びんぼう神

甘夏みゆき

びんぼう神

 ジオンは焦りで何度も目を瞬かせたが、決まりがあってどうしても止めに入れない。目のまえではこの家の家主新七しんしちが、今まさに首を吊ろうとしている所である。

 ジオンはこの家の貧乏神だった。居ついたのはちょうど半年前で、新七はここ仲町で錺師かざりしをしていた。若いが腕のいい錺師で、ことに新七のつくる透かし牡丹の簪は、近くに住む町娘や芸者衆に評判だった。しかしジオンがこの家にやってきて事態が一変。簪を卸していた小間物屋からは注文が途絶え、以前は足繫くここに通っていた女客の姿もぱったりと見えなくなった。


『おい~~~!何はやまったことしてんだよ……!あと一日我慢すりゃ、お前はまた元の暮らしに戻るのに!』


 ジオンはふだんのように独りごとを云うと、青白い唇を震わせた。このあたりの貧乏神の持ち回りは半年で、この家にジオンが居ついて今日でちょうど半年だ。それゆえ明日になればジオンは出てゆき、新七は晴れてこの貧乏暮らしから抜け出せる。それを何を血迷ったのか、新七は今朝起きるやいなや長い着物帯を持ち出して、今から首をくくろうとしているのだ。


『ああ~~~どうすりゃいいんだ~~~!おれの姿が家主に見つかるのはご法度なんだ!見つかったらおれはこの家から離れられなくなる。そんなことになったら、コイツは一生貧乏暮らしだ』


 助けてあげたいのは山々だが、そうすると新七に更なる不幸が降りかかる。だがそんなジオンの逡巡をよそに、新七はとうとう乗っていた台から足を踏み外した。


『だめ———……!!』


 気づけば勝手に身体が動いていた。ジオンは大きく叫ぶと、男の足にすがりつく。

 一瞬あたりが水を打ったように静かになって、突如頭上から笑い声が聞こえてきた。弾かれたようにジオンが顔をあげると、笑みを湛えた新七がこちらを見ていた。


「や~っと出てきやがったぜ。まったく」


 さっきまで死のうとしていた男とは思えないほどピンピンした様子の新七が、ジオンの顔を上から覗き込んでいる。


「お前独りごとでかいんだよ。俺ァ貧乏神がこの家に居ついている事なんざ、はじめから知ってたぜ。夜中枕元でなんか聞こえるなぁって目を開けたら、お前ひとりで喋ってんだもん。おかしいったら」


 新七は二ッと笑って白い歯を見せると、ジオンの伸びた前髪を長い指ですくいあげた。


「うん、やっぱり明るい下で見たほうが美人だな。待ってろ、今にお前に似あいの、とびっきりの簪をこさえてやるから」


 そう云ってなぜか目を細めた新七の顔が近づいてきたので、ジオンは慌てて顔をそむけた。いったいぜんたい何が起きているのかよく分からない。


「おっ、お前……ッ!いいいいいのか!?お前はおれの姿見ちゃったら、これからずっと貧乏暮らしになるんだぞ!?」


 ジオンが口を尖らせて迫ってくる新七の顔を手で押さえながら云うと、新七は再び笑ってジオンの掌をぺろりと舐めた。


「な……ッ!」

「俺さ、本当はもう飽き飽きしてたんだ。透かし牡丹の簪ばかりつくるのも、白粉臭い客に媚びて簪を売るのも。そんな時、夜中枕元からお前のひそひそ声が聞こえてきて——お前貧乏神なのに俺の暮らし向きばかり心配してさ。そのときふと思ったんだ。こんなお人よしとずっと一緒に居られるなら、貧乏暮らしも悪くねぇかな……ってさ」

 

 それにお前、俺好みの憂い顔美人だし、と付け加えた新七は、ジオンを畳に押し倒した。


「まっ、まて……!お、おれは男だぞ!?ちょっ……まっ……」

「あ—俺、そういうの気にしねぇタチだから」


 もう黙れという風に、ジオンは新七に唇をふさがれる。

 初めてその身に感じた人のぬくもり。その優しいぬくもりは、思いのほかジオンに多幸感をもたらした。


 外は雲ひとつない、秋晴れの空。

 ジオンと新七の二人暮らしは、今日から始まったばかりである。

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びんぼう神 甘夏みゆき @amanatumiyuki

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