第3章 人造人間 Ⅳ

「ホームズ⁉」


 襲い掛かる人造人間とワトソンの間にホームズが割り込んだ。ホームズは構えた愛銃の照星を人造人間の頭部──そのさらに一点、眼球に合わせて引き金を引く。

 銃声が鳴り響き、発射された弾丸は人造人間の眼球を撃ち抜いた。


「──────!」


 声にならない悲鳴を上げて、人造人間は倒れた。倒れてすぐに痙攣したように四肢をばたつかせた後は、ピクリともしなくなる。

 死体から造り出された人造人間は、また元の物言わぬ死体に戻ったのだった。


「どれだけ加工を施されていようと、あの身体を動かしているのは脳と電算機コンピュータ。眼球を撃ち抜けば、頭蓋骨に邪魔されることなくそれを破壊できる。タネが分かればいくらでも倒しようがあるって事さ」


 ホームズは銃を人造人間からジェイコブに向けた。


「チェックメイトだ。君を守る下僕はもういない」


 そうホームズが言ったタイミングで、大勢の足音がして部屋の扉が開く。ワトソンがそちらに視線をやると、警官を引き連れたレストレード警部とフリードマン男爵がいた。

 人造人間との戦闘音やホームズの発砲音を聞いて、何事かと駆け付けたのだろう。


 開口一番、レストレード警部が怒鳴り散らすが、


「コラ! シャロン・ホームズ‼ 勝手なことはするなと言っただろうが! 一体何事だ──」


 部屋の異常さに気が付いてすぐに押し黙った。

 驚愕に目を見開き、死体の浮かんだケース群と床に転がる人造人間を交互に見やっている。

 拳銃を構えたまま、ホームズが言った。


「警部──彼です」

「む?」

「フリードマン男爵ではない。男爵の子息、ジェイコブ・フリードマン──彼こそが切り裂きジャックです」

「何ぃ⁉」


 警部は目を剥き、そして悠然と佇むジェイコブに目をやる。


「本当に奴が……?」

「証拠ならこの部屋を調べればいくらでも出てくると思いますよ。少なくとも解体された女性の死体が、まだいくつか隠されているでしょうね……そこの人造人間のような」


 ホームズが倒れた人造人間を顎でしゃくる。


「人造人間だと? これは縫い合わされた、ただの死体じゃないか」

「それはついさっきまで動き回っていました。死体をつなぎ合わせて造る、生きた屍人形──人造人間フランケンシュタインというらしいですよ、彼の発明品です」 

「何と恐ろしい物を……!」

「──何ということをしたんだ貴様っ‼」


 レストレード警部が声を荒げるより先に、一緒に駆け込んできたフリードマン男爵が怒鳴り上げた。

 しかし怒りの矛先は警部とは大分違うようだった。


「私が守り上げてきたフリードマン男爵家の名に泥を塗りおって! 身体が弱いからと屋敷の奥に隠していれば、まさかこんな馬鹿なことをしでかすとは! やはりお前などとはさっさと縁を切るべきだった!!」


 一息にまくし立てた後、フリードマン男爵は警部に向きなおる。


「私はこの離れでこのような事が行われていると知らなかった! 本当だ、メイドも食事を運ぶだけで、この離れには立ち入っていない。私は本当に何も知らなかったのだ。だから私は事件とは何の関りもない、アイツとの縁も今切った──だから何としてもこの家だけは」


 懇願するようにわめくフリードマン男爵の姿は、余りにも矮小で哀れだった。

 この子にしてこの親ありか──フリードマン男爵も、自分の家名に傷がつくことだけを恐れており、息子が人を殺したことに対する憤慨などまるでないようだ。


 ワトソンは人を人とも思わぬ貴族の醜悪さを垣間見た気がした。

 あまりにも無様過ぎてどこか滑稽にすら見える男爵を、一番最初に笑ったのはジェイコブだった。


「──見苦しいよフリードマン男爵」


 そう言う彼の顔は酷薄で、口調と言いこれまでのやり取りといい、彼らの間に親子の情などないらしい。


「常に貴族とは気高くなければいけないと、講釈を垂れていたのは貴方だろう。少しはその気高さとやらを見せてほしいものだ」

「口を慎め! 親不孝しかしない出来損ないが!」

「──状況も分かっていないようだな」


 フリードマン男爵の姿に注意を奪われていた隙に、ジェイコブは右腕に機械の強化外骨格を纏っていた。ジェイコブが切り裂きジャックとして振舞うために作った、彼の貧弱な身体を補うための鎧である。


 病弱で細身のジェイコブの右腕だけが異様に長い。その姿はとても歪で、見る者を不安にさせる危うさがある──いやそれだけか? それだけでは説明のつかない不安感をワトソンは覚えた。


「いい加減、貴方の講釈を聞くのも飽きた」

「しまった──!」


 言った時には既にジェイコブは動いている。怒りによる感情の高ぶりを見せることなく、いきなり彼は腕を振るった。今の彼の腕は、機械でできた殺戮兵器だ。


 四つの鋼鉄の爪を備えた右腕が、寸分の狂いなくフリードマン男爵を襲う。男爵は反応さえできない。灰色熊の打ち下ろしに等しい攻撃を受け、頭蓋骨を割られて脳漿を漏らし、悲鳴を上げる事もなくフリードマン男爵は絶命した。


「う、うわあああああああああああっ⁉」

「狼狽えるな! 奴を逮捕しろ‼」


 一瞬で殺されたフリードマン男爵を見て、顔を青くする警官たちをレストレード警部が叱咤する。

 しかし誰もジェイコブに向かって行かない。


 当たり前だ。相手は巷を騒がす連続殺人鬼であり、一瞬で人を殺すことのできる存在だ。おいそれと向かって行けるものではない。


 昨夜対峙して切り裂きジャックがどれほど手強い相手であるか理解し、覚悟を決めてきたワトソンでもやはり怖気づいてしまう。

 しかしホームズは違った。


「そこまでだ、ジェイコブ・フリードマン──いや切り裂きジャック! これ以上殺しはさせない」

「……いつまで常人のフリを続けるつもりなんだシャロン・ホームズ。貴様にも私の発明の素晴らしさは理解できているはずだ。こんな凡百の輩と同じ側に立つ必要はないだろう」


 まるで裏切られたかのような口ぶりの切り裂きジャックに、ホームズは不敵に鼻を鳴らす。


「必要があるとかないとかの問題じゃない。私は自分の意志でこちら側に立っている──言っただろう私は探偵、事件を解決することを生業にする者だ。殺人鬼と馴れ合うつもりはない」

「そうか……それは残念だ」


 ジェイコブの目が怪しく光る。ホームズは反射的に引き金を引くが一瞬遅い。

 その長い腕を使ってジェイコブは周囲の棚をなぎ倒した。倒れてくる棚に阻まれ、ホームズの銃弾はジェイコブに届かない。倒壊したケースから怪しげな薬品と解体された死体がこぼれ出て、薬品の匂いが鼻をついた。


 倒れる棚の陰に隠れて、ジェイコブは左腕にも強化外骨格を纏う。

 両腕が異様に長くなったジェイコブは手で地面を蹴る、あるいは天井や壁に爪を立てるという奇抜な方法で三次元的に動き回り、矢のような速度でホームズに迫った。

 ホームズも迎撃のため銃を撃つが、ジェイコブの奇妙奇天烈な挙動に狙いが定まらず、肉薄を許してしまう。


 優れた運動神経と身体能力を持つホームズであるが、それでも人間の域を出ない。規格外のパワーを持つジェイコブにあっさりと圧し掛かられてしまった。

 ホームズを上から押さえつけ、ジェイコブは薄気味悪い笑みを浮かべる。


「ふむ……この美貌と頭脳、やはり殺してしまうのは惜しい。ここで殺さずに連れさって手ずから教育を施すべきかな」

「うえぇっ……」


 ホームズはジェイコブのセリフを聞いて総毛立った。


「──ホームズから離れろ!」


 ホームズに圧し掛かるジェイコブに、ワトソンは全力の飛び蹴りをかました。蹴られたジェイコブは数メートルほどノーバウンドで吹き飛び、壁面に腕で着地する。


「人が女性に声をかけているんだ。邪魔をするなよ」

「うるさい! 僕は探偵助手だ。うちの探偵に手を出すなら見過ごせない」

「昨晩必死だった癖によく言う……やはりお前は目障りだな。先に殺しておくとしよう」


 ワトソンの啖呵にジェイコブは壁から床に着地すると、両腕を左右に広げる構えを取った。

 確かに昨晩、ワトソンは切り裂きジャックを相手にして勝機を見いだせず苦戦した。今戦っても勝てる保証はない。

 しかし逃げるつもりもなかった。このような危険な男を野放しにはできない。

 ワトソンも半身になり、膝を緩めて両拳を握る格闘術の構えを取る。

 場の空気が張り詰め、一触即発となったその時。


「君の方こそ自分の装備を過信しすぎていないかい」 


 銃声が響き、切り裂きジャックは膝をつく。見れば足から血が流れていた。ホームズは瞬時に切り裂きジャックの足を撃ち抜いていたのだ。


「君の武装はたしかに強力だが、完全武装でなければ突ける隙はいくらでもある。動きを止めた時点で君は私にとってただの的でしかない──観念したまえ、切り裂きジャックの名前はここで終わりだ」


 先ほどの事があるからか、いつも以上にホームズの声は冷たかった。 

 足を撃ち抜かれたジェイコブは痛みに顔を歪めながら、それでも薄気味悪い笑みを止めない。

 ニィッと微笑んだままホームズを見ている。


「いや──切り裂きジャックは終わらない。切り裂きジャックは永遠になるんだ」

「世迷言を」


 ホームズは容赦せず、さらに続けて発砲。

 昨夜とは違い、防弾繊維のコートに隠れていない両肩、腕の付け根をホームズは躊躇なく撃った。


「あ──があぁ……!」


 両肩を撃たれた切り裂きジャックは、もう思うように腕を動かせない。吊り上げられた魚のようにバタバタと暴れるが、それもすぐに大人しくなった。

 ホームズはふぅと銃口から立ち昇る硝煙を吹く。


「警部、後は頼みます」

「──確保おおおぉぉぉっ!」


 大立ち回りに目を奪われていたレストレード警部が我に返り、あらん限りの大声で叫ぶ。

 それが合図となり、ようやく警官たちが動き出した。ジェイコブは殺到した何人もの警官に押さえつけられ、身動きが取れない。

 こうして切り裂きジャックはあっけなく捕まったのだった。

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