第2話



「はよーっす」


 入って来るなり、ライル・ガードナーは立ち止まった。


「アレ? 先生は?」

「休み」

 新聞を読んでいたアイザック・ネレスが返すと、ライルは不満気な顔をした。

「なんだよ……まだ休み取んの? この前出たからもう謹慎いいじゃん」

「この前のは事件が大きかったからよ。それに自主謹慎だからな。シザの気が乗らないんじゃどうしようもないだろ」

「今日出なかったら確実にランキング二位転落じゃん」

「今はランキングどころじゃねーからさ」

「えーっ。相棒として俺あんま二位のシザ大先生とか見たくないな~。いつまで続くの?」

「分かんねえよ。完全に連邦捜査局が沈黙しちまってんだもん。こちとらどうしようもない」

「もう不当拘留入ってんじゃねーか。【バビロニアチャンネル】も文句言えよなあ」

 アイザックが顔を上げる。

「おう、どーしたお前がイラついて。今までこの件でお前は文句言ったことなかったじゃねえか」

「言ったことなかっただけ」

 ライルは煙草に火をつけた。

「他人の恋愛に文句付けやがってうぜーな。シザもさぁ、自主謹慎なんてやったって誰も誉めやしないよ? 今更。何の意味があんのよ」

「意味っつうか単にユラへの想いだろ。

 あいつが拘置所でピアノに触れることも出来ねえのに【グレーター・アルテミス】で笑いながら仕事はやっぱしたくねえんだろ」

「アッホらし……」

 ライルは小馬鹿にした。


「あーあ、なんか俺もやる気なくなっちった。

 やめだやめだ、今日はオレもパス」


「んーそうかそうか……ん!? おい、パスってなんだよ」


「俺も欠席にしといてよ」

「はあ⁉ てめー何言ってんだ! 特別捜査官に欠席とかねーんだよ! 救いを求める人がいる限り、俺たちは出るんだよ! 今日は【獅子宮警察レオ】の合同パトロールの日ですげぇ忙しいんだからな!

 おい! 複雑な事情があるシザはともかく、てめーのズル休みは認めねえぞ!」

「そんなん知るかよ」

 へっ、と吐き捨てて、ライルは本当に出て行った。


「ちょ、おい……馬鹿野郎! なにガキみたいなこと言ってんだ……どわ!」


 ライルを呼び止めようとしたアイザックが椅子ごと後ろに引っくり返っている。


◇   ◇   ◇


「相棒優雅に謹慎してるのになんで俺だけ働きゃなんねーんだっての」


 ライルは本当に帰るつもりで地下駐車場にエレベーターで降りた。

 今日は車で来たので、自分の車の駐車スペースに向かって歩いて行くと、車の扉が閉まる音がして、こちらに歩いてくる姿が見えた。


 アレクシス・サルナートだ。


 彼は腕のPDAで何かを確認しながら歩いて来たが、すぐにこちらへ歩いてくるライル・ガードナーに気づいたようだった。


「やあ」


 所属は違うが【アポクリファ・リーグ】の参戦者としては同僚でもあるから、穏やかに笑いかけて来たアレクシスの反応は別におかしくはないのだが、その時のライルは機嫌が悪かったのもあり「どーも」と素っ気なく一言返し、ろくに彼の顔も見ないまますれ違った。


 相手は【アポクリファ・リーグ】史上初の四連覇達成者で、今シーズンも優勝候補なので、ルーキーであるライルは礼を尽くさねばならない相手だったのだが、そんなものはライル・ガードナーにとっては無視していい序列に過ぎない。


 ライルは個人ランキングでシザ・ファルネジアをそのうち上回ってやると狙ってはいるが、シザがこのいかにも幼い頃から優等生でしたという感じのアレクシスに負けるというのは、妙に腹が立つことなのである。

 シザも恐らく分類で言えば優秀な優等生なのだが、あの男の場合、根底には潜む反骨精神や自らを抑え込む者に対しての反発が凄いので、ライルはあまりシザを優等生だとは思っていない。

 そんなわけで、俺は優等生という人種と五分以上話すと体に蕁麻疹が出るんだと、完全に今思いついた理由でアレクシスを無視し、さっさと帰ろうとした時だった。


「ライル君」


 近づいたところから車の鍵を解除し、乗り込もうとした所、予想しない近さから話しかけられたので、思わず咥えていた煙草を落としてしまった。


「うわ。何だよびっくりした」


 アレクシス・サルナートがそこに立っている。


「何すか? あんたまで俺の素行についてのお説教?」

「え?」

 ライルが面倒臭そうに聞き返すと、アレクシスは目を瞬かせる。

 そんなわけねえか。

 こいつが誰かに怒ったり説教したりするとこなんか一度も見たことないもんな。


【アポクリファ・リーグ】は十二の州警察から選抜された特別捜査官が最大三人まで派遣されて構成されている。ランキングは黄道十二星座の名を冠したそれぞれの州警察として競うものと、個人ランキングを競うものの二つがある。

 州警察としてのランキングは当然、エントリー人数が多い方がポイントが加算されて上位に行くことが多い。実際、現在も州警察のランキングの一位、二位は三人特別捜査官を保有する【獅子宮】と【処女宮バルゴ】が競い合っている。

 だが三位に追尾するのはアレクシス・サルナート擁する【白羊宮アリエス】なのだ。

 

 実は【白羊宮】は十二の州警察の中で、唯一特別捜査官を一人しかエントリーさせていない。要するに、その【白羊宮】の唯一の特別捜査官が目の前のこいつだ、とライルはアレクシスを見た。


 二人はほとんど普段、関わりがない。


 事件発生時は勿論協力して動いたりはするものの、完全に仕事上の付き合いだし、シザの優勝争いのライバルなので何となく無意識に距離も取っている。

 アレクシス・サルナートはたった一人で【アポクリファ・リーグ】に参戦し、チームランキングの三位に食い込んで来てるのだ。

 

 それほど、突出した活躍をしている。


 アレクシス・サルナートは更に、キメラ種狩りを見世物にしている闘技場にも思想上の理由からエントリーをして来ない方針を貫いている。つまり闘技場ポイントも加算されていない。

 卓越した飛行能力を持つことから、他国で事故や災害があった時は、要請を受けることもある。【グレーター・アルテミス】ほどではないにせよ、世界中でキメラ種の出現などは問題になっているし、そういう討伐なども要請は含んでいた。

 実は【アポクリファ・リーグ】は【グレーター・アルテミス】内の活動でしかポイントは加算されない。ライルは別に加算されたって何の問題もないと思っていたが、決まりなのだ。

 つまりアレクシスは要請を受けて海外にも行っているが、その活動もポイント外の仕事なのである。


 よく、シザ・ファルネジアはリーグ【最強】だが、

 アレクシス・サルナートは【最高】の特別捜査官だと、そんな言われ方をする。


 実力、人気、素行、非の打ち所のない男。


 シザも容姿の優れた男だが、アレクシス・サルナートもまたタイプは違うがいかにも女がうっとりしそうな穏やかで優しい笑みを持つ、端正な顔立ちをしていた。

 シザがプライドの高い王子という感じならば、

 アレクシスは優雅な貴公子のような雰囲気をしている。


「あんたが【バビロニアチャンネル】に来てるなんて珍しいっすね」

「取材の仕事が入ってて」


 へぇ、そう。

 流れで聞いてみたものの、全く興味は浮かばない。



「シザ君の様子はどうかな」



 ライルは片眉を吊り上げた。

「様子って?」

「彼は……今は活動を休んでいるからね」

 アレクシスの顔を見ると、はっきりと気遣っているのが分かった。

 

 ――こいつは絶対悪い奴じゃないってのは分かるんだが。


 何というか、癇に障るんだよな。 

 ライルは煙草を取り出して、火をつけた。


「気にしてんの?」


 優しい声では無かっただろう。

 煙草を吸って、煙を吐き出してからアレクシスの方を見ると、機嫌の悪さは伝わっただろうが、こちらを見返して来る表情は静かだった。


「勿論。シザ君だけじゃない。ユラ君のことも」


「何の進展もないよ。これはな、ノグラント連邦捜査局がシザに仕掛けた喧嘩なんだよ。

 あいつらが手の内見せて来ない限り、シザはこれ以上身動き取れねえよ。だからユラも不当拘留のままだ。【バビロニアチャンネル】だってシザが動かないと動けねえし」


「そうか……」


「話、それだけ? 悪いけど今日は虫の居所が悪くて、さっさと帰りたいんだよね」


 車の扉を開く。


「君はシザ君の家の住所知ってるかな」


「ああ?」


 乗り込もうとした所を呼び止められて、ライルは思わず強めに返していた。


「シザの住所って……あいつはこの隣のホテル最上階住まいだよ。あいつドノバン・グリムハルツの養子だから。ラヴァトンホテルに家もらって住んでる」

「そうだったのか」

「そうだったのかって知らなかったの?」

「いや……うん。今知ったよ。ありがとう」

 一瞬突然何聞いて来やがったんだこいつはという気持ちで心の不良が出たライル・ガードナーだったが、本当に誰もが知ってるような情報を知らなかったようなので、思わず笑ってしまった。


「?」

「いや。あんたホントにシザと真逆のタイプなんだな。あいつ多分あんたの住所知ってるぜ。敵のデータとことん集めて情報収集するタイプだからさ」

 アレクシスは目を瞬かせてから、少し苦笑したようだ。

「私は……。シザ君のことを敵と思ったことは一度もないよ」

 ライルは優等生のお手本みたいな返しに冷ややかな笑みを浮かべる。

「あっそ。まあ何でもいいけど。つーかあんたシザの住所なんか調べてどうするつもりよ?

 まさか会いに行こうと思ってる?」


 アレクシスは側にあった柱に、背を少し預けた。


「……。迷っている感じだ。何か力になれることがあればなりたいけれど、彼が考えていることがあるなら、余計な口出しはしたくないとは思う。彼の状況や心境については、私などより君やアイザックさんの方が詳しいと思うしね」


「いや。俺やおっさんもあんたとそんな変わんねえよ。シザは自分の事情とか、他人に話さねえし。他人に助け求めるとかも基本的に頭にねえ奴だから」


「そうか……。」


「あんたがそんな思い悩むようなことじゃねーと思うけどな」

 ライルはそう言ったのに、アレクシスは何かを考えている。

「仮にシザに会って何を話すつもりだよ? 人のいいあんただから、優しい言葉でも掛けてあげたいとか思ってんならやめといた方がいいぜ。言っただろ。あいつは今喧嘩売られてんだ。喧嘩の真っ最中なんだよ。そこに優しい言葉とか掛けられるとかえってムカつくんだ。まあこの先、なんか動きあった時出来る協力をしてくれればそれでいいから……」

「……そうだな。君の言う通りだ」

 ライルは車のドアに凭れ掛かって、自分の茶髪をワシワシと掻いた。

 シザとならここから激しい言い合いになるところなのに、あっさりと引き下がられて、なんだか全く歯応えが無かった。

 つまんねーな、と思った時自分の妙なイラつきの理由に思い当たって、ライルは声を出して笑ってしまった。

 さすがにアレクシスがこちらを見て驚いた顔をしている。

「いや……。あいつがいるといるで口煩くてムカつくんだが、こうやって不在多くて、あんたみたいにこっちが殴っても殴り返して来ない奴相手にすると、やっぱ俺、何だかんだ言ってあいつと殴り合うのも気に入ってんだな」

 いつも殴り合ってる奴がいねえと妙に寂しくなるとかガキじゃねえか。

 自分に少し呆れてしまう。

 ライルの苦笑を聞いたアレクシスは目を瞬かせたが、数秒後表情を和らげて少し笑んだようだ。

 寄りかかっていた壁から体勢を戻すと、鞄から何かを取り出して、ライルの所まで歩いて来た。


「なんだこれ?」


 手渡されたのは小さなメモリーカードのようだった。

「実は……ユラ君が逮捕された時の様子が気になって、知り合いに詳細を調べてもらったんだ。友人がノグラント連邦捜査局に勤めていて。ユラ君はアポクリファ特別措置法違反で逮捕されたのに、あの時連行しに現われたのは未解決捜査課のチームだったらしい」

 その情報はライルも警察の知り合いから入手している。

「シザ君は、自分の事件の詳細の為に連邦捜査局がユラ君を逮捕したと言っていたけれど。

 確かに今回のことは何かがおかしい……。逮捕は無理でも聴取ならば、捜査局が【グレーター・アルテミス】に来てシザ君に聞くことも出来るはずだ。

 もしかしたら、聴取を取りたいこと以上の何か理由があるのかも。

 つまり、とにもかくにも【グレーター・アルテミス】からシザ君を出国させて、逮捕したいとかそういうことだ」


 ライルは怪訝な顔をする。


「シザ君はご両親の事故の真相を知りたがっていたよね」

「ああ……。なんか思う所があるみたいだな。はっきりは言ってないけどよ。

 だけど俺は、そこの部分はかなり疑ってる。あいつの養父がクソ野郎だったのは間違いないが、シザの両親にまで手にかけてるとかはさすがに話が盛り過ぎてるだろ」

「シザ君は何の確証もないのにあんなことは言わないはずだ」

「そうかあ? 結構あいつ、勢いで言ったりするぜ?」

 アレクシスはライルの抗議に笑みだけで返した。


「アポクリファ特別措置法の、第十三条に遺産相続についての話が載ってる。

 シザ君は法律を学んでたというから、多分分かると思う。『完全保証人』の例外項だ。

 簡単に言うと血の繋がっていない兄弟や親子関係を結ぶことが多いアポクリファの為に、外界から特別な遺産を残せる制度がある。遺産分与する本人と、その人が選定した完全保証人の連名によって行使されるものだけど、この特別遺産譲渡の権利は逮捕と共に失効するという文言があるんだ」


 ライルが思わずアレクシスを見た。

 アレクシス・サルナートの瑠璃色の瞳は静かにライルを見つめて来る。


「失効は国より警告されないと明記されている。

 シザ君のご両親は研究所の権利を持った資産家だったはず。

 養父に権利を委譲したようだけれど、特別な遺産が残ってないか、一度確認した方がいい。ノグラント連邦共和国に行かなければ普通は調べられないけど、【グレーター・アルテミス】は【ゾディアックユニオン】所属の研究特区だ。月のデータベースにアクセス出来る。やれることはあると思う」


「これ、何のデータだ?」


 手の中にあるメモリーカードを思わず見た。


「……ノグラント連邦捜査局の中にも、あのプルゼニ公国の逮捕に疑問を持つ人はいる。

 ユラ・エンデの事情聴取で、捜査局側はシザ・ファルネジアの、ノグラント連邦共和国居住時の様子を彼に聞いているらしい」


 事情聴取の内容。


「どっからあんたこんなもん……」

「それは預かったけど、私は内容は確かめてない。シザ君の個人的な話だからね。

 君からシザ君に渡して欲しい」

「んー。今すんごいシザ大先生イライラしてるから、様子見て俺のタイミングで先生にこれ渡してもいい? それに場合によっては渡さないかもしれないよ?」

「君の判断に任せるよ。君やアイザックさんはシザ君と命を預け合っているチームだ。誰よりも彼のことを分かってる」

 アレクシス・サルナートは歩き出した。


「なんかあんたも……やっぱり一筋縄では行かねえところ持ってるみたいだな」


 ライルがそんな風に声を掛けると、アレクシスが声を出して穏やかに笑ったのが聞こえた。

 そのまま駐車場のエレベーターの中に消えていく。

 見送ってからライルは車に乗り込んだ。

 メモリーカードをジャケットの中に入れて、車を発進させる。



 遺産絡み。



 シザはすでにダリオ・ゴールドに全ての遺産を奪われたと言っていた。

 特別な遺産が残っているなどとは思っていない感じだった。

 ライルはPDAを起動させ、ダリオ・ゴールドの情報を引き出す。

 立派な研究者、教授、資産家。ネットに残る情報はそんなものだけだ。

 無意味な情報を断ち切って、ジャケットからメモリーカードを取り出し、ノートパソコンに挿入する。


 捜査官は、シザとユラの恋愛関係の話など全く聞いていなかった。

 シザが家を出た後、ノグラント連邦共和国のどこへ行っていたかを明らかにしたがっている。  

 どこへ行ったか、誰と会っていたか。

 

 本当に知らないんです。


 消え入りそうな、小さな声が聞こえた。

『僕たちは普通の兄弟みたいに連絡を取り合ってなかったから、分からない』

 彼はそう言ったが、シザはお前の恋人なんだから必ず話しているはずだと、捜査官達は相手にしなかった。

 ユラが泣いている。

 早くここから出たいのなら話せ、と彼らは言い、シザ・ファルネジアはノグラント連邦共和国には行かないと宣言したということもユラに伝えていた。


 自分とユラの為にシザが決めたことを、

 ユラを責める言葉として男たちは使った。

 シザはもう動く気はないのだから、お前が自分で何とかするしかないんだぞと、そういう言葉を投げかけている。


 時折聞こえて来たユラの声や、すすり泣くような声が全く聞こえなくなった。


 捜査官達の問いだけが繰り返される。


 多分もう、心を閉ざすことでしか自分を守れなくなったのだろう。


 きっと俯いて、項垂れて、疲れ果てているのだろうけど。


 ユラ・エンデのそういう姿を思い浮かべようとして、ライルの脳裏に浮かんだのは何故か、シザ・ファルネジアの強く前方を射抜く眼差しだった。



◇   ◇   ◇



 自宅の扉を開いたシザは、怪訝な表情をしていた。


「……どうしたんですか。貴方がここへ来るなんて。珍しいですね」


「あのさあ。あんたに聞きたいことがあるんだけど。

【グレーター・アルテミス】は【ゾディアックユニオン】の地球支部だから、月の統合管制センターとデータ通信出来るんだよね?

 んで、俺ら特別捜査官だから統合管制センターのデータベースにアクセス出来んだろ。

 それってどうやったら出来るわけ?」



 さすがにシザは眉を寄せたが、対するライルはニッ、と少年のように笑った。



【終】

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アポクリファ、その種の傾向と対策【ゴエティア72体の悪魔達から愛を込めて】 七海ポルカ @reeeeeen13

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