第1章 名探偵シャロン・ホームズ Ⅲ

 にこやかに笑いかけながら、ホームズはゆっくりと親玉の待ち受ける車両に踏み入った。その歩みは淀みなく、まるで散歩でもしているかのよう──ホームズは全く親玉の男を恐れてはいなかった。


 親玉の男は理屈ではなく本能的にそれを察し、ギラリと刺すような目付きでホームズを睨む。それでもホームズに怯んだ様子はなかった。


「おいおい私が『ご機嫌よう』と挨拶しているのだから、君も何か返してくれよ。挨拶は人間関係の基本だよ?」

「フン、ふざけた女だ……俺の子分を全員ノシて来たようなヤベぇ女とするような挨拶なんてねぇよ」

「ヤベぇ女とは心外だな。私は心優しい乙女なのに」

「人を背後から問答無用で撃つ奴のどこが心優しいんだよ」

「よく見てくれ。急所はちゃんと外しているだろう」


 親玉の男はちらりと床に伏せる子分を見た。背中を撃たれているが、見事に内臓や大きな血管を避けて撃ち抜かれている。


「まさか──狙ってやったってのか……⁉」


 驚愕に目を見開く親玉の男に、ホームズは不敵に笑う。


「他の奴らも同じさ、みんな急所を外して撃っている。君たちが投降して、すぐに応急処置を受ければ死人は出ない──ほら私は優しいだろう?」


 自分より人数の多い敵を前にしながら、急所を外して撃ち抜いて制圧する──一体どれ程高い技量があるのか……親玉の男は冷や汗を流す。


「いや、やっぱりお前はヤベぇ女だよ」


 親玉の男のセリフに不服そうにむくれるホームズは、見た目こそ能天気な美女に見えるが、想像を絶するガンマンであることは間違いない。


「お前何者だ?」

「私はシャロン・ホームズ──探偵だよ」

「探偵?」

「謎を解き、事件を解決することを生業にするものさ……そうだ、せっかくだから答え合わせをしようか」


 まるで舞台に立った役者のようにホームズは語り出す。


「君たちが列車強盗をした本当の目的は、アドキンス氏の暗殺だね」

「……」


 親玉の男は何も言わない。しかしその表情が、ホームズの指摘が正しいことを物語っている。


「通るはずがない無茶な身代金の要求、列車を暴走させて乗客を皆殺しにする段取り──どうにも不可解だったが、アドキンス氏の暗殺を目論んでいると考えれば辻褄はあう。お忍びでロンドンに向かっていた将校が、列車強盗に巻き込まれて死んだ……という風に仕向けたかった訳だ」


 将校が突然殺されば、当然何らかの事件性が発生し、警察の捜査が入る。

 しかし列車強盗が起き、その中で大勢の乗客が死んだとなれば、世間の関心や警察の目は強盗の方に集中し、亡くなった乗客の中に将校がいた事など注目されなくなるだろう。


「木を隠すには森の中というが、まさか一人の人死にを隠すために大勢の人間ごと殺す計画とは恐れ入ったよ。こんな回りくどい手を使うあたり、今回の事件の黒幕はアドキンス氏と対立する軍のお偉いさんとかかな。君らは足が付かないように集められた犯罪者予備軍で、恩赦をチラつかされて実行に及んだ──ってところだと思うんだけど、どうだい? 当たってるかな?」


 親玉の男は何も言えなかった。

 ホームズの推理は全て的を射ていたからだ。


「この貨物車両にある木箱。多分、軍放出品の携帯用小型気球が入っていて、それで脱出する予定だったんだろう。だから親玉である君がここに居座っていた。万が一にも自分たちの脱出手段が誰かの手に渡らないように」


 それも当たりだった──驚愕に顔を歪める親玉の男。ホームズは笑いながら続ける。


「今ならまだ乗客は死んでいないし、極刑にはならないだろう。投降した方がいいと思うがねぇ」

「う、うるせぇ‼」


 呆気に取られていた親玉の男は、ホームズに気圧されながらも口角泡を飛ばして言い返す。


「まだ機関室のコントロールは俺の手下が握ってるんだ。最悪、俺と機関室の奴らだけでも計画を遂行してトンズラするだけだろうが!」

「子分を見殺しにして逃げることも辞さないか……君は見下げた小悪党だね。でもそれも無理だと思うよ」

「あ?」


 親玉の男が訝しんだところで背後──機関車側の扉が開く。そこに立っていたのは、男の子分ではなかった。


「首尾はどうだいワトソン君」

「上々だ」


 機関車から来た淡い茶髪の青年──ワトソンは当たり前だろと言わんばかり答える。


「機関車を抑えていた強盗の一味はみんな気絶してる。機関部の調整も済んだから、暴走する危険もない」

「なっ⁉ いつの間に──」


 言いながら親玉の男はハッと気付く。

 後方車両からホームズが派手に大立ち回りをして来たのは囮だったのだ。強盗一味の注意がホームズにいっているうちに、車両の上を伝って行ったワトソンが機関車を奪い返したのだろう。


 答え合わせと称して長々と自分の推理を語ったのも、ワトソンの存在を隠し、機関車を制圧するまでの時間稼ぎだったに違いない。

 全てはシャロン・ホームズの手のひらの上の事だったのだ……呆然とする親玉の男にホームズは再度語りかける。


「もう一度言う、投降したまえ」

「──クソがああああああああぁぁぁぁぁぁっ!」


 親玉の男は血管が切れるのではないかと思われるほどに顔を紅潮させ、コートの両袖を捲り上げた。両袖の下から出てきたのは、人間の肌ではなく硬質な金属の輝き──親玉の男の両腕は機械で出来ていた。


機械義肢装着者クランカーだったのか……」


 ほんの少しだけホームズの声に緊張の色が混じる。

 機械義肢──通称『クランク』は今世紀に入り、科学の進歩により可能になった人類の新しい可能性の一つである。実用化された機械の手足は、難病や事故で手足を失った人に大いに希望をもたらした。


 しかし同時に新しい問題が発生した。裏社会アンダーグラウンドの住人たちが、機械の義肢に武器を仕込むようになったのである。


「ごちゃごちゃうるせぇ! だったらてめぇらぶっ殺して、計画を進めるだけだってんだよ‼」


 親玉の男も同じ手合だったようだ。

 左腕をホームズの方に向ける──否、腕ではなく銃口だった。男の左腕前腕部は、本来あるべき五指が存在せず、代わりに手首に該当するはずの部分から銃口が伸びている。

 親玉の男は肩にかけていた弾帯を左腕にセットした。


「死ねぇ!」


 拳銃とは比べ物にならない射撃音が、連続して響き渡る。左腕に仕込んでいたのは機関銃だったのだ。


 圧倒的な高火力の乱射に、流石のホームズも顔色を変えて逃げ回る。拳銃と機関銃の弾では威力が違う。貨物車両に積まれた木箱も遮蔽物にはならない。物陰から物陰へ、隠れながらホームズは逃げ続ける──一時でも足を止めれば、木箱ごと蜂の巣になるだろう。


「ホームズ! この──」


 左腕の機関銃を乱射する親玉の男に、ワトソンは背後からしがみ付いた。腕を押さえ、何とか銃口をホームズから逸らす。しかし親玉の男は、もう片方の腕で容易くワトソンを引き剥がし、そのまま片手でワトソンを吊り上げる。


「ぐっ……改造してるのは、左腕だけじゃなかったのか……!」


 機械義肢の改造とは、何も武器を仕込むだけではない。規制された出力以上のパワーを発揮するように改造を施すこともある。

 どうやら男の右腕には出力アップの改造が施されていたようで、恐ろしい怪力でワトソンを締め上げた。


「まずはお前から死んどけ──うおらああぁっ!」


 親玉の男はワトソンを吊り上げたまま振り回し、その勢いのままに車両の壁に向かって叩きつける。先ほどの機関銃乱射の流れ弾が当たり脆くなっていたのだろう──車両の壁が砕けてワトソンは車外に放り出された。


「うっ……」

「──ワトソン君!」


 ホームズが叫ぶが返事はない。あっという間に景色が流れていき、ワトソンの姿は見えなくなってしまった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る