第5章 ロンドン地獄絵図 Ⅱ
ワトソンたちは目を凝らす。
ぼんやりと明るい地下空間の最奥。まるで玉座のように拵えられた椅子に、真っ黒いコートを身にまとった針金細工のように細長い体躯の大男が、優雅に腰掛けていた。
顔には鳥の嘴を模したペストマスクを付けており、人相は分からない。
それでも見間違うはずもない、あれは──
「切り裂きジャック!」
ワトソンの叫ぶ声を無視して、切り裂きジャックはホームズに向き直る。
「遠からずここにたどり着くと思っていたが、思ったよりも早かった。さすがと言っておこうかシャロン・ホームズ」
「お褒めに預かり光栄だ、とでも言えばいいのかいジェイコブ・フリードマン」
切り裂きジャックは首を振った。
「ジェイコブ・フリードマンという人間はもういない。ここにいるのは切り裂きジャック──弱々しい身体に縛り付けられていた、過去の私はもういないんだ」
まるで自分の身体を見せつけるように、切り裂きジャックは両手を広げる。
「やはり肉体を捨てて、脳だけを機械の身体に移植しているようだね」
「正解だ。さすがだな名探偵。どうだ、お前も機械の身体になってみる気はないか? この身体は本当に素晴らしいぞ」
「生憎と私は今の自分が気に入っていてね。それに美味い酒も飲めず、血液の代わりにオイルの流れる身体になんてなりたくはないな」
「それは残念だ。お前ならこの素晴らしさが分かるかと思っていたのだが」
我慢できないとばかりにレストレード警部が会話に割り込んだ。
「ご託はいい。貴様、機械の身体になって、こんな所に潜んで人造人間を作り──一体何をするつもりだ⁉」
「言っただろう、永遠になるんだ。私の名を──切り裂きジャックの名を人類史に刻みつけ、私は永遠になる。その為にまずはこの大英帝国をひっくり返す」
「何だと⁉」
切り裂きジャックが口にしたそれは、国家転覆の宣言であった。
「馬鹿な! たった一人で国家を転覆など出来る訳が──」
声を荒げるレストレード警部。しかし切り裂きジャックは気にも止めない。
「大英帝国は世界の三分の一を牛耳る覇権国家であり、その首都ロンドンを陥落させることができれば、それは世界に轟く惨事となるだろうね」
「それは……」
ワトソンは息を飲み、ホームズは淡々と予想を語る。
「もしそうなれば……元々内外に火種や敵を抱えているこの国の首都が陥落したとなれば、内乱や国外からの侵略、植民地での反乱などが起きても不自然ではない。しかもそれが同時多発的に起きて、政府がそれに対応できなければ──国家が転覆することも十分あり得るかもね」
ホームズの淡々とした声が響く。それがリアルに感じられた。
戦慄するワトソンの隣で、ライフルを構えたホームズが問う。
「それで? 君がここに籠っている間に準備した人造人間を、地上に放つ計画の訳かな」
「正解だ。やはり君は察しがいいな」
「それはどうも」
銃声がした。
ホームズがライフルの引き金を引いたのだ。猛獣さえも屠る威力のある大口径のライフル弾が、切り裂きジャックの頭部を直撃した。
切り裂きジャックは弾かれたように後方に倒れる。
ホームズは冷たい目で倒れた切り裂きジャックを見ていた。いきなりの事にワトソンは驚く。
「ホームズ何を⁉」
「ここで奴をやらなきゃ、大勢の死人が出る。だから──」
「──だから問答無用で撃ったか。思ったよりも過激派だな君は」
「「っ⁉」」
倒れた切り裂きジャックから、何事もなかったかのように声がする。
「間違いなく脳を撃ち抜いたはずだが……」
流石のホームズも息を飲む。しかしそれを嘲笑うかのように切り裂きジャックは続けた。
「ふふふ、私は確かに脳を機械の身体に移し替えたが、このボディに移し替えたとは言っていない」
「まさか⁉」
「そう、この切り裂きジャックは
「なるほど……拘置所にいながら殺人を行い、外部から襲撃してジェイコブ・フリードマン逃亡を幇助した切り裂きジャックの正体はお前か」
吐き捨てるようにホームズは言う。
倒れ伏した切り裂きジャック──を模した自動人形は、電子音を響かせる。
「今頃本体はロンドンの惨状がよく見える場所で、高みの見物と洒落こんでいるよ」
その物言いが腹立たしくて、ワトソンは言い返す。
「残念だったな。いくら人造人間が凄かろうと、たった二百やそこらの数でロンドンを陥落できる訳がない!」
しかしそんなワトソンの叫びも切り裂きジャックはせせら笑う。
「ここにある人造人間が全てだとでも思っているのか」
「何?」
「既に一万以上の人造人間を製造済みだ。お前たちの使っていない地下道のルートから、ロンドンの各所の地下に人造人間を配備してある」
「なっ⁉」
そこまで事態が進んでいたなんて──とワトソンは驚愕する。
「いくら何でも早すぎる! お前が地下に潜って一週間程度のはずだ、そんな数の人造人間を作れるわけ」
「全自動で人造人間を製造する機械を、七日七晩稼働し続けた。我らが大英帝国を発展させた工業化の力だよ」
工業機械の導入はこの国の生産力を大いに押し上げた。しかしそれが、こんな物を生産するために使われるとは。
「もっとも量産性を高めるために造りはややチープになってしまったけどね。それでもこれだけの数があれば、ロンドンを落とすのには不足ないだろう。君たちも地上に戻って見てみるといい、そろそろ人造人間を起動させる時間だ。地獄絵図が見れるだろうよ」
「切り裂きジャック、貴様ぁ!」
ワトソンの叫びに、倒れた切り裂きジャックがわずかにほくそ笑んだように見えた。
「まぁ……君たちが地上に戻れたらの話だが」
それが合図になったのか、小さな歯車が高速で回る音をワトソンたちは確かに聞いた。その音はそこかしこからしており、まるで透明な怪物が産声を上げたかのようだった。
そしてその音がある一定の音程を超えた時、周囲にうず高く積まれた死体の山──否、人造人間の山が崩れ出す。積み重なった人造人間がそれぞれに動き出したのだ。
人造人間たちは身体を起こすと、キョロキョロと周囲を確認し、やがてワトソンたちを見やる。濁った瞳の何十何百という視線が、ワトソンたちを射貫く。その重圧たるや、これまでの比ではない。
マズい、ヤバい──ワトソンの動物的本能が危険信号を発している。
「逃げろ! 地上まで戻るんだ‼」
恐怖に竦みつつあったワトソンの身体を、レストレード警部の声が突き動かした。突入した警官隊は、我先にと逃げ始めた。ワトソンとホームズ、警部もそれに続く。
背後に迫る人造人間の群れ。
あれに追いつかれたら一巻の終わりだ。
「走れワトソン君!」
「言われなくとも‼」
一目散に逃げ出すワトソンたちを見やり、
「フハッ、フハハハハハハハハハハハハハハーーーーーッ!」
心底可笑しそうに金属で出来た切り裂きジャックのドッペルゲンガーは笑い、そして回路がついに限界を迎えたのかただの物いわぬ鉄くずと化した。
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