第4話 酒恥肉林
桃太郎を一生、養えるほどあったはずの軍資金は瞬く間に無くなっていった。これには理由がある。桃太郎が服用する薬である。幼少期、桃太郎は腹に傷を負った。おじいさんが桃を切る際に、中にいた桃太郎の腹部を突き刺さってしまったのである。その時から桃太郎の鎮痛剤服用が始まった。薬の名はパピ何とかである。
もう腹に傷などない。古傷すら見当たらない。しかし、桃太郎は中毒となっていた。鎮痛剤中毒である。もう、桃太郎は薬なしでは幸福感も得られなかったのである。
桃太郎が野原を進むと、座れる形をした大きな石が見つかった。そこで、いつものように待っていると例の売人が現れた。桃太郎はにこやかに声をかけた。
「いつものやつをいただけますかな」
「へえ、パピでよろしいわけで」
桃太郎が金貨を渡すと、その代わりに売人から薬を受け取った。しかし、桃太郎は何かの違和感を覚え、手元の薬を確かめた。
「おや、八粒しかありませんよ。いつもり少ないではないですか。いつもは金貨一枚で十粒だったはずですが・・・」
「値上がりしやした・・・」
そう言い残すと売人はすぐにその場から姿を消したのだった。
そのパピ何とかの購入のため、多額の資金が消えていった。今や軍資金は枯渇しかかっていた。
もし、仮に軍資金がないことがばれれば、部下たちは桃太郎を問い詰めるだろう。竹槍で桃太郎を串刺しにして、敵である鬼に差し出すだろう。そうすれば、鬼は褒美として蓄えていた財宝がわずかでも与えられると思われる。軍資金の枯渇は反乱に繋がるクリテカールな事項であった。そのことを知るのは桃太郎のほかには、猿のみであった。しかし、桃太郎も何もしないわけではない。
ある時、桃太郎は街道の脇に掲げられた立札を目にした。文学賞の案内で会った。賞金はなんと銀貨五百枚。それが第一回胡坐川文学賞の賞金であった。これを見て桃太郎はふと決意した。この文学賞の賞金を手に入れて軍資金とすれば、鬼が島での戦いまで資金は持つであろう。そして、最終的に鬼ヶ島の財宝を奪えば配下の報酬は何とかなるである。では、文学賞はとれるのか?いや、こんなことを思いつくのは、きっと、この界隈では自分だけ。銀貨五百枚はかなり手堅いだろう。桃太郎はそう自認していた。
そうなると気になることが一つある。猿の原稿である。桃太郎は猿の原稿が気になり始めた。ある日の夜中、桃太郎は猿の小屋に忍び込んだ。自分で与えた小屋に忍びこむ。不審者そのものである。そして、桃太郎はこっそりと猿の原稿を手に取った。月夜に照らされた原稿を読んで桃太郎は思った。
まあまあといった感じだ。素人にしてはよくかけていると思う。しかし、これだと一次に通るかもしれないが、入選には届かないだろう。そもそも、私も応募するのだ。私の作品はかなり入賞確実だろうから、この原稿が入選することはないだろう。桃太郎は安堵した。
桃太郎は売人から受け取った薬を何粒か服用すると、世界は不可解な歪みを纏い始めた。その非ずんだ世界を、桃太郎はまるで聖職者のように進んだ。しかし、時折通り過ぎる風の中は、彼の歩みをまるで、夢現の漂流者のように揺れ動かしていた。
原っぱのさらに奥には、一つの穴が開いていた。その穴は、異形の静寂を纏い、まるで何かを待ち続けるもののごとく、無言の招待を差し出していた。桃太郎は手のひらから団子をひとつ取り上げ、それを慎重に穴の中へと転がした。すると、中から楽し気な音が聞こえてきた
「おむすびころりんすっとんとん。もひとつついでに、すっとんとん」
これを聞くと桃太郎はにやっとし、さらにもう一つの黍団子を投入した。
「おむすびころりんすっとんとん。ついでに全部、すっとんとん」
その声の響きは次第に愉悦に満ち、彼の耳朶に絡みつくようだった。桃太郎は残る団子を全て無言で放り込む。まるで不可解な契約を完遂するような仕草だった。
「ありがとありがと、すっとんとん。こっちに来ないか?すっとんとん」
その声を聴くと、桃太郎の体は穴の中に吸い込まれていったのだった。
地下空間は明るく、華やかなネオンに包まれていた。その店の名前は「倶楽部酒恥肉林」。桃太郎がいそいそと店の扉を開けると、男性店員が出迎えた。
「桃太郎さん、いらっしゃい。今夜はどの娘にします?」
桃太郎は下心が顔に出るのを押さえながら、できるかぎり紳士のようなふりをして思案して見せた。
「うむ。そうだな・・・。いや、今日は無指名でいこう」
「かしこまりました」
店員はその言葉を受け、店内に向かって声を張り上げた。
「桃太郎様、一名ご案内です!」
桃太郎は案内された席でおしぼりを手にした。生暖かいおしぼりは、普段は手や卓を拭くために用意されたものであるが、桃太郎はこの布巾で顔面を拭いた。それは、無意識のうちに行うルーティンワークのようであった。しばらくして、女性従業員が出現した。
「あっらー、ひさしぶりー」
「まあ、七日ぶりだね」
そういう桃太郎は陣羽織の下にセエターを着ているように見えた。外は夏である。
「やだー。桃ちゃん似合わない」
「ははは、そんなことないさ」
桃太郎だって、真夏に毛糸のセエターを着て歩くほど、暑さ寒さを知らぬ変人ではない。山羊の毛皮でできた脚絆を両腕にはめて着物の袖口から覗かせ、陣羽織の下にセエターを着ているように見せかけていただけだったのである。
これは、胡坐川賞の発表の前日の出来事であった。なお、猿のペンネームは猿畑康成。桃太郎のペンネームは桃島衆二であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます