、打算的で、貴族社会の権謀術数に長けた女だった。礼儀作法、学問、社交、どれを取っても隙がない。美しいブロンドに真紅の瞳を持ち、微笑めば貴族の男どもが群がるほどの美女だ。
でも、あの美しさは男を絡め取る罠みたいなものだ。見惚れたら最後、心臓を手でえぐり取られる。
俺は知ってるぞ……ああいうのを『悪役令嬢』っていうんだろ?
彼女が伯爵令嬢から王子の婚約者という立場に上り詰めたのは、実力と策略の賜物だった。巧みな話術と根回しで王宮の重鎮たちを味方につけ、「エドワード王子には、私のような聡明で頼れる伴侶が必要ですわ」と宣言。気づいたら俺との婚約が決まっていた。
いやいやいや。
俺、何にも聞いてないんですけど。
それに求婚とかもしてないし……。
たしかに俺は王子だし、自分で言うのもなんだけど、見た目だって整っていて『ザ・王子』って感じだ。もちろん女性に人気がある。でも、アリシアって俺に興味なさそうなんだよね。
どう考えても、彼女の野心のために利用されている感が否めない。
……それにさ。
「アリシア様を敵に回せば破滅する」って、王宮のあちこちで囁かれているのっておかしくない?
実際、アリシアに逆らった貴族の息子が何者かに襲われたし、彼女の悪口をいった侍女は数日後に忽然と姿を消した。
ねッ? 怖いでしょ?
そんなアリシアと婚約するって……俺の未来って詰んでないか?
このままじゃ、一生アリシアの掌の上で転がされるだけの人生になっちゃうんじゃ……。
「あぁー、婚約破棄したい……!」
俺はなんとかして彼女と婚約破棄できないか、ずっと策を巡らせていた。
「アリシア・フォン。クラウゼン。お前との婚約を破棄する!!」と高らかに宣言したかったが、何をどうあがいても無駄だった。
だけど――ある日を境に、アリシアは変わった。
これまでの傲慢さは影を潜め、明るく穏やかな雰囲気に変わったのだ。鋭く人を見透かすようだった視線は、まるで聖母のような慈愛に満ちていた。
そんなアリシアを、まず疑った。
「新手の罠か?」
だって、変わり過ぎだし。
罠か策略にしか思えないよね。
そう考えてたから、できるだけ関わらないようにしていたんだけど……。
「エドワード様は、やはり、私がお嫌いなのですね……」
ある日、アリシアが泣いた。
俺は目を疑った。
いやいやいや、あのアリシアが泣く!?
氷の魔女みたいな奴だぞ?
何があったんだよ!?
火事か? 戦争か? それとも世界の終焉か?
まさか、もう心理戦に巻き込まれているとか? 俺が同情するのを狙っているのか?
いや、でも……。
アリシアの涙はどう見ても本物だった。
だけど、どう考えてもおかしい。
彼女は変わった。何が彼女を変えたんだ?
その謎を探るため、俺はアリシアの観察を始めることにした。
例えば食事の席。
彼女の皿には、以前なら絶対に口をつけなかった魚料理が並んでいた。普段のアリシアなら、すぐに侍女を呼びつけ「誰がこんなものを用意したのかしら?」と冷ややかに問い詰めただろう。
だが、今日の彼女は……普通に食べていた。
誰よりも優雅で、少しのミスも許さない完璧さを崩しもせずに。
気付いた執事が顔を青くして謝罪したけど、彼女は執事を咎めることなく「美味しかったです」と微笑んだ。
おーい。この人だれ??
お前、本当にアリシアか? そっくりさんとかじゃないよね?
さらに奇妙なのは、彼女が以前なら絶対に見向きもしなかったものに、やたらと心を動かされていることだ。
ある日、庭園でアリシアが小さな白い花を摘んでいた。
「……まあ、かわいい」
――ふぁッふ!?
俺は耳を疑った。
あのアリシアが、花を……かわいいって言ったのか?
彼女が花を愛でるような素振りを見せたことは、一度もなかった。美しいものを理解する感性は持っていたけど、それはあくまで「貴族の女性として、教養の範疇」だったはずだ。
それが今、花を手に取り……まるで初めて花を見た少女のような顔をしている。
「珍しいな。花に興味があったのか?」
俺が問いかけると、アリシアは一瞬驚いたように目を見開いた。
……あれ? 俺、なんか変なこと聞いたかな?
「……ええ、なんだか、とても……愛おしい気がして」
そう言って微笑んだ彼女に……その表情に、俺の胸が妙にざわついた。
なんだ、この胸がポカポカする感覚は。
いや、俺は知っているぞ。こういうのはフラグっていうんだ。
まさか、アリシアに惚れ始めているってことなのか?
たしかにアリシアは美人だ。最近は冷たい表情もなくなって親しみやすくて……。
いやいや、待て待て。
あのアリシアだぞ?
俺が惚れるなんておかしい。悪役令嬢まっしぐらの彼女に、どうして惚れなきゃいけないんだ!?
――それなのに。
アリシアの変化を意識し始めてから、俺の中で妙な感情が芽生えつつあった。
べ、別に、好きになったとか、そういうんじゃないっ!
ないはず。……たぶん。
けど、なんていうか……気になるんだ。
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