第3章 人造人間 Ⅱ

 ロンドン警視庁スコットランドヤードが調べた結果、浮かび上がってきたのは意外な人物だった。


「フリードマン男爵家──下級貴族ですか」

「ああ」


 ワトソンの確認にレストレード警部はうなずく。

 ホームズとワトソンは警察車両に乗り、件の貴族の邸宅に向かう道すがら捜査情報の報告を受けていた。


「このフリードマンという男爵家が、あの辺りの工事を行う際に業者等を手配していてな。今も管理はこの男爵家に任されている。しかも直近の数か月で、追加工事をしたらしいが、工事内容の詳細は分からなかった」

「ほぼほぼ黒だと思っていい状況証拠だね」


 と言ってホームズは腕を組む。


「さて、その貴族様のお屋敷には何があるのやら……楽しみだね」

「言っておくがシャロン・ホームズ。今回は貴様との約束があったから、一緒に連れて行ってやってるだけだ。余計なマネはするな、分かったな」

「はいは~い」


 ホームズに釘を差すレストレード警部。しかし当のホームズは気にも留めていない。蒸気エンジン駆動の警察車両がロンドンの街を駆ける。

 しばらくすると着いたのは、ロンドン郊外にある大きな屋敷だった。


「ここがフリードマン男爵家の屋敷だ」

「下級といえどやはり貴族、中々豪勢な屋敷じゃないか」


 塀に囲まれたその屋敷はとても広く、隅々まで手入れが行き届いている。典型的な貴族の屋敷といった風だった。

 しかし何だかあまりにも典型的過ぎるようにも見える。病的なまでに貴族らしさを押し出したような……そんな印象をワトソンは覚えた。


「行くぞ。お前たちは我々の後について来い」


 レストレード警部が先陣を切って屋敷の門をくぐった。

 それに部下の警官数人、そしてワトソンとホームズが続く。他の警官たちは有事に備え、屋敷の前に待機させられている。

 門を抜けると青々とした芝生の美しい庭園と大きな館、そして奥には離れの別館が見えた。


「ふむ……」


 玄関へ繋がる石畳を歩きながら、ホームズは離れの別館を注意深く観察していた。

 石畳の先にある玄関は大きく立派で、それだけに下級貴族の屋敷にしては少々役不足であるようにも見える。

 ドアノッカーを叩いてから、レストレード警部が声を張り上げた。


「ロンドン警視庁です。フリードマン卿、至急お話をお聞きしたい!」


 返事を待たずに警部はドアを開けて押し入った。

 玄関を抜けた先は大きな広間になっており、天井のシャンデリアがこれまた仰々しい。


「──これはどういう事ですかな」


 奥から白髪交じりの厳めしい顔つきの壮年男性が出てきた。

 また今時珍しいくらい畏まった服装をしており、如何にも貴族の当主といった風貌である。レストレード警部は即座に敬礼した。


「はっ! 失礼します、フリードマン卿」


 この厳めしい顔の男性がフリードマン男爵らしい。


「これはどういう事かと聞いている」


 フリードマン男爵はニコリともしない。


「ロンドン警視庁がずかずかと上がり込むなど、周りの家に何と思われるやら……その辺り、少しは考えなかったのかね。配慮が足りないのではないか」

「お言葉ではありますが、緊急事態でありまして」


 威圧的なフリードマン男爵に対して、レストレード警部は一歩も引かない。


「ほう。何かね」

「現在巷を騒がせている切り裂きジャック事件をご存知ですか。その容疑者としてあなたの名前が上がっているのです。お話を伺えますでしょうか」

「何だと⁉ ──ぶ、無礼な!」


 真っ向から容疑を指摘するレストレード警部に、フリードマン男爵はカッと顔を赤くして怒りを露にする。

 そこから口角泡を飛ばす勢いで、反論を一気に並べ立て始めた。


「……どう見る?」


 そんなフリードマン男爵の様子を見て、ワトソンは隣のホームズに話しかけた。

「ふむ……」とホームズは腕組みをして顎をつまむ。


「どうも彼ではない気がするな。昨夜出会った切り裂きジャックの言動には、全体的に理知的で余裕があった。あんな風に取り乱して反論するなんて、らしくない……」

「何となくだが僕もそう思う」


 ワトソンも首肯する。


「というか、そもそもフリードマン男爵は機械義肢装着者じゃなくて健常者だ。その線からも切り裂きジャックではないという事になる……でもそれじゃ、誰が切り裂きジャックなんだ?」

「それについては考えがある……来たまえ」

「あっ、おいホームズ」


 言うなりホームズは玄関前の広間で口論するフリードマン男爵とレストレード警部を置いて、目立たないように横をすり抜けて勝手に屋敷の中へと踏み入った。

 口論する二人に注意が行き、勝手に行動するホームズに誰も気づかない。


「ああもう……!」


 仕方なくワトソンはホームズに付いて行った。


「……これ立派な不法侵入じゃないのか?」

「大丈夫、大丈夫。事件さえ解決すれば問題ないよ」


 軽くいうホームズにワトソンは頭を抱えた。この女名探偵は事件解決を最優先するあまり、時として法律や常識を軽く見るところがある。

 ワトソンとしてもこんな所で前科なんてほしくはないので、是が非でも事件を解決してもらわなければならない。


「それでホームズ、考えっていうのは?」

「この屋敷には男爵の子息のジェイコブという青年がいる。身体が弱く、屋敷の離れにこもって療養していて、世話はメイドに任せきりでほとんど表には出てこない──怪しいだろう? 調べる価値はある」

「ちょっと待ってくれ。どこでそんな情報を?」

「ワトソン君も読んだだろ。警部が見せてくれたフリードマン男爵の調書だよ」


 それを聞いてワトソンはアッと声を出した。確かに男爵に関する情報の中に親族の情報も載っていた。しかしホームズがあの調書を読んだ時間は、ごくわずかな時間だったはずだ。


「あの短い時間で、そこまで目を通していたのか」

「私は名探偵だからね」


 などと言っているうちにホームズとワトソンは廊下を抜けて屋敷の裏手に出た。広い屋敷の裏手、目立たないところに別館が建っている。本館の屋敷よりも一回り二回り小さいが、それでも十分な大きさの館だ。


「これがご子息様の住まう離れのようだね」


 ホームズは気負う様子もなく離れに近付いていく。

 離れの玄関ドアに手をかけるが、当然ながら鍵が閉まっていて開かない。


「ふむ」


 ホームズはすぐに懐から細長い金具を取り出すと、鍵穴に突っ込む。カチャカチャと金具のこすれ合う音がしたかと思うと、玄関ドアの鍵が開く。

 ホームズが専用の金具を取り出してから鍵をこじ開けるまで、三分と経っていない。


「……」


 ワトソンはもう頭を抱える気にもならなかった。


「……一応聞いておくが、鍵をこじ開けたことを聞かれたらどうする」

「たまたま鍵が開いてたと言えばいいさ」


 悪びれもせずにホームズは離れの玄関ドアから中に入っていく。ワトソンはホームズが泥棒にならなくて本当に良かったと思った。


「というか鍵開けなんて技術どこで身に着けたんだ?」

「ストリートチルドレンの子にちょっとね」

「君は路上生活者の子供にすら何かを教わるのか」

「自分にできない事をできる人間は、全て私の教師だよ。もちろん君もね──さぁ行こう」


 ホームズは音もなく離れ中に忍び込むと、冷静に周囲を確認していく。

 離れの別館は本館と違い、内装は白系で統一されたシンプルなつくりになっていた。清潔感があるが、清潔すぎてあまり人の住む場所に思えない。


 玄関から入ってすぐは応接スペースになっており、そこから一本の長い廊下が続いて幾つもの部屋のドアが並んでいる。

 二人は手前の部屋から順に確認していった。

 手前から奥へ一つひとつ部屋を確認していく途中で、ホームズが鼻を鳴らす。


「……ワトソン君、気付いたかい」


 ワトソンもそれに気づいた。医学生の彼にもその匂いは馴染のあるものだったからだ。


「ああ……薬品臭い」


 何らかの薬品を使っていると思わしき臭いがほのかに漂い、鼻腔を刺激する。白でまとめられた内装も相まって、ますますこの建物が貴族の館ではなく病院や実験施設めいて見えてくる。


「妙な気配もする、警戒を怠らないでくれ」


 離れの奥へ進むに連れてその臭いは強くなる。それと同時にワトソンの緊張感も増していった。

 何かは分からない、しかし確実に何かがある──その予感がワトソンの神経を昂らせるのだ。一歩一歩、先へ進むごとに早くなっていく心臓の鼓動を抑え、ワトソンはホームズと共に別館の中を進む。


 そして一番奥の部屋、ひと際臭いの強いその部屋の前までホームズとワトソンは来た。


「……行くよ」


 ホームズの声に無言で頷き、二人はドアを開けて最奥の部屋へ踏み入った。

 そこは離れの大部分を占めるほどの広い部屋で、壁中が棚になっており、所狭しと本や資料、実験機材のような物で埋め尽くされている。


「これは……」

「……」


 ワトソンは息を吞み、ホームズは注意深くそれらを観察する。

 部屋の奥には何らかの薬品と思われる液体を満たしたガラスケースの中に、バラバラに解体された人体がプカプカと浮いていた。しかもそれがいくつもあった。


 ケースに振られている文字や番号は、犠牲になった人間の名前や日付を記録しているのだろうか。

 まるで実験動物の経過を記録しているかのようなやり方に、ワトソンは強烈な嫌悪感と吐き気を催す。それほどまでに目の前の光景は、ワトソンの知る常識や良識というものから逸脱していた。


 懸命にこみ上げてくるものを飲み下す。逆流した胃酸が食道を焼く嫌な感覚に不快感が増し、ワトソンは少しの間動けなかった。

 さすがのホームズもこの部屋の光景には思うものがあるようで、不快感こそ表さないもののいつもの軽い調子は消え、神妙な顔で部屋の中を検分している。


「これは動かぬ証拠を見つけてしまったかな……ワトソン君、あれ」 


 ホームズに促されて部屋の一角を見ると、機械仕掛けの鎧具足のようなものが壁に立て掛けてあった。妙に長い前腕から伸びる指には、猛獣のような鋭い爪がついている。

 そして隣にはペストマスクとロングコートがスタンドに掛けてあった──見間違えるはずがない。

 あれは間違いなく切り裂きジャックのものだ。


「機械義肢ではなくてその前身──いわゆる強化外骨格って奴みたいだね。妙に細長い手足は、小柄な装着者の体躯を無理やり大きく見せる為のようだ」

「──素晴らしいね、もうここまでたどり着くなんて」 


 不意に第三者の声がして、ワトソンとホームズは身構える。

 林立する棚やケースの陰から、一人の青年が幽霊のように音もなく現れた。

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